どうにもならないこと

どうにもならないことって山ほどいっぱいある。問題が小さくても大きくても、無い袖は振れないってことだ。

今日はファミレスで後輩とおしゃべりした。そいつが悩んでることはずっと変わらない。だけど僕は素晴らしいと思う。諦観にまみれた大人の戯言なんかより美しいと思う。たとえ現実なる力が不足していても。

世界はきっと”あとひと押し”なことが多いのだ。”あとひと押し”で解決できることが、個人には”どうにもならないこと”としてふりかかってくる。
そんな中でみんな一人ひとり必死に戦っているのに公共の福祉だとか、もっと社会のことを考えようとか言われる。アフリカの貧困のことを考える前に目の前の誰も幸せにできない自分一人に辟易する。そんな中でもそれぐらいの余裕は持っていると勘違いしたいと思う。

そんな中で、”あとひと押し”のスイッチをもった人間が目の前に現れるとどうだろう。人はきっと逆境よりも甘えられる環境にこそ弱い。ゴールまでの距離もわからずに走り出してしまう。そして月日が立つと誰もたどり着けないけど、スイッチを持つ人が住むゴールだけが残って人を腐らせていく。

僕は今日の後輩が社会に出ると、十中八九、考えが変わって、変質してしまって、今日話したことを忘れてしまうだろうと思う。だけど、僕は覚えているのだ。彼が考えていたことや、どうにもできないことに対しての義憤や、その動機を。

写真や、文字や、動画にも残せない記憶の一つとして残しておこうと思う。だけど、自分がスイッチを持っている人間になれたら忘れてしまうかもしれない。他人にとっての”どうにもならないこと”がスイッチひとつのことに見えてしまうかもしれない。

その時、僕という人間はスイッチを押すことの正義に悩めるのだろうか。人間のどうしようもできない、どうにもできない、そんな部分に真摯に対峙できるだろうか。きっとスイッチを持ってしまうと、もっと難しくなるのだ。わからなくなってしまうのだ。

だから今日の出来事を忘れないようにここに書いておこう。

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