兄と会った。

先々々日、兄が入籍したそうだ。
結婚式はせず、披露宴だけだったようだが、とにかく兄は所帯を持つことになった。
僕はさまざま事情があって出席しなかったが、兄夫婦がこっちに出てくるというので、会うことになった。昨日のことである。

5年ぶりにあった兄は少し年を取った様子だったが、三十代に入ったばかりにしては若い。

私たちは互いの近況を二言、三言、確認すると、「もういいだろう」と言って別れた。一度別れてから2度会いに来た兄は、一度目は何か食べなさいということでお小遣いをくれて、二度目には、今度兄がほしい本を郵送してほしい件について伝えられた。すべてにおける所要時間は5分に満たなかった。

5年会っていなかった兄と私は、それでも、互いの顔色と声のトーン、それから会えたという事実でお互い満足したらしかった。

中学を出ただけの両親は、それでも私たちに立派に教育をつけてくれた。本より、学歴なんてものを気にしたことはないが、それだけは、教育にだけは、お金を惜しむことのない両親である。兄は大学の頃、留年をした。姉は優秀で、大学院に誘われたが行かなかった。兄は卒業後、ひと時実家に帰り、今は近くで会社勤めをしている。実家には姉が住んでいる。

果たして、計算違いで、年を離れて生まれた僕は家族から愛されてはいたものの、少し浮いていた存在だったためか、実務的な意味で、実家に縛られてはいない。

そういうわけで、姉がしたいこと、兄がしたいこと、僕がしたいことは自然と方向性はバラバラとなり、私は進学させてもらえた。しかし、私より頭の良い兄は状況が許し、そして機会があれば、進学したに違いないと思う。姉だってそうだ。今はめったに集まることのない家族である。

私はそれでいいと思う。誰かが誰かの負担になってしまえば、自分の人生を生ききれない。また、大切な兄と姉の邪魔はしたくないのだから。

私はまだ家族にとって卵だが、私の知らない未来を家族は知っているような気がする。そう感じる。常人には理解されがたいことだが、これは信頼だと思う。人を信じるということは、突き詰めれば、その人の未来を知るということだ。私の家族の勘とセンスと信頼を事実にできるかどうかは、私にはまだわからないが不安は他人任せにすればいいと思っている。不安の置き場所は実家だ。

兄が歩いていくと、私に気を使いながらもお義姉さんは気恥ずかしがっている兄のほうへひょこひょこついて歩いて行った。素敵な方だった。

ところで、兄は私に小遣いをくれたとき、「10倍にして返してください」と言い添えた。私は兄の家庭に毎年たくさんの本を送りつけてやろうと思っている。どうせ子供作るだろうから。