時代を変えるには

よく考えると、”時代を変える”という言葉は詩的である(時代という言葉がそもそも詩的だという指摘もあるかもしれないが)。この文節を文法によって解釈すると、とある年代や時期を変えるということは室町時代に鎌倉時代を持ってくるような事のような気がする。もちろんそうではないのだが。
話を戻そう、私にとって”時代を変える”と”常識を覆す”はほとんどイコールであると言って良い。あくまで私にとってであるが、ひとくちに”時代”といってもその時期の雰囲気や情景まで含めてしまえる言葉なのではないか。そう感じている。

人は不条理や矛盾を感じた時、どうにかしたいと思う。不条理や矛盾していると感じている物事を正しくできればそれが一番良いがなかなかそうはいかない。この気持ちの向き合い方が重要だ。僕は3パターンをここに示したい。

①あきらめる
すごく重要な事だと思う。人生の中で自分にとって重要でないことがらが矛盾していても歯牙にかけない。自分のやることに手を抜かない姿勢の表れでもある気がする。

②時代と向き合う
自分がこれを解決したいと思う矛盾や不条理に対して粘り強く対応していく生き方。素晴らしいがすごく体力のいる仕事だ。

③時代を置いていく
現実のスタンダードのその先を生きる。時代にとらわれずに生きる方法論。

私は”時代を変えるには”②③の生き方が必要不可欠だと考える。実際には②で対応していたことが③となり、その逆もありえるだろうが、自分が変えたい物事に対しては②または③の生き方を貫いていきたい。

一番人間をダメにするのは、自分できた人間の弱点を探しあげつらい自分のレベルまで下げてしまうような嫉妬心であり、これにとらわれて本来の目的を忘れ放蕩してしまうことだ。自分が真の意味で”時代遅れ”となってしまうことだ。
人は矛盾や不条理に対して逃げてしまいがちだ。逃げてしまうと目の前から現実が遠ざかるような錯覚を覚えるが、その実、ひっそりとついてまわり自分から離れることがない。やがてその嫌な”現実”は必要以上に大きくなり、盲目的に責任は自分にはないと喧伝するようになる。こうなれば自分より出来た人をこき下ろすことに執着を出し始める。

現実に乖離しがちな自分への警告として。

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