僕の地平で

僕は179cmあるのだけど、この間、出張先の山手線が事故で運休したため都営三田線で、厚底の姿勢が良い女子高生を見た。
今まで考えたことはなかったけど、5センチから10センチほどの厚底のスニーカーを履いたら視点が上がって気持ちいいのかもしれないなんて考えた。
それが今の僕の地平。

少し下を見てみよう。
僕らが普段考えるミクロなんかよりももっとずっと小さいフェムトの世界では、現実は確率の揺らぎとして認識される。
素粒子は粒としての輪郭を持たず、観測の瞬間にだけその像を結ぶ。
フェムトの世界はその不確かさを鮮やかにあらわし、我々にその限界を知らせる。

反対に上を眺めてみよう。
光の距離とエクサ秒の宇宙では、銀河の営みはとてもとても緩慢で、時が止まったように見える。
目に届く光は何百万年、何十億年も前に発せられたもので、我々の地球の地点からしか観測できない宇宙なのだ。
宇宙は我々にその瞬間の宇宙ではなく、時間の断片の集まりを、地球という一つの広大な宇宙の点までたまたま偶然集まっただけの眺めとして見せている。

少し想像してみよう。

もし僕がブラックホールを旅する宇宙人で、その強大な重力の内部から外を眺めるなら、エクサの宇宙の未来は、まるでフェムト世界の出来事のように一瞬のうちに展開するだろう。
星々が誕生し滅び、銀河の衝突と変容が、電子が軌道を跳ぶかのような速さで、まるで確率の結果のように押し寄せるに違いない。

その深淵に暮らす知的な存在があるなら、僕らとはまったく異なる時間の地平で生きている。

そんなことを考えていたら、品川駅は遠ざかっていった。
もう厚底を履いている人もいない。
一気にがらんとした電車のシートを眺めて、ひとまず座った。

僕は179センチを185センチにできる世界で生きている。
僕の地平で僕の時間を生きるしかない。
目の届く範囲で、主観でしか理解できないのは、フェムトもエクサもブラックホールを持ち出したって変わらない。

僕の地平の少し先で起きていることが、少し努力したら見える。そんな世界で父の考えていたことも多少わかるかもしれない。友達に少し良い金木犀の柔軟剤を送った。ひとまず僕は人の和を取り持つような仕事をしたい。あと、少ししたら厚底のスニーカーを買いに行こう。

そんなことを考えながら後泊のホテルに早くつきたくて、反対側のホームへ向かった。

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