9:58

100mの世界記録は9秒58秒なんだって。

この記録を知らなければ世界で一番足の早い人間は村ごとにいたのかもしれない。
9秒58秒を知って、「超えれる」と考える人と、「超えれない」と考える人がいる。

超えれると考える人たちは変な人らしい。

僕は足は遅いけど、超えれると考える方の人間だ。
だから超えられないのが心地良い人とはうまく行かない。

引っ越し

怒涛の引っ越しが終わり、一段落して僕はどこでも生きていけるのでは。とわかってしまった。
4月は出会いの季節だという、たしかにいろいろな人に合う。
近所のおじさん、大家さん、大家さんの娘さん。
新しいアパートは家賃が4.2万円でオール電化で鉄筋コンクリート造だ。
天井が低いこととシャワーの勢いが悪いこと、それとお湯の温度がデジタルで指定できないこと以外は何もかも揃っていて何もかもいい。

新しい家で、新しい冷蔵庫と玄関を指紋で開けれるようにしてくれるデバイスを取り付けて部屋を掃除した。タイルカーペットを床に敷くのに面倒なところ残して適当に敷いて暮らし始めてしまった。

3月の末から鬱陶しいことが多くて嫌だ。適当な人が適当にやってきて適当に自分の考えていることだけを話してどこかに行く。

名古屋のIMAXで映画見た。オッペンハイマーだ。
なにか、ここで自分のすることが見つかっていないような気がしてイライラする。
全部揃っていて、前より快適なのにイライラする。
イライラしながら全部見た。

明日知り合った人とわらび餅を食べに行くけど、なんで僕は知らない人とわらび餅を食べなきゃいけないんだろう。一人で食べればいいのに。

どうして、どうして、どうして。

何がこんなにも嫌なんだろう。ストレスが足元から這い寄ってきている気がする。

世界から打ち捨てられたような気分になって名古屋の夜を歩いた。
バカみたいに道幅の広い道路の横断歩道を歩いて、知り合いのいない土地は日本でも海外でも変わらないとわかった。

やっぱり僕はどこにでもいける。
世界が小さいことが名古屋に引っ越しただけでわかってしまった。
どこにいてもなにをしてもこのブログをたまに書いて、誰かが読んでるらしい。

名古屋の空港にいってたくさんのういろうを買ってたくさん食べたけれど、全部同じ味だった。
なるほど、僕の舌はういろうをまだ知らないらしい。

こんにちは。
名古屋、はじめまして。

引っ越し

10日ほど前にweb面接をした。次の職場は名古屋になりそうだ。
正月に免許合宿に行って、一月の末に府中に免許を取りに行った。カーシェアで二回ほど車を借りて運転をしたら一時間もあれば自分の行動範囲が回れることが分かった。
面接の結果が分かったら、引っ越しの準備をして今いる場所を引き払ってやるべきことをしなければならない。

今日録画していた探偵ナイトスクープを見て、モニターの中で「突然走れなくなった女子高校生」が一生懸命走ろうとしていた。専門家や催眠術師、周りの大人がたくさん助言をして、状況は理解できるけど状況はなかなか改善しない。物語はそのあと、訓練をして不格好だけど少し走れるようになって今のところ終わってしまった。走れない女の子は最後には気負いなくコロコロ笑いながら上機嫌で過ごしていてなんだか泣いてしまった。
突然何もできなくなってもそれを受け入れて前向きに過ごしている女の子がそこにはいた。

泣いてしまったのは私にも同じ経験があったからかもしれないし、そうではないかもしれない。
よくある物語では、四畳半って言葉出てくるけれど僕はずっと1kの六畳で過ごしていた。備え付けのコンロなんてなくて五千円で買った一口コンロで何でも作った。人間は環境で決まらないってことを教えてくれたと思う。やる気に満ちて一晩で専門書を読み明かした朝も、やる気が起きず死んだように過ごしたひと月も、一夜漬けで必死作ったダメダメなプレゼン資料も、この部屋が見ていたと思うとなんだかいとおしく思えた。二年前、博士課程を何とか卒業した時、何も考える余裕がなくて静謐とした時間の中で過ごしていた。自分の人生の中であの時間ほど尊いものはなかったと思う。あの時、引っ越さなかったのはこの部屋が好きだったからだ。

免許を取って初めての高速でほったらかし温泉に行った。ほったらかし温泉は学生の頃、友達と一緒に行こうって何回も言っていたけれど行かなかった場所だったけれど、2時間もかからずに到着してこんなもんかっておもった。2時間なんてあの頃、大学から帰り道の分かれ道で少し話していたらすぐなくなってしまうような時間だった。大事なのはどんなにみじめ悲しくても上機嫌でいることだと思う。

できることを少しづつ増やしながら振り返ったらどうやってここまでこれたのか不思議になるような人生がいい。数えきれないほどのステップをこえていく力が人には元々備わっている。結果が大事なのではなくプロセスが大事だと腐るほど聞いたけれど、そこには言葉以上の価値が、可能性が、不思議が詰まっている。新しい職場では教育にはかかわらないけれど、研究を自分らしく頑張って凡人らしい結果しか得られなくても本当に価値のあることがしたい。
僕とかかわった人がそれと気が付かなくてもいい、少しでも自分が不思議で価値のある存在だって思ってほしい。

4月からはたくさん今までやって来なかったことをして、もっとできることを増やしたい。赤ちゃんの頃のように戻って上機嫌でできると思う。

しばらくしたらこの投稿を読み直して思い出そう。

雪をみた

雪を見るといつも不思議だなって思う。

僕は岡山で育ったので、身近に雪がなかったからかもしれない。
雪はなんで街を真っ白にするのだろう。あんなにゆっくりふわふわと落ちてくるのにすぐ何でも全てを真っ白にする。
どんなに洗濯や掃除をしても落ちない汚れや痕跡も全て真っ白にして文明も機能しなくなる。
そのくせ、楽しいときはすぐに溶けてしまっていつまでもグチャグチャ日陰に残っているのだ。
あんなに幻想的で、嫌われていて、好かれている存在はないんじゃないだろうか?

小さい頃は、不思議で珍しくて楽しかった雪の結晶は年齢とともにかすれてなくなっていく。

今は初雪の日だけ心が子供の頃に戻って「ああ、不思議だなあ」って思う。

そして嫌になって、忘れて、また子供に戻れる一瞬を毎年待っている。

去年の19日から福島県に免許合宿に来ている。
僕の運転センスは人並みに下手で頑張ればなんとかついていけるレベルで、絶望的にセンスが無いわけではなって感じだ。そういえば自転車に乗るのにも時間がかかった気がしている。僕は物を暗記したり、新しいことを始めるときには人よりも時間がかかることを思い出した。物事が僕の中に腑に落ちてきちんと仕舞うところが見つかるまでに時間がかかるのだ。ぼんやりと靄のかかった頭で免許の合宿に来て今はクリアになってきている気がしている。
あと3日で卒業できるかもしれないらしい。
そういえば博士課程も9年かかったし、なにかを修めるにあたって誤魔化したりできない性格なのだと思う。

振り返って、自分のことをとても不思議だなあって思う。

今存在していて、こうしてノートパソコンを見つめて文字を追いながらタイプしている自分が不思議だなあって思う。

明日は高速道路の教習なのに明日のことはなにも考えずに雪を見つめながら不思議だなあって思っている。

そういえば、僕の情熱の素は「不思議だなあ」から始まっていた。不思議と思うことは素敵で興味深くて美しい。

雪の一粒一粒を空から拾ってきてポケットに入れておけないみたいに「不思議だなあ」って気持ちもいつもあるのにポケットに入れるみたいにして持っていることはできない。

常に、「不思議だなあ」って思わなきゃ忘れてしまう。

自分を忘れないために毎年雪をみて不思議だなあって思って確かめよう

なんかまたやってる

寝る前も、起きたときも「もういやだ。やめたい。やりたくない。」と思っているのに歩いて職場についてパソコンの前に座ると「何ができるかもしれない」と思い始めて、何もできないと分かって帰る。
これを繰り返して少しずつ進んでいる。

今日ももう何もしたくない!と思って寝る。2年前のあの静謐な時間は過ぎ去ってしまって、今は隣の部屋から咳払いや話し声が聞こえる。

アパートのドア(玄関)を開くと隣の住人の洗濯物が干してある。いつみても干してある。いつの間にか住人が増えたらしい。

明日も「もう何もできない!」と思っておきて昨日の夜に見た洗濯物をながめて出勤する。学生に少しばかりのものを教えて、自分の質問は解決できずに一日を終える。夜に仕事をしないように緊張して夜を迎え、力尽きて寝る。

福岡とハワイに出張に行って買ってきたお土産を渡さずに賞味期限を迎えて自分で食べている。誰かとごはんを一緒に食べたい。

たくさんの場所に行って

去年、オーストラリアに行った。オーストラリアに行って初めてポスター賞をもらった。「若手研究者頑張ってね」という賞だったけど、それでもうれしかった。何をしているかってことも大事なんだけど、初めての南半球はわかっていても驚くことがたくさんあった。

オーストラリアのゴールドコーストの海岸で夜に海に入って砂浜に寝転んで星を見た。

次の日に「サメが出るから入らないほうがいいよ」と言われたけど、とても貴重な経験だった。むこう側に見える海は太平洋で、アメリカ大陸のほうに向いているはずだけど、とても大きくて穏やかだ。

オーストラリアは海もいいし、星はもっと良かった。それは上下が逆になったオリオン座だ。

ヨーロッパの中世後期、封建社会を打ち破ったのは産業業革命だという。しかし、産業革命の前には世界中の航路を開拓した航海時代がある。航海時代はコペルニクスの地動説よりも前の時代だ。私は、当時の賢い人々はすでに地球が丸くて自転してる事を知っていたのではないかと思う。そうでないと説明のできない夜空が目の前に広がっているのだ。いくら教会が地球は宇宙の中心で夜空が不変のものだと説いても、荒波をこえてきた人間の目には逆さまの星座が見えるし、北極星はどんどん見えなくなるはずだ。
僕は生まれた環境や住んでいる場所、旅行なんかで人間の本質は変わらないと思うけれど、育っていく精神があると思う。与えられた情報の中で賢しげになってはいけないと思う。

“逆さまの”オリオン座を見上げるとき、自分の座標をどこに定めるのかを人は問われている。実はオリオン座に上も下も右も左もないんだ。いつか、宇宙のどこかからオリオン座を見れたなら、それはもうオリオン座だとは思わないだろう。地球に住んでいる限り、オリオン座の形はかわらないし、見ている星たちがオリオン座かどうかなんかで揉めなくてすむ。

オーストラリアは広い海と真逆の季節と、”逆さま”のオリオン座をみせる。オーストリアは僕に、僕らの故郷が地球なんだって言っているのだ。
僕らはどんなに遠くに行けるとしても、まだひとまず地球の範囲内だ。近い将来火星や月に行ったとしてもオリオン座の形は変わらない。

明日はパスポートの更新に行く。

なんで生まれた星を移動するのにパスポートが必要なんだろう。月に行くわけでも火星に行くわけでもないのに、生まれた星を移動するのに許可が必要なのはなんでなんだろう。

波は動かない

コンテナは画材のコンテが雑然と積まれているように見える。
雲はただのレイヤーのように動いていて、隙間に見える海は粘土細工だった。

窓際に一人で座ったのはいつぶりだろう、東京の戻る飛行機の中で僕の窓からはつやつやの海が見えた。
この海をなんていえばいいんだろう。飛行機から見ると海はびっくりするほど表情を変えない。固まったまま波はただの模様のようにして見える。絨毯のような海を見下ろして機内食を食べた。

離陸の際に写真を撮ったけれど、窓の水滴からフォーカスが動かなくて水滴の写真になってしまった。
飛行機の上からはインターネットから切り離されて、水滴だけが動いている空間になっていた。

僕は一人で乗る飛行機が好きみたいだ。

映画館も新幹線もいいけれど、飛行機のほうが非日常感があっていい。
それと、海外のキャリアの飛行機のほうが座席が広くていい。

どうしても逃げたくなったらまた飛行機に乗って海外に行こう。散歩をするだけでいい。
少しだけ話せる英語も話せないふりをして誰も知らない街で何もできない街を歩いて気分転換をしよう。
よくわからない食べ物とよくわからない飲み物を胃に入れてどんどん歩こう。

いつか、粘土のような海の上にも、まだ見ぬ砂漠にもいこう。

汽車に乗って、飛行機に乗って

この間、初めて夜行列車に乗った。

今は飛行機に乗って台湾に来ている。

そういえば、初めて新幹線に乗ったときを覚えている、父と二人だった。

父はあの時いくつだったろうか、梅田で少し迷子になって父はあてにならないと思ったのだ。
子供残酷で浅はかだ、大人でも道に迷うのに大人は道に迷わないと思っている。
初めての記憶は忘れないなと思う。毎日どんな事があっても家に帰るみたいに帰ってくる感情がある。
昔、聞いたYUKIのライブの音源で言っていた、二十歳の頃に夜汽車で上京したこと、ふとした時に思い出すこと、おとなになったこと。

そうだ、思い出すということが大人になるということかもしれない。穏やかに思い出せることが大人になるということ。
なんかいい感じの説得力がある。

初めての台湾はくっきりと思い出せるのに、もう夜行列車のことはあんまりだ。
自分一人の思い出ってそんなにないなあと思う。
自分一人の時間は消費を重ねていくばかりで何も価値のあることはできていないのかと思ったけれど、少し違った。
大学院生活がつらいときの思い出は穏やかに思い出せる。
それもやはりいつでも帰ることができる思い出なんだと思う。

はじめての台湾は6か月前で、往復は34000円ぐらいでLCCで観光だったけれど、今回は往復7万ぐらいのフルキャリアで仕事できている。
目的が違うだけで全然違う印象になる。つくづく物事の印象は自分の感情で決まるなあと思う。

思い出というのはストーリーではないんだなあと思う。感情なのだ。感情がそのまま保存されている。
それを溶かして思い出す時、追体験をする。
穏やかに思い出せるのは自分が時間とともに少し変わって同じ感情を飲み込めやすくなっているんだと思う。

あと二日間は台湾にいるけど、もう日本のご飯が食べたい。

あともうなんか人に嫌われたくない。おこられたくない。誰かの感情でびっくりしたくない。