善意の悪意

これはよくあるような”余計なお世話”とかそういった話ではない。良かれと思ってしたことが悪い事だったとかの話ではない。言い換えるのであれば、”善の気持ちが悪の気持ちだった”ということである。
極端に大げさに言えば、善意の人殺しとかそういったことだ。例えば、毒を薬だと思って処方する医者のようなものだ。
よく言われる”てっきり〇〇だと思った”だとか、”その時はそう思っていた”などの言い訳が通用しないのは、極論すればこういった事象が出てくるからだ。

世間では無料の善意がいいのかもしれない。だが、”ただより高いものはない”という言葉がある。その意味はなにも対価となる時間や不利益のみならず、往々にしてみられる無料に対する責任感のなさに違いない。

だから私は有料であれ、無料であれ、責任感のない善意は信用しない。医者が薬と勘違いして毒を処方するとき、責任感が欠如している場合が圧倒的に多いと見受けられる。私はこれに”悪意”と名付ける。
いま社会の流れは”責任”に対してお金を払わなくなった。所謂、”優しい嘘”などに代表される欺瞞がこれを代表していると思う。

”善意”はあくまで”善”ではない。”善”は人を助けても、”善ではない善意”は容易に人を壊すだろう。人を壊すつもりのなかった”善ではない善意”はこれは”悪”であり、その責任感のなさは”悪意”だ。つまり、善意を自然に善として行使できる人は大変に努力した人間に違いない。

善意は無条件にだれにでも扱えるものでもないということを、私の善意としてここに主張しておきたい。

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