アルプススタンドのはしの方 を観た

映画は心の中のまだ真っ白な、僕の知らない場所にやってきて、知らない地上絵を描いて、どこかに去っていった。

昨日、「アルプススタンドのはしの方」を見てきた。最近テレワークだから家から逃げ出したくて映画館に行ったのだ。あと、一人になりたかったからだ。一人暮らしだからといっても、パソコンの前に座って気がつくと誰かとやり取りしている。僕はひとりになりたかったのだ。

だから映画館に行って映画を見てきた。見たい映画がなくて適当に選んで観た。大体70分間の映画を見た感想だ。簡単に言えばいい映画だった。難しく言えば心残りがあるようなそういう映画だった。

登場人物が美男美女であること除けば、どこにでも居そうな4人が端っこにたむろして話している。そういう映画だ。舞台は野球場のアルプススタンドなんだけど、それは実は関係ない。僕は脚本を書いた人はきっと学生の頃、野球がやりたかった人なんだなと思う。そんなやりたかったもののすみっこが舞台の映画だ。

「君の人生の主役は君自身なんだ」というセンテンスを聞いたことがあるかもしれない。クサイセリフだ。だけど、ちらと期待してしまうセリフだ。

長く人生のすみにいると感じていると、私だけ、自分だけ、すみっこにいると思うだろう。だけど円の真ん中はすみっこより小さい。すみっこのほうがたくさんの人がいる。すみっこで不幸だと思うのは、実は、不幸だなと思う人がすみっこにやってくるからであって、すみっこにも主人公たちがたくさんいる。

すみっこの主人公たちは複雑だ。みんなすみっこにやってくる理由を抱えている。

物語ではすみっこにいる理由と向き合って結論は出なくても、ひとりひとりの自分と向き合っていった結果というか過程が示される。だけど、「なんかやっぱりすみっこがいいんだよね」と言う。前を向くと言う事は自分を変えるとではない。自分という性質は変わらない。性質を前に向けるだけだ。すみっこならすみっこででしかでないことがある。そういうことだ。

映画を見たあと、少し寂しさが残った。

私にはもう二度とたどり着けないようなそんな気がした。映画を見たときの高揚が薄れ、つまらない現実に戻った気がした。私も今の場所をつまらないと感じているんだろう、わたしも今の「すみっこ」がいいなと思えるまでがんばってみよう。

そうだ、僕は自分のこと好きになりかけているのだ。

*サブタイトルに逆らって修正を行いました。

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