ウエストサイドストーリーをみた

昨日、母親とウエストサイドストーリーをみた。僕は映画館でみていたけれど、母に自信を持っておすすめできる映画がとっさに出てこなくて、一緒にもう一度見た。
二度目なのに心に残るシーンがあった。母は途中で寝てしまって私だけが見てた。

母とは今日も遅くまで話した。母が言うには僕は運がいいらしい。「運がよいけれども苦労しないということではない」らしい。なんのこっちゃ。よくわからんけど運良く生んでくれてありがとう。

父とは昼間ずっと一緒にいて話した。普段気軽に話す相手があんまりいないみたいでたくさん話しかけてくれる。三日間話したけど、だいたい同じ話を五回ぐらいしたので眠くなってしまった。ごめん、殆ど聞いてなかったわ。

話を聞いてたら父も母も精一杯生きてきたように感じた。とりまく状況や環境がどんなでも親なりに精一杯だったらしい。もう70を迎えてすぎて二人は今から何をするのだろう。僕に手伝えることはあるんだろうか。

小さい頃、布団ではないところで寝てしまって親に布団まで運んでもらうのが好きだった。だからわざと布団じゃないところで寝て、あるいは寝たふりをして、運んでいってもらった。運んでいってもらう途中で目が覚めたりしてしまうのだけど、
起きると運んでもらえなくなるので、寝たふりをする。寝たふりをしながら、本当に眠たくなって寝る。

ウエストサイドストーリーをみたら、私はアメリカ人じゃなくプエルトリコ人だって泣いて言う女性が目に入った。

昔、窪塚洋介が好きでGOって映画をテープが擦り切れるほどみた。そのうち窪塚洋介よりも映画が好きになった。GOでも男性が同じようで違うセリフを言っていた。たしか、「私は韓国人でも日本人でもなくてただの根無し草」だって。GOはロミオとジュリエットがたくさんでてくるのだけど、このセリフはスペイン語だった。金城さんはウエストサイドストーリーもすきみたい。

僕は今日、母にこう言った「僕は父と母のもとに生まれたのは運命だと思うけど、姓のもとに生まれたり、この国のもとに生まれたのは偶然だと思う。だから、将来は違う国に住むかもしれないし、ぜんぜん違う姓になるかもしれない、ならないかもしれない。割とどうでもいい」と。
母は私も同じと言ったけど、外国はよくわからないから嫌だって言った。だから僕が外国に行ったら母にたくさん話そう。

いま世界中のどこにいても、眠りに落ちた子供が両親の愛に包まれていてほしい。それがお金や国境やつまらないおじさんの都合でだめになるのは嫌だ。

僕の小さい頃の夢の「研究者になる」はこの春に一応かなったけど、母は「諦めなかったから叶うということを教えてもらった」と言ったけど、僕はまだよくわかっていない。
父と母と話してひとまず僕は「誰に会っても賢いと言われる人」になることを目指そうと思う。

だから舐められたり、理解してもらえない事があってもそれは仕方ない、僕が賢くなるしかない。
必死に教えても理解できない学生がいてもそれは、僕が賢くないからだ。

色々書いてしまったけど、自由におもしろおかしく生きようと思う。

そういえば最近カレーや料理を作って人に配り歩いていたりする(料理はすごいぞ、美味しいものを作ったら人が笑顔になる、そうじゃないと凹むけど)のだけど、あげた人に「なんでくれるの?」と聞かれた。
僕は「美味しいものを食べたら元気もでるし、嫌なことがっても少しは頑張ろうって思わない?」と言ったら「変な人だね」と言われた。

僕はカレーを配ってるアメリカ人でもプエルトリコでも韓国人でも日本人でもないし、スペイン語も知らないだけれど、なんとなく日本語話せて、根無し草ってわけじゃなくて、変な人で、賢くなりたい人になった。あと、おとうさんとおかあさんのむすこです。
よろしくお願い致します。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です