汽車に乗って、飛行機に乗って

この間、初めて夜行列車に乗った。

今は飛行機に乗って台湾に来ている。

そういえば、初めて新幹線に乗ったときを覚えている、父と二人だった。

父はあの時いくつだったろうか、梅田で少し迷子になって父はあてにならないと思ったのだ。
子供残酷で浅はかだ、大人でも道に迷うのに大人は道に迷わないと思っている。
初めての記憶は忘れないなと思う。毎日どんな事があっても家に帰るみたいに帰ってくる感情がある。
昔、聞いたYUKIのライブの音源で言っていた、二十歳の頃に夜汽車で上京したこと、ふとした時に思い出すこと、おとなになったこと。

そうだ、思い出すということが大人になるということかもしれない。穏やかに思い出せることが大人になるということ。
なんかいい感じの説得力がある。

初めての台湾はくっきりと思い出せるのに、もう夜行列車のことはあんまりだ。
自分一人の思い出ってそんなにないなあと思う。
自分一人の時間は消費を重ねていくばかりで何も価値のあることはできていないのかと思ったけれど、少し違った。
大学院生活がつらいときの思い出は穏やかに思い出せる。
それもやはりいつでも帰ることができる思い出なんだと思う。

はじめての台湾は6か月前で、往復は34000円ぐらいでLCCで観光だったけれど、今回は往復7万ぐらいのフルキャリアで仕事できている。
目的が違うだけで全然違う印象になる。つくづく物事の印象は自分の感情で決まるなあと思う。

思い出というのはストーリーではないんだなあと思う。感情なのだ。感情がそのまま保存されている。
それを溶かして思い出す時、追体験をする。
穏やかに思い出せるのは自分が時間とともに少し変わって同じ感情を飲み込めやすくなっているんだと思う。

あと二日間は台湾にいるけど、もう日本のご飯が食べたい。

あともうなんか人に嫌われたくない。おこられたくない。誰かの感情でびっくりしたくない。

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