欲しいもの

僕らが”望んでいるもの”。”欲しいもの”。実はそれらは”望まれているもの”、”欲しがられるもの”なのではないか?などと考えてしまう。
実ははじめから”ああしたい”や”こうしたい”には全てパターンがあってそれを夢見ているだけなのではないだろうか。

アポロ計画は月へ上陸を果たした。NASAはついこの間、49光年先の近さにハビタブルゾーンに位置する惑星郡をいくつも見つけた。

最近は僕らを怖がらせる地震も頻発している。

進化の様相も偶然の産物ではなくて本来物質の持つ物性が遺伝子の二重らせんを安定させていることがわかっている。

アメリカも”世界の警察”を引退するかもしれない。

僕らにとって発見であるはずのそれらはもとからあったものばかりだ。
当然、僕らの”ああしたい”や”こうしたい”ももとからあったものたちなのだろう。

そのうち膨大な不可能たちが当たり前の当然となっていくこの世界を受け入れていくことができるのだろうか。

こういったことを何も考えずに図鑑やテレビやニュースを夢中で楽しんでいた時間は少なくなっていくのか。

いや、”できるはずだ”が”どうせできるのだ”に変わる瞬間が一番怖い。

僕らが血を噴き出しながら望んいるのは結果となって固定化していく事実ではなくてそのプロセスの中で得られる価値なはずだ。

アポロ計画もハビタブルゾーンも地震だって遺伝子だってなんだって、どこかの星のより高度な存在からすれば当然の出来事なのかもしれない。だが、そこには関わった人間のドラマがある。

僕らの望んでいるものは、その価値は、大人が当然知っているものであっても、目の前のこどもが夢中になって目をキラキラさせて喜びを表現させながら追い求めていく何かなのではないか?

ロシアのプーチンだって、アメリカのトランプだって、北朝鮮の金正恩だって、小さい頃は目をキラキラさせていたのだろうか。

今、社会が”当然だ”という凶器でみんなの目の中のきらめきを奪っているのではないか。

僕らが本当に望んでいる、欲しいものは、まだ全然実現していない。誰もまだ”当然”にしていない。本気で言えば鼻で笑う人もいるに違いない。だが、本当は世界中の人が熱中して夢中になって追い求めたいはずだ。

僕は人間への評価が肩書やお金や権力ではなく、もちろん肌の色や性別や、育ちではなく、子供の頃に持っていた無垢な魅力で仲良くできると本気で思っている。
だが、これだけは”どうせできる”とは思えない。

どうやらまだ世の中は、予定調和ではない、かといってサイコロでもない、やるべきことが残っている。まだ十分キラキラできる魅力を残しているようだ。

少なくとも僕にとっては。

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