自由に生きること

自由に生きるって難しい。こんなことを考え出すと、自由ってどんな意味だったけ?と迷子になるから不思議だ。こんな時に”自由”って何だ?と調べたくなってしまう(完全に理系脳だ)。でもどんなに日本語が得意な人でもすべての言葉を辞書に頼っているわけじゃない。辞書を引くきっかけなんてそうないんだから、今調べてみようと思う。googleでw

Wikipedia(結局中途半端だ)によると、以下の意味らしい。

自由 (じゆう、英: freedom, liberty)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。(Wikipediaにおける”自由”)

哲学用語だそうだ(笑)よくわからなくなってきそうで怖い。純粋な言葉の定義なんて、ものを考えると頭が痛くなってくるので、歴史を追ってみようと思う。まず、”自由”の文字は5世紀までさかのぼれるらしく、「我儘放蕩(わがままほうとう)」の意味であったらしい。”Wikipediaの自由のページ”の初めにある説明と大差ないように感じる。ここで英語の意味を確認してみよう。”liberty”の語源は「社会的・政治的に制約されていない」、なるほどアメリカ独立の象徴になりそうな言葉だ。”freedom”の語源は「好む、愛、気ままさ、傲慢さ」など、いくつかの語源を持つらしい。

どうもすっきりしない。各言語の語源に当たっても僕が思う自由にフィットしないのはなぜだろうか、僕は自由は決してわがままやきままであるだけではなく、いくつかの責任に担保されているものだと感じてしまう。いくつかの言語で、いくつかの語源を持つ言葉が今”じゆう”と呼ばれているものの実際のところは何を指しているのだろうか。僕は自由という言葉が意味を変えて存在し、普遍的(世界共通的)な意味を持っていると思う。

つまり、自由という言葉が人類と共に成長し、新たな価値観を帯びてきているようなのだ。哲学の領域では”じゆう”という言葉が時代を経るごとに定義しなおされ、文化を背景に形を変えながら新しくなってきているようだ。だけど、実際の”じゆう”の変化はテレビなどの急激なメディアの発達によってもたらされたのだろう。故に、日本語の辞書には僕らの感覚から外れるような意味を持つ言葉も少なくない。

長い旅路を歩いてしまったが(笑)、”じゆう”と言われて心に思い浮かぶイメージは言葉にしにくい。だけど、とてつもなく大切なもののように感じる。ここで僕が言いたいのは、決して”自由”という言葉の意味ではなく、”自由”という言葉がさす理想のことである。言葉にしがたい”じゆう”が指し示す意味が明文化されるのであれば、それは意味を持ってしまった価値であって、そこに新しさはなく固定化されてしまう。

まだ見ぬ新しくて素晴らしい価値が”じゆう”には詰まっていて、形にするのは難しいから、「自由に生きることは難しい」とひとまずはしておこう。不自由が示す”じゆう”とでも呼べるかもしれない。

皆さんは形にしたい「じゆう」を持っていますか。不自由も面白いかもしれません。

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