「嵐が丘」を見た

最近は仕事を休んでいて気がつけば冬が終わっていた感じだ。
一昨日は最近知り合った人と釣りに行った。約20年ぶり、釣りは父としかしたことが無いのだけれど、よくわからない魚が一匹と小さい鯵が二匹、事前にカインズで買った竿とリール、仕掛けを現地で結んで、連れて行ったくれた人に分けてもらったイソメを針に通し、竿を投げた。投げ方もわからなかったけど、3回目ぐらいで思い出した。小学生の頃はあんなに難しかったエサの付け方も糸の結び方も頼もしかった父もどこに行ったんだというくらい淡々とこなせた。序盤で何匹か釣れて小ぶりの魚だったせいか引きが弱くてこんなもんかって感じ。3月4月はこんなものらしくて、夏になるともっと大きいのが釣れるんだろう。
伊勢志摩の春先の夜は少し寒くて日が上ると少し暑い。帰る頃には雨が降ってきて、帰って鯵を食べたら倒れるように寝た。睡眠が気持ちよかった。運動したからだろうか。

最近のニュースはホルムズ海峡の話ばかりで少し憂鬱になる。父は専業と言っていい投資家だったのでこういう事があるとすぐ電話で話していた。「大丈夫?株持ってない?」「大丈夫や、お前の持ってるのは大丈夫か?」だいたい予定調和のやりとりはこうだけど、含み損がある時の父は違う話を慌てて始める。こんなこと言うと不謹慎だと思う人もいると思うんだけど稼業だから仕方ない。

そんな日の後にガソリンを入れに行って、思いつきで映画を見てきた。あの時代の小説はだいたい読んだつもりだったけれど、嵐が丘はまだ読んだ事がなくて、期待して映画を見たらゲンナリしてしまった。
劇中で繰り返し出てくるノースヨークシャーのイギリスにこんなところがあるんだという風景が一瞬、ライオンキングやバック・トゥ・ザフューチャーを錯覚させるけど、そんなことはない。と書きながら監督はライオンキングのスカーとシンバの対比を用いたのだろうか、よくわからない。ヒースクリフがシンバになれなかったスカーだと思えばわかる気がする。そういう意味ではライオンキングはフィクションなのかもしれない。嵐が丘ももちろんフィクションなんだけれど。

帰りの車の中でsmapのオレンジをカバーしてるいる人のショート動画が流れて、ジンと毛が立つような感じで懐かしくなった。家に帰って原曲を聞いたけど、原曲は古臭く聞こえて何か違った。カバーで聞いたから飛び込んできた歌詞があったのだと思う。最近の歌手は平成初期よりも圧倒的に歌がうまくて聞き取りやすくて歌詞がすっと入ってくる。歌も映画も作り手が本質を隠さなくなってきている。そういえば、気になっている人と「パリに咲くエトワール」を見てきた。
すごくいい話だったけれど、主人公のおじさんがストーリーの調整役でキッカケと最後の手伝いを行う。作りが「映画大好きポンポさん」と似ていて、人間らしくない人間がはじめのリアルな人間の配置と役割を入れ替えてストーリーが進み、最後にちょっとだけズルして手伝うみたいな流れ。面白い作り方だけど、少しだけ作品に対して現実だけでは足りないファンタジーの関与を残している。最近は単に上映時間の都合というよりかは現実の脚本の力を誤魔化しているような感じが強いななんて考えながら見てた。メタを考えなくて済むような映画はもう年に2本か3本ぐらいしかなくて、俯瞰や客観視する癖がついてしまった。

最近、海に行って山に行って、新月の日は星を見て、月が出れば魚を釣った。だけど、もしまだ行ったことのないサバンナの岩の上に立って、ノースヨークシャーの雨の中歩いて、厳しい時化の海を眺めたら、映画の中の登場人物のように物事を眺めるようになるんだろうか。最近見たどの映画も時代背景は戦争や不況が舞台で、だけど、主人公は何かに夢中になっている人ばかりだった。コロナの後、少しだけ景気がよかった気がしたけれど、エネルギーの物流がこのままの調子でいけば世界的な大不況だろうか。

世界は”命の尊厳”が時代の思想にできるかの瀬戸際な気がする。争いや競争、リアリズムも結構だけれど、その先に”命の尊厳”を置けるならその旗のもとに人類は集える気がする。しばらく先の未来にガソリンの供給制限がもしあるのなら、去年の5月からちょうど三万キロになった父とのドライブも自由にできなくなる。

足元では、仲良くできる人もそうでない人もいるけれど、全ての人に尊厳を持って接したい。その辺の折り合いが心の中でつかないと仕事に出ていけない感じだ。

僕の事が好きな人も、どうでもいい人も、嫌いな人も、みんな自分らしく自由に幸せに生きれたらいい。命の危機がなくて、景気が良くても悪くても生活が安定して、やりたいことがお金とか環境で左右されないようになればいい。その上で本当の生きる意味を考えることができる時代になればいい。

あと50年後の映画はどんなテーマなんだろう。
健康で見る事ができるんだろうか。

冬です。

今年の冬は温かいらしいけれど本当なのだろうか?

去年は父が死んで、年明けに叔父が死んだ。
母に電話すると一層堪えたようだった。

しばらくぶりに一人で星を見に行った。
スマホのライトに息を吹くと空気が真っ白になる。

目の前の雪と景色と夜空が僕の心に馴染んで心地がいい。
この間、人間関係の相談をchatGPTにした。曰く、行動につながらない限り、人に期待してはダメなんだそうだ。僕は意見が違うのでやっぱりAIなんて凡庸な意見しか言えない駄目なやつだなと思った。
一方でこれが世間なんだなって感じた。
僕は行動にできなくても心にパッと生まれてパッと消えていくような気持ちに、むしろ価値を感じてしまうけど、そんな人は少ないのかしら。

古今東西の名著が目に見えないものが大事だなんて書いてあるし、たくさんの歌手が写真には映らないと歌うけれど、本当にそうだ。

冬の空気は冷たくて、自分の境界がはっきりとわかる。肌と空気の境目を意識する。自分とそれ以外。
この写真には、僕にとって白い息と一人の時間ともう会えない家族が詰まっているのだけど、多分傍目にはキレイで楽しく見えるんだろう。

写真には映らない、目には見えない、何も残さなくても誰に伝わらなくても確かに痕跡として残っている心の機微にこそ、その人の本質が現れる。

僕のしてきた事が誰かの中に沈殿して何も生み出さなくなっても何かのきっかけでどこかにまた現れてくるといいな。

それが生きた証だなって、いまは感じてる。

君はUFOを見たことがあるか。

今日は峠に行って星を少しだけ見てきた。スマホをピクセルにして4分間露光できるようになった。
試しに撮ってみたけど、いつもスタンドを忘れてしまって手ブレの写真になってしまった。

よく実家の庭から星を見た。どこかのパチンコ屋のライトが雲に映って小さい頃はUFOだと思って、僕がUFOを見たというと、父が「お前には見えるかもしれんなあ」と言っていた。多分、この父の言葉が心のどこかのベースになっている。

UFOなんてまともな人間は信じちゃいないだろうけど、それでもUFOをみたって誰かが言ったとき否定なんてしない父が好きだった。
兄はパチンコの光だといい、姉が関心がなく、母は忙しそうにしてた。

最近、父と話したくて仕方ない。
こんなことがあったよってあんなことがあったよって報告してコメントしてもらって、的外れな事もたくさんいう父だけど、それで安心できていたんだなって思う。たくさんの友達が僕に話を聞くよって言ってくれるけど、改めて話をすることなんて実はあんまりなくてどうでもいい話をたくさんして声のトーンや声色で安心したいだけなのだと思う。自分がそうしてもらっていたから他人にはそうしているけれど、人に求めるのは間違っているように思ってしまう。

そういえば、父はいつも同じ話が多かったけど、同じ話を聞いても感じることが毎回違ったような気がする。
人との付き合いでは、目に見えない心の部分を見ようとしてくれた粋な人だった。
人間は未熟な部分があるけれど、賢しげな人は行動を見よというけれど、僕は行動にできない心に美しさがあると思う。

星を見ながら、この星空は僕の心なのか、父の心なのか、それとも誰かの心なのかなんて考えた。
確かにいろんな人が浮かんで、子供の頃の不思議でただ綺麗で楽しい星ではなくなって意味がたくさん詰まってしまった。

またUFOを見ることがあったら、真っ先に誰かにUFOを見たよって言いたい。UFOを否定しない誰かに。

教えてほしいこと

情景描写で主人公の気持ちを伝えるように、僕らは状況証拠でしか他人の気持ちを推し量れない。
人間のことを小宇宙だと言った人がいたように、人の心は複雑で果てがなく見渡したりなんてできない。

空に懐中電灯を向けるとその光はどんどん進んでいくらしい。光は比類のない速さで地球を脱してどんどん進んでゆく。それでも宇宙の果てには届かないらしい。それは宇宙が光よりも早く膨張しているからだという。

地球が丸くてどこにも真ん中がないように、宇宙には中心がないらしい。

昨日、男はつらいよの映画を見た。本当によくできている映画でシーンのカットの一つ一つが自然で役者は演じているというよりもそのままの顔をしているし、カメラが撮る絵は普遍的な喜怒哀楽を伝えてくる。

でも、僕らが絵の映画の中で生きることができないように、状況証拠からだけではその人自身を再現できない。だからやはり、人は実際に会って顔見て率直に自分の気持ちを伝えなければ理解し合えないのだろう、とそう思う。

他人の中に入ってゴソゴソ手当たり次第に探ってみても心の中心や端っこを探り当てることはできないけれど、見えている心の表層を理解し寄り添って似た気持ちになることができる。

例えば、同じものを食べて「美味しいな」と思うとき、夕日を見て「綺麗だな」と思う、そういう時には他人と同じ心の働きで中心もない端もない概略図すら書けないそんな心の部分を譲り受けたり、与えたりする。

夜空にいろんな色の星が浮かんでいるようにたくさんの人たちの記憶が心に浮かんでそれが自分という人間になっているとわかる。

だから、人は誰かじゃない自分のことを他人を通して理解する。小宇宙に浮かぶ星を見て、何もない場所を同時に見ている。何もない真っ暗な場所にもまだ見つからない自分がいるのだ。

本当に暗い場所に行って星空を見るとそら一面、光っていない場所なんてない。

そんなふうにして自分のことを少しずつ発見してジグソーパズルのピースのように埋めていく。 

そんな果てしない作業の向こう側に納得できる自分と、状況証拠じゃないきちんとした証拠が見える誰かがいたらいいな。

誰も知らない大きな声

確か横浜線の電車で大泣きしている赤ん坊と、そのお母さんがいた。
そんなに混んでなくて、座席も空いてたけれどお母さんは疲れ切っていてベビーカーを押したままうつむいていた。もう何もできないって、そんな様子だった。
みんなチラチラ見ていて、誰も迷惑がっていないけれど遠巻きに見ていた。
少し年配の、身なりはキレイとは言えないおじさんが近づいてその場が少しピリッとした。おじさんはお母さんに一声かけると、いきおいよく赤ちゃんを抱きあげた。
泣き声なんかよりも、とても大きな声で赤ちゃんをあやし始めた。
みんな少し驚いて、でもチラチラ見る目線に温かいものが生まれたと思う。
18年前、僕が19歳の頃のこと。
スマホなんてなくてみんな今でいうところのガラケーをパカパカしながら暇をつぶしていたあの頃、だれも異をとなえる人はいなかった。
でも今この話をしたら、勝手に子供触られたくないとか、知らない人だから放っておけばとか、言われるんだろうなと思い出して憂鬱になる。
いまだからわかるのだけど、おじさんはきっとわざと大きな声であやしていた。赤ちゃんもあやされてか、びっくりしてか、静かになっていた。
あの頃のおじさんは今でも同じようにふるまっているのだろうか。僕が小さい頃、困っている人を助けるのには勇気が必要だって、そういわれた。みんな、おじさんを見るまなざしの中に勇気が灯っていたんじゃないかって、そう思う。
誰かのまなざしの中には、必ず何かがある。
何もないように見えても、ぼんやりと空気を見つめているだけに見えても、内心は過去に遡ったり、未来に希望を抱いたり、自分自身に向き合っているのかもしれない。
だけど、あの時、すべてのまなざしの中には、確かに名前も知らないおじさんの姿があった。考えも背景も、抱えているものも、みんな全く違うはずなのに、あの一瞬間、みんな同じ世界にいた。

今僕は、新しい天地の名古屋、東山線のある駅の前に佇んで酔い潰れた女性と介抱している男性のペアを見ている。女性はお前のことが嫌いだと叫び、男性は目の前のタクシーに乗せようと必死だ。なんて声をかければいいかウズウズしている自分を発見した。

名前も知らないおじさんの話。
僕も、名前を知られぬ、ありのままの人で在れるように願って。

花を飾ろう

父から譲り受けたmazda2はこの半年で2万キロ走っている。
オニツカタイガーの LAWNSHIP 3.0 を買って、いい靴だから父にも同じものを買おうと思った。最近何もしたいことがないという父に「いい靴はいい場所へ連れて行ってくれる」って言葉を送ろうと思って。父はずっと安い靴を履いていた人だったからもっといい靴を履いたらいいと思っていたけれど、それは叶わなかった。結局、僕はいい靴を履いて父の車が僕をいい場所に連れて行ってくれている。「人の前に明かりを照らしたら自分の前が明るくなる」なんて言葉もあるけれど本当にそうなのかもしれない。父がなんて言ってくれるのだろう、喜んでくれるのだろうか。

父が亡くなった時、僕は母に父は大学を出ていたら優秀な研究者にでもなっていたんじゃないかと言った。そうしたら母は「お父さんは大学に行っていたらきっとつまらない男になっていたと思う。あの人は苦労をしたから価値があったんよ」と言った。言われて初めてその通りだと思う。母は昔、父が競輪ばかりしてずっと家にいるのを見て不安になったらしい。びっしり文字で埋まった予想のノートを見て母は父に投資の仕事を勧めた、そしてそれが父のライフワークになった。僕が小さい頃、父は”経済を作る作家”として経済作家を自称して、陶芸家や画家のように経済を作るんだと言っていた。母はそれを喜んで聞いているようだった。

母方の祖母が亡くなる頃、「朝顔やつるべ取られてもらひ水」と病院で教えてくれた。祖母から聞いた最初で最後の文学だった。細かい意味は別にあったと思うけど、大きくは他者への思いやりを忘れぬようということなのかもしれない。
そんな祖母の初めの子供である母は昨年、母が白いデイジーが気になっていると言っていた。花言葉は平和、希望、無邪気だそうだ。それを思い出して、父の車に一輪挿しを設置した。白いデイジーはなかなか売っていないので時々でかわいいなと思った花を挿している。父の車に母の魂をのせているようで気持ちがいい。そんなわけで最近は花に少し詳しくなった。花屋さんの店員さんにたくさん質問をする、一輪挿しは高くても300円ほどだ。最高の花の授業を聞いているようでなんだかうれしい。切り花でも世話をすれば2週間ほどは元気に咲いている。僕が世話をして飾っている一輪挿しが誰かの目に触れるとき、祖母や母の精神が確かに生きているのだ。まだうまく形に出来ていないけれど、父の精神もどこかで隠しきれない形になって出てくればいいと思っている。

中学生のころ、父が「大人になったらお年玉くれるか?」と聞いた。冗談めかして言っていたと思うけど、それは僕の心に残っている。それはきっと父がいなくなったら母にお年玉ぐらいあげろという意味だったのではないのか。
今年は母にお年玉をあげようと思っている。父が教えてくれた株式投資で得た利益の1割ぐらい。それが今できる父と母への親孝行なんじゃないか。

そんなことを考えながら最近は過ごしている。

祖母が亡くなった時も父が亡くなった時も僕は重要な時にいつもそばにいなくて、死に目には会えなかった。小さい頃、友達がなくなった時もそうだ。みんな魂の抜けたような姿で目の前に現れる。だけど、人はきっと心臓が止まったその瞬間に死ぬのではないと思う。その身を焼かれて骨になった時でもない、体は徐々にゆっくり地球の一部になって、心は周りの人間の一部になっていくのだと思う。そうやって見えなくなってしまうけれど確かに生きている。

30代前半までは自分が独立して食っていけるかとか、研究者になれるかとか、みんなが応援してくれている夢が実現できるのかとか、そういうことが不安だったけれど、今は誰かに何かを残せるような人間になれるのか不安だ。
祖母や父のように人のために何かをできる自分になりたい。

安易な方法じゃなくて、目には見えないけれど気がついたら受け取ってしまっているような贈り物をできる人間に。

中学生や高校生の頃、誰かを手放しで好きになるみたいな経験をしたことがある。相手のことを碌に知らないのに好きだなあって思うようなやつ。
そんなふうにして自分のことを好きになれたらいいなと思う。
けど、現実はきっと自分の面倒くさいところや嫌いなところがもうすでに見えてしまっているから、そこから始めて好きになる必要あるんだと思う。

こういうのやり方を何にも知らないって気がついてしまった。たぶん、今まで自分を愛してくれた人たちで担保していたんだと思う。それが良いことなのか悪いことなのかわからないけど、もう彼らが心に棲みついていてくれて僕のことを好きだと言ってくれる亡くなった友人とか親とかお世話になった人とか、お気に入りの本とか。

そんな人たちをコレクションしながら生きている。ひとまずこれでいいのかなあ、なんて考えて少し落ち着いて、まだ好きになれていない自分が心の底で意地悪くこっちを見つめてくる。君はいつからいたんだろう?君はなんで名前なんだろう?いつ覗いた深淵なんだろう?
何を食べて大きくなるのだろう、良いものなのか悪いものなのかもわからない、君をどうやって好きになろう?

お友達

昨日、小さなお友達から、小さくて大きな打ち明け話を聞いた。子供と大人の間で揺れている。自分なりにたくさん考えたけれど、特に妙案という妙案は出ず、一番つまらない無難な回答をしてしまった。つまらない大人にはなりたくないと思っていたのに、いつのまにかつまらない大人になってしまっていたのだろうか。

昔、友達には上中下があると聞いた。大正の頃の方のお話なので、上中下というのは差別的に言っているわけではないことを留意してほしい。聞いた話だと、下の友情はお金だけのつながり、中の友情は遊んでいて楽しいということ、上の友情は信念を共有する同志ということだった。上だからすごいとか下だから良くないという話ではなく、上中下の友情すべて大事にするべき、という話だったように記憶している。

さて、小さなお友達とは中や上のお友達でいられているように思うのだが、信念というほど大げさではなく、「自分がよりよくあろう」という点で同じだと感じているのだ。

『窓ぎわのトットちゃん』というタイトルの本で、一番好きな「君は本当はいい子なんだよ」という校長先生のセリフ。これが心の中でリフレインするような時間を過ごすことができた友達。

しばらくの間、忘れずに過ごすことができることを祈って。

MAZDA2

父から車をもらった。

MAZDA2なんだけど、父は「いい車だ」と言っていた。僕はノートとかアクア、プリウス、フィットが欲しかった。ハイブリッドで燃費が良くて、レーダークルーズコントロールがついている車。父が亡くなってアパートの前の駐車場を借りて、しばらくは岡山と愛知を往復していたんだけど、しばらくして星を見に行くようになった。それから本当にいろんなところに行った。

神奈川に友達に会いに行き、大阪の友達に会いに行った。しばらくして愛知に友達ができた。愛知の友達を乗せて深夜の奈良公園で鹿に触ったり、いろんなダムで星を見た。海や夜景も見に行った。野生の鹿もヤギもキツネもタヌキも、なんなら熊のような影も見た。父のガスコンロで簡単な料理をして食べた。

帰り道、みんなが寝静まると音楽を小さくしてエンジンの音を聞くと、父の声が聞こえてくるような気がする。「楽しいか?」って聞かれているように感じて、心の中で「楽しいよ」と答える。でもどんどん父の声が小さくなっていく気がする。父がいた心の隙間に、たくさんの人が入って出ていく。たまに一緒になって父の面影を眺めてくれる人もいて、仲良くなれることもある。

昨日、30分ほど久しぶりにひとりで目的もなく運転した。父の声は何も感じなかったけど楽しかった。父はしきりに「お父さんは若い頃、スポーツカーとかよく乗ってたんやで」と言っていた。

僕が小さい頃、父は小さな軽自動車に乗っていた。兄と姉が後部座席に座り、僕は母の膝の上。チャイルドシートなんてないおおらかな時代で、僕が後部座席に乗っていてパトカーの隣を通る時は「頭を下げろ!」と言われる。
そのあと父はシビックを買って、トランクも後部座席も広くなって、頭を下げなくてよくなった。そのあとはフィット、デミオとなっていったように思う。

よく母の実家の岸和田に家族で行った。高速道路で距離の書いてある小さな看板を兄と数えながら、兵庫までは起きているんだけど、そこで寝てしまう。
寝て起きるともう祖母の家の前で、父が抱えて運んでくれる。そのとき目が覚めるんだけど、その時間が言いようもなく愛情に満ちていて、心地よくて、安心していたから寝たふりをして運んでもらう。

祖母が敷いてくれた布団の中で、叔父さんと難しい話をしている父の声を聞きながら、いつ起きたと言おうか迷う。
結局寂しくなってみんなのところに行くと、父が「今のうちに大人の話を聞いておけ」と言って聞かされる。

そんな時間が大好きだったけれど、姉と兄が上京して、僕が中学生になった頃になくなってしまった。
父は身長の高くなった僕を助手席に乗せて、母を後部座席に乗せるようになった。

それからは父と車の中でいろんな話をした。僕が上京してからも、帰省の時には毎回のように岡山駅に迎えに来てくれて、食事制限を指示されている父といろんな食べちゃいけないものを食べて実家に帰る。

深夜のドライブでみんなが寝てしまっても、小さい頃の自分を乗せているような気がして、悪い気がしない。

父とは行かなかった場所に向かって、それが思い出になっていく時、縁した誰かの眼差しの中に自然と父がいるように思えたら、それが一番いい。

僕の中に溶けてもう見つからなくなった父が、ふっと友達の中に現れる時、MAZDA2がやっぱりいい車だと思った。

星をみている

早朝、星を見た。

満月だったし満点の星空というわけじゃなかったからか、落ちていきそうな点々を見つめて色々考えた。
わがままだとか、自分勝手だとか、そんなふうなこと言われるけれどそんな事の何が悪いんだとか。
アイツ、ウザかったなとか。
色々反省しなきゃいけない自分のこととか。

最近は友達と星を見ることが多くて、でも元々星を見るときは一人で見ていたから、楽しかったり騒がしかったりいろいろ。遠くで動物の声が聞こえるような静かな夜に誰かの声がクッキリ聞こえる。
穴の奥のまだ見えない底の方でかすかな灯りがいくつか流れた。知らない南半球の流星群が極大らしい。まだまだ知らないことがたくさんある。

知らないことだらけの天球をみつめる。でも自分のこともよくわからない。赤ちゃんの頃のように天球の星空と自分が区別できなくなって星に溶けていく感覚になる。でも溶け合ったはずの星たちに突然拒絶される。君はここまで来れないじゃないかー。そんなことを繰り返してずっと見つめていると1時間があっという間に過ぎる。急に友達の声が耳に響いていることに気がつく。

前にも書いたけど、白鳥の追いかけをしている人のことを思い出した。彼は『どういうわけか、心が白鳥の形をしていた』と形容していた。すごく詩的で素敵な言葉だと思ったけれど、『どういうわけか』にすごく共感した。僕もそうだと思う。どういうわけか、どうしようもなく星の形になってしまっている。

父が僕なら夜空から何か発見できるかもしれないと言っていた。昔、宇宙飛行士になりたかったけど、それは諦めてしまった。空にある大穴の中に入って誰もみたことのない風景を見て持ち帰りたいけれどそれはできないんだろうなあという拒絶感。星の王子さまや銀河鉄道の夜の世界が本当にあったら良いのにと思いながら、一方で星の形をした自分がそうなんじゃないかと思う。

夜がずっと続いて、自分もずっと天球の一部だったら良いのにと思うけれど、それは叶わない。でも叶わないからまた食い入るようにみつめてしまう。

そんなことが確かにあった、今朝のこと。

僕の地平で

僕は179cmあるのだけど、この間、出張先の都営三田線で厚底の姿勢が良い女子高生を見た。
山手線は事故で運休していていつもとは違う路線のいつもとは違う乗客。
今まで考えたことはなかったけど、5センチから10センチほどの厚底のスニーカーを履いたら視点が上がって気持ちいいのかもしれないなんて考えた。
それが今の僕の地平。

少し下を見てみよう。
僕らが普段考えるミクロなんかよりももっとずっと小さいフェムトの世界では、現実は確率の揺らぎとして認識される。
素粒子は粒としての輪郭を持たず、観測の瞬間にだけその像を結ぶ。
フェムトの世界はその不確かさを鮮やかにあらわし、我々にその限界を知らせる。

反対に上を眺めてみよう。
光の距離とエクサ秒の宇宙では、銀河の営みはとてもとても緩慢で、時が止まったように見える。
目に届く光は何百万年、何十億年も前に発せられたもので、我々の地球の地点からしか観測できない宇宙なのだ。
宇宙は我々にその瞬間の宇宙ではなく、時間の断片の集まりを、地球という一つの広大な宇宙の点までたまたま偶然集まっただけの眺めとして見せている。

少し想像してみよう。

もし僕がブラックホールを旅する宇宙人で、その強大な重力の内部から外を眺めるなら、エクサの宇宙の未来は、まるでフェムト世界の出来事のように一瞬のうちに展開するだろう。
星々が誕生し滅び、銀河の衝突と変容が、電子が軌道を跳ぶかのような速さで、まるで確率の結果のように押し寄せるに違いない。

その深淵に暮らす知的な存在があるなら、僕らとはまったく異なる時間の地平で生きている。

そんなことを考えていたら、品川駅は遠ざかっていった。
もう厚底を履いている人もいない。
一気にがらんとした電車のシートを眺めて、ひとまず座った。

僕は179センチを185センチにできる世界で生きている。
僕の地平で僕の時間を生きるしかない。
目の届く範囲で、主観でしか理解できないのは、フェムトもエクサもブラックホールを持ち出したって変わらない。

僕の地平の少し先で起きていることが、少し努力したら見える。そんな世界で父の考えていたことも多少わかるかもしれない。友達に少し良い金木犀の柔軟剤を送った。ひとまず僕は人の和を取り持つような仕事をしたい。あと、少ししたら厚底のスニーカーを買いに行こう。

そんなことを考えながら後泊のホテルに早くつきたくて、反対側のホームへ向かった。

夏の思い出

今年の夏は初盆である。
初めて昔からあるらしい墓参りに行った。そして家族旅行として有馬温泉に行った。
もうなんだか全部疲れてどこか知らない場所に行って星を見たいと思って沖縄に行って星を見た。
一つ一つ何か考えたり思ったことがあるはずなのにもう思い出せないことが多い。
夏の最後の日に、友達がフィリピンへフィールドワークに行くと言うので送りに大阪へ行った、まあ遊んだだけなんだけど、その帰り。

何か忘れているなと思ったら祖母の命日だった。慌てて母と祖母の故郷に行き、最近できたという道の駅と土産物屋で村雨を買って母に送った。
母に電話すると、道の駅なんかあるんかなどと言って、最後にお父さんも村雨は好きやったからお供えしとくわって言っていた。

その電話口の母の声が、いつかの思い出になると感じた。

そんな夏の終わり。

親孝行

親孝行ってなんのことだろう?

僕は小さい頃、父が嫌いだった。「嫌い」って言ったこともある。父はパワハラ・モラハラ気質が強くて、厄介なことに悪気がなかった。もちろん、意地悪じゃないわけじゃなくて、悪気の塊みたいな時もあった。「お父さんもお前のことが嫌いや」と小さく言われたあと、一週間ほどネチネチといじめられた。そんな子どもみたいに屈折した父は、僕の意見や考えをじっくり聞いてくれることはなくて、本当に単純に嫌いだった。

大学に行ってからも、父からの電話に出られないと、何度も何度も着信履歴が溜まった。やっと出ると、「なんで電話に出ないんだ」と叱られた。滅多に褒められたこともなかった。

耐えかねて母に相談すると、「親孝行だと思って、ちゃんと向き合ってみたら」と言われた。どうにもならなくなって、僕は19歳以来、週に一度は父と電話をするようになった。
付き合っていた彼女に父の不用意な発言を聞かれて関係が駄目になったり、僕が大学院を留年したときには、研究室に来て何をしてるのか見に行くと言ったり、父は相変わらずだった。

でも僕は、冷え切った兄弟たちと父との関係を横目に、この電話を続けようと密かに決めた。本音を言えば、父から逃げながら大学に行くより、向き合っておいた方が楽だと気がついたからだ。

父との向き合い方が変わると、何を言われても聞き流せるようになった。すると、昔の嫌なことやちょっとした思い出も、友達に面白おかしく話せるようになって、父の愚痴もうまく言えるようになった。

父が突然亡くなったと連絡が入った。

しばらくして、徐々に友人たちにそのことを伝えると、みんな僕から父の話をたくさん聞いていて、涙ぐみながらいろんな話をしてくれた。「もう新しいお父さんの話が聞けないのは寂しい」と言ってくれた友達もいた。
「僕、そんなに父の話してたっけ?」と聞くと、僕よりも友達の方がよく覚えていて、みんな「お前、お父さんのこと好きだったんだな」って言う。

親孝行なんて言葉を理由に嫌々始めた父との電話だったけど、いつの間にか父のことを好きになってたらしい。

「後悔する前に親孝行を」とよく言うけれど、急逝の一報から今日まで、「父ならこう言うだろうな」ってことが、考えてないのに自然と湧いて出てくる。亡くなる2日前に話した内容も、全部いつか話したことだった。だからもう、父と話すことは何にもないはずなんだけど、それでも実家の静けさの中に、父の生活の音が聞こえてくるような気がした。

儀式が終わって、骨壺を抱えて姉の車に乗って実家に戻るとき、骨壺の中で父が次の人生の力を蓄えているような気配を感じた。まるで、膨らみ始めた妊婦のような気分で、なんだかウキウキしながらも、涙が溢れてきた。

そのことを母に話すと、「あんたの子どもとちゃうか?」って言われて、まだ結婚も恋人もいないのに敵わないなと思った。

父が亡くなって、寂しいと思えるのは、僕が父のことを好きだった証なんだと思う。もう父と話さなくなって一週間が経つ。悲しくはないけれど、寂しい。

父は、僕から電話すると機嫌がいいことが多かった。最後には、僕のことを一番よく分かってくれていたように思う。だから、もう話せないのが寂しい。親子なんだけど、小さいころに父を亡くした父は人生の友人みたいに付き合ってくれた。

3年前に父が買った新車は、僕にくれるつもりだったらしい。僕は車があれば、新幹線より気軽に実家に帰れると思っていたけど、そのタイミングが少し早くきてしまった。
心残りがあるとすれば、お父さんの車に乗るか?とウキウキしてして聞いた父に、セッティングが崩れると大変だとか言って一度も運転せずに乗せなかったことだ。

その車で、僕はどこに行けばいいだろう。星を見に行こうか。星も、甘いものも、パソコンも、僕の仕事も趣味も、その始まりを辿れば、全部に父がいた。だから、もう実は寂しくなくてもいいのかもしれない。

父への親孝行の時間、今日からはなにをしようか。

パフェ

姉が月に数回片道1時間の場所へ習い事に行っていた。送迎は父の仕事で僕はそれについていく。
父は1時間ほど待っている間にショッピングモールにより、コーヒーを頼むのだけど僕にはパフェを頼んでくれた。
たまに売り切れていてコーヒーパフェしかないのだけど、そんなときはどうしたっけ?苦いの食べたっけ。

父が自動販売機で僕にジュースを買ってくれようとした時、決まってコーラかスプライトで、違うものを頼むと不服そうに買ってくれる。

今は父の顔色を見ずに好きなパフェを買えるけど、気がつけば父が好きなパフェとジュースばかり飲んでいるのはなんでだろう。

星を見に行く

最近、友達が教えてくれたことが僕にとっては衝撃的だった。友達が言うには、星を見るのは好きだけど、どの星がどうとか、どの星座がどうとか、考えたことがないらしい。夏の夜空も冬の夜空も赤い星も青い星も全部一緒くたの夜空なんだって。
一応、星の見えない都会で育ったんじゃないかと聞いたけれど、めちゃくちゃ田舎で育ってて、星が綺麗なところだった。

夜空を見上げて、あの星が〇〇でこの星が××でってする人は少ないらしい。この間友達に「あの普段見えない場所にある赤い星は黄道にあるから火星かなあ、今見えるんだね。」と言ったらキョトンとしていた。みんな本当に夜空に興味がないらしい。

慌てて、こんなはずはないぞと思って夜空の写真を撮る人なんかを眺めると、彼らはフォトジェニックな写真の興味の一つが夜空で、夜空や宇宙に興味なんてない(ある人は例外的な存在)らしい。

よくあるテンプレートの「我々はどこからきて、どこへ向かうのか?」という、なんだか未だもってなにを言いたいかわからない問いによって湧き上がるのは、地球が太陽の周り回るイメージなんだけど、多分これも人によって違うんだろう。

そんなことを考えながら今年の後半は長野の阿智村(の駐車場)や熊本の二本杉峠(工事中で道が凸凹だった)、地元の実家周辺のデッカい公園(街灯が一個もない)に出かけてきた。この中だと二本杉峠が一番星が綺麗だったけど、一緒に行った友達は星は綺麗だけど道が怖かったとか言ってた。僕は真っ暗な中で寝転んで上を見上げることもできるぐらいなので、なんていうか、星空にかける情熱が違うんだと思う。

そんなこんなで僕の初心者マークを貼らなくてはならない初心者期間のドライブは圧倒的に深夜で暗くて不案内な場所ばかりだった。そんな僕の運転モットーは走れる限りは走り、自信がなくなれば引き返すというもの。最も、運転している僕よりも助手席の自信の方が早く無くなるので押して知るべしではある。

全部を詰め込もうとしてもう全然まとまる気がしなくなってきたけれど、二本杉峠の夜空は素晴らしくて光ってないところがないくらいの星空だった。でも峠の裾からは夜景が見えて、その分だけ明るかった。昔は実家の庭先からも同じぐらい星が見えたのだけど、街灯が電球からLEDに変わってから見えなくなってしまった。岡山には美星町という場所があって、日本で初めて光害条例を定めた土地なんだけど、そこから言葉を借りればLEDが僕から永遠に星空を奪ってしまった。

いつも夜空の星を見るたびに思うのだけど、昔はどこでも満天の星空が見えたと思うと何か悔しさと怒りがないまぜになってこれが悲しさなのかなんて、まるで初恋のような気分になって見るのをやめる。
東日本大震災の時、計画停電で八王子駅の上にオリオン座が見えた。本当はいつも夜空も青空も底抜けの穴のようにどこまでも広がっているのに街灯やネオンの光、ピンク色の煙で穴に蓋をしてしまった。
落ち込んでいても空が底抜けに青くて、夕方には金星が見えて、深夜には無軌道の流星が見えるなら、人間は自分のことをわからなくなったりしないと思う。気がつけば、もう「満天の星空」なんて言葉も聞かなくなってきてしまった。

どこで星空を見ても、星以外の光が邪魔をする。光のない夜を探しているけれど、そんな夜はもうないのかもしれない。

残り時間 7:25

と表示されているここは太平洋の真上らしい。そういえば、今はにしなの「夜間飛行」を聞いているのだが、思い出されるサンテックも飛行機乗りだった。窓際の席なら星空が見えるのだろうか、確かめることができない。3,4,3の座席ブロックにわかれる、50Gは右通路の左側の座席だ。

昨日乗るはずだったUA804は欠航になってしまって、結局、1日遅れで飛行機にのっている。昨日はピザを陽気にやりとりするティーンネージャーに囲まれてどうしようかと思ったけど、今日の隣は筋肉がゴツい「ろっぽんぎ」と「しんじゅく」、そして「だいふく」が喋れるようになったアメリカ人。人懐っこい方だ。今は隣で寝ているけれど、チラと彼のモニターをみると海外の女優のトップレスが映っていた。

僕はだらだらフライトマップを見ながら、太陽が真上に登る場所を見ている。そして、はたと気がついてしまった。太陽が真ん中上る場所は真夜中には地球の夜の真ん中だ。
太陽は真上に登り、北極星と南極星が地平線にいる場所。今は木星が明るいから夜中にてっぺんに登る場所。
むかし、はちみつを送ってくれた友達にフロリダのお土産は何がいいのかと聞くと「星を見てきて」と言っていた。
僕の母は純粋というか頑固なんだけれど、小さい頃僕が『宇宙飛行士になりたい』と言ったことを覚えていて、何度も何度も僕が小学5年生になって研究者になりたいと言っても、母は頑なに僕が宇宙飛行士を目指していると思っていた。中学生になって柔道部に入った時、「体をしっかり作らないと宇宙飛行士になれない」と言い出したりしていた。
僕は口酸っぱく研究者になりたいと母に言い、夢を変えてもらったのだ。それほど母は頑固である。

最近は宇宙に行きたいとは前ほど強く思わないけど、暗い場所で星空をみたら地球を動かしているのが自分になったような気がして、まるでお金を出して乗せてもらったフェリーの先端に立った時みたいな気持ちで星を見ている。

そういえば、あの頃、僕は本当に宇宙飛行士になりたかったのだろう。父に星空に変な光が見えた、あれはなんだろう、UFOかな?と言うと「お前には見えるかもしれんなあ」と言い、お年玉に5000円くれる以外はお金にしょっぱい父が三万円もする天体望遠鏡を広告に載っているを見ていただけで買ってくれた。
正確には母に買ってやれ、と言って母も「良かったなあ」と言っていた。

口径が18センチぐらいあるゴツい反射鏡の天体望遠鏡の説明書には『この望遠鏡は反射式の為、上下左右が入れ替わってみえます。』と厳しく書いてあり、それを読んだ父が即座に「宇宙に上も下もないんやからこんなん関係ないな!」と言い、密かに舌を巻いたことがある。父は中学校もあまり行ってなくて、知識として持っていた言葉ではなかった。さつまいもを育てた時に緑の葉っぱを切り始めたので僕が緑色の部分で光と空気から芋を作るから緑の葉っぱを切ってはいけないと言うと、父は光合成の意味が初めてわかったと言った。そんな父が持つ世界、宇宙感に上下左右もないなんて、なんで洞察力なんだろうと思ったのだ。

さて、僕の座席が50Gだということをここでは少し忘れて、船の先頭に立ってみたつもりで考えよう。

夜間飛行の残り時間は6:36になった。隣モニターのトップレスはバットマンになり、スマホは充電器に刺さないといけない。この飛行機は東側の夜を突き抜けて朝を迎えに行くようだ。夜空を飛んでも下に星は見えないし、上も下も当然ある。だけどアポロに乗ってもそれは同じだ。僕は夜間飛行のつもりで父の宇宙を飛んでいる。上も下もない、右も左もない、座標も数えないとわからない。たぶん、同じ場所には二度と戻れない。そういう地球に乗っていない存在は地球の運命からは緩やかに離れると、自分で自分を新しい星にした気分になる。

自分の選択を誰かに任してなんていけない。自分が自信を持って決めよう、僕がなりたかった宇宙飛行士は自由に宇宙を旅する存在だ。
今は飛行機の50Gに乗っているけれど、本当はフロリダの東海岸に立って、寝転んで、砂になって、星になって宇宙を飛んでいる。
アリゲーターのジャーキーを買ってマングローブのはちみつを舐めて深夜の母に早朝の僕から電話をする。

しばらくしたらまた反対方向の飛行機に乗って自分の運命というか、役割というか、魂の場所に帰るのだ。残り時間、6:27の僕はまだ宇宙飛行士をやって、微睡みながら星を見に行く。

ひとまず宇宙飛行士の仕事が終わったら、今度は地球の夜の真ん中に行きたいな。

お金がなかったこと

ここのところ言葉になりそうでならないみたいな、思い出して何か言いたかったのに忘れてしまうような、そんな心象がずっとまとわりついていた。
ずっとそこにあるのにつかめない。忘れたりなんかしないのに思い出せない。そんな感じ。

最近僕は少し体重が増えて、72kgある。ほんの少し前まで55kgぐらいだったのに。
僕が瘦せていたのは体質だと思っていたけど、そんなのは嘘でお金がなかったからだ。
簡単な話で僕は貧乏だったのだ。
お金がないって友達に言うと信用できないなんて言う友達がいたけど、今ならそういう人の気持ちもわかる。
でも当時はわからなくて、僕は勉強を続けるのにお金が必要で、でも勉強も研究もしなきゃいけなくて仕事する時間なんてほとんどなかった。特に30歳まではびっくりするほどなくて小麦粉と塩があったら醤油と砂糖でうどんにして食べるとかそういう生活をしてた。僕にとってうどんは丸亀製麺でもどん兵衛でも冷凍うどんでもチルドの生のうどんでもなくて、小麦粉だった。
あの頃、友達と話していて、「おなかがすいてる方が集中できるんだよね」と言ってた。本気で言っていたけど今はお腹がすくと集中なんてできない。
つい半年前まで住んでいた2.7万円の夏にダンゴムシが出るアパートも、多分もう住めない。
大学1年生のころからアルバイトをしないと決めていた。
正解だったと思う。
アルバイトをせずに好きな勉強と読書と研究に打ち込んだ日々が今思い返してまぶしい。
立ち止まって迷ったり、反対の方向に進もうとするとあの頃の自分がものすごい勢いで追いかけてきて背中にタックルしてくるような不思議な気持ちになって最近は働いている。
それがなんだか楽しくて可笑しくて愛おしくて、なんて言ったらわからない。

あの頃の自分をきちんと知っているのは自分だけなんだけど、昔はそれが嫌だったんだけど、それでよかったと思う。

他人は表面しか見てくれないんだけどそれでいいしそれがいい。

なんだかあの頃いつもお腹がすいていたなあなんて思いだして、気が付いたのは最近ずっとお腹がすいてることがなかったからだ。
なんていうか、僕はお金がないほうを信用したい。
ずっとお金があった人なんて信用できない。
ずっとお腹が膨れていた人なんて信用できない。

大学教員が昔、貧乏と飯が食えないのは不幸だと言っていた。貧乏は不幸だからなくさないといけないって。僕はそうじゃない、幸せとか不幸とかはお金とか食べ物で決まらないと言ったけど、その時は理屈で返されてしまった。150人ほどの大教室でやり取りはレポートだった。今思い返して、あの時僕は一番ガリガリだったし、教授は太っていた。なんてことはない、あの中でトップクラスに貧乏だった。今僕はもうガリガリじゃないけれど、幸せとか不幸とかはお金や食べ物で決まらないと思う。

あの頃腹減ってたなあって思い出して、言葉にならない。

ジェットコースターみたいな

八王子に出張に来ている。4ヶ月ほどいなかっただけなのにもう知らない街のように感じる。でも足取りに迷いなく、体が覚えている道だ。新幹線の乗り継ぎからバスに至るまで特に何考えず、到着は一本早いバスに乗れた。

ジェットコースターは重力列車だから初めに一番高いところにのぼる。位置エネルギーを目一杯いっぱい溜める。あとは重力に惹かれるまま身を任せて仕舞えばいい。そうしたら登ったり、さがったり、傍目から見ると乱高下しているように見えるけれど、初めに溜め込んだエネルギーを超えることはない、エネルギーを失った分だけ低いところについて止まる。

みんな、うまくいかないときは何かに惹かれあって落ちることができるまでのエネルギーを溜めている。自分じゃない誰かが一番遅いジェットコースターの歩みをバカにしたり、貶したりする。でもどんどん高く登っていく。誰も見ていなくても力を目一杯貯める。

そうしたら、あとは楽しみが残る。

毎日遊んでいたら楽しみが分からなくなるみたいに、いなくなって初めてわかる友達の偉大さみたいな、そういうことがある。

力を溜めて、ズルをしないで、ためてためて。

夏です。

今朝、というか今さっき、つまり昼。
出勤しながら交差点の信号をみた時、ああ、名古屋に住んでるんだなと思った。夏のせいもあるけど、妙に鮮やかに見えて、今までのっぺりとしていて処理の追いつかなかった風景に自分が追いついてきた。
引っ越してきて気が付かなかった風景に気がつきつつある。工事してるなとか、見かけない人だなとか、今日は交通整理の人が違うなとか。
少し名古屋というか、住んでいる環境の住民になれた。

今までみたことないものを見たり、触れてない環境に居るが心地良くなってきた。
小さい頃、ショッピングモールに行ってもおもちゃ屋しか目に入らなかったけど、今は違う、そんな経験をしてゆっくり歩けるようになった。

最近は暑いけど通勤が楽しい。

ルックバックを見た。

今日は京都でひとしきり遊んで新幹線で名古屋に帰っている、その車中だ。
東海道新幹線では、車内販売がなくなったせいかホームにコーヒーの自動販売機が設置されてお金を300円払えばアイスコーヒーのジャンボが飲めるようになった。紙コップのコーヒー、蓋も自動で被せてくれる。終電の名古屋行きを乗るためにホームに15分前について、コーヒーを買うと周りの自由席の皆さんも買い始めてその度にUAの「会いに行こう」が流れる。この曲を聴くと少し前向きになる、新幹線は会いに行くための列車だ。

今日はルックバックをみた。3回めだ。

初めて見た時も、2回目も3回目も、プロローグの主人公の背中が映るシーンで泣いてしまった。
全てを犠牲にして何かを打ち込んだ経験のある人間にとっては「ルックバック」の一言ですんでしまうのではないか。
多分、僕や、彼らは凡人で褒められなければやる気を失うし、褒められなくても誰かがニコッと笑ってさえくれれば頑張れてしまえる人間だ。
だけど、それだけの理由で何かを継続するのは難しい。継続とか続けるとかなんだか偉そうなことを言っているけれど、その実はなんとカッコ悪いことか、やめられなかったのだ。

60分ほどの動画だと思う、僕は藤本タツキさんがただひたすら祈っているように見えた。自分の人生が意味のあることだと、誰かに笑ってもらえるものだと、無駄じゃないと、言い聞かせながら祈っている。ただひたすら祈っている60分、自分は何かができる人間だと信じ続ける60分。

今年は出張も多いし、友達も増えて、たくさん外に出る。
今日は美術館に行ったけど、テーマの人物は格好つけていいところばかり見せている文章を並べられていた。
僕はなんてカッコ悪いんだろうと思って、今、多分あの人もやめられなかったのではないのかとか、邪推している。

僕も何かを残せるし、あなたもきっと意味のある人生を送れる。

新幹線のホームで買ったコーヒーはジャンボというには少し小さくて文章を書き終わる前に飲み切ってしまった。
今日はぐっすり寝て、明日は日曜日だけど仕事をしよう。
トラブル続きの4月スタートだったけど、遅れてもいいきちんとした仕事をする。

きっと誰かが見てくれている。

紹介状に書いていたこと

ここではきちんと書いていなかったのだけど、僕はいくつか病気を持っている。

この間のポストに書いた「前庭神経炎」はほぼほぼよくなっていて、薬を飲んでいるだけなんだけれど、それとは別に遺伝性の病気を持ってる。
二年前、博士課程を卒業して仕事を始めたころ職場での健康診断を受けた。学生の頃はさぼっていて健康診断を受けたことがなかったので二十歳のころ以来だったかもしれない。そのころLDLコレステロールが異常だったことが分かり、間もなく家族の病歴から”家族性”高コレステロール血症の疑いで高コレステロール血症の診断を受けた。1年ぐらいはまともな治療が受けられずにいろんな医者に対応してもらっていたのだけど、いいお医者に当たって以降はずっとその方に見てもらっていた。
僕は四月から名古屋に引っ越したのだけど、その時に紹介状を書いてもらった。
新しい病院は高コレステロール血症の専門医がいる小さなクリニックに行った。すごく親切にしてくださって20分ほど丁寧に問診してもらった。紹介状をコピーして持っていきなさいと言われた、病気の記録は一生持っているべきだと。そこには「患者様は薬剤に関心がございます。医療不信はなく、お話がきちんと通じる朗らかな方です。」と書いてあって、なんだか自分が気が付いていなかった優しさに触れて参ってしまった。それも自分が朗らかだなんて思ってもいなくて、思いがけずほめてもらったような気がした。

一時は病気も悪いものじゃないのかなあなんて思うけど、やはり薬を飲む瞬間は自分が病気なんだと強く感じる。とてもいやだ。

おくすり

一日たくさんの薬を飲んでいる。

薬って不思議だ。自分にとっていいものを取っているはずなのに何か悪いものを飲んでるんじゃないかって、親に隠れていたずらするような気持ちになる。もともと遺伝性の疾患があったので定時に薬を飲んでいたけど、最近では一日に三回のまなきゃいけない。初めはこそこそ飲んでいたけど、気が滅入ってきたので、堂々と飲むことにした。

薬の粒には人類の英知がつまっている。すごいもん飲んでるんだぞ~~~~~!

あと二週間飲めば一日一回だけになる予定

世界から愛されて生きる

今日から世界から愛されて生きよう。

何も我慢したり、誰かに強制されたり、生きるエネルギーに蓋をしなくてもいい。たくさんの好意に包まれて生きよう。そういう風に世界を決めてみよう。

お米の一粒一粒に祈りが込められているように、夜空の星々に名前がついているように、砂漠の砂の一粒一粒が時間の比喩になるように、膨大な空間と果てしない時間の中で生きていることが、愛されていることの証だと今日から決めよう。

人を傷つけてはいけないように、人を喜ばせることが人々の仕事になって、起きてから寝るまで、生まれてから死ぬまで、世界のことも愛すときめよう。

過去も現在もまだ見ぬ未来にも慈愛にみちている。

そういう風に世界を決めよう。

休息是為了走更長遠的路

左前庭神経炎って名前の病気になった。

車に乗っていたら急にめまいがして一時的だろうけど、ハザード炊いてコンビニ入るかと思って車を停めたらもう視界がずっと回ったままで立ち上がれなかった。そのまま救急車に乗って点滴で薬を入れて症状を抑えてもらった。

昨日が今日になって専門医にかかり、診断を受けた。酷い症状だけど治りますよ〜、命にも別状はないし、一カ月で治ります。再発もないですよ〜と言ってもらえた。
まっすぐ歩けないぐらいにフラフラだったけれど、運動した方が良いとのことで病院から歩いて帰った。妙な時間に歩いていたからか、小学生たちと一緒になって歩くことになったんだ。

「お車がきているから道路に出ると危ないよ〜」
男の子「んん〜!なんか言った〜??」
「車が向こうに見えるでしょう、車に道をあけてあげないと危ないよ〜」
男の子「わかった!ありがと!あの人はいい人だ!教えてくれた!いい人だ!」

恥ずかしくなってすぐ通り過ぎたけど、それを聞いていた、たくさんの小学生が僕に「こんにちは!」って声をかけてくれた。みんな道にはみ出さないようにしていた。みんなチラチラ僕を見ながら「こんにちは!」「こんにちは!」元気の塊が追いかけてくるみたいに感じた。こんな風景がまだ生きてるんだと思って。

初めに書いた中国語は「一休みはより長い旅のため」最近見た映画での言葉、台湾で有名な言葉らしい。病気で自宅療養になるけど、これも大きな仕事のためだと思おう。

「こんにちは!えらいね!みんなえらいね!」って言いながら道を曲がって家に着いた。みんなにも僕にも大きな旅が待っている。

サイドミラーにアイコンのような女の子を映して

一言も話せなかったんだけど、かわいいをアイコンにしたみたいな女の子をみた。

彼女に何かできることはないか考えたけど、何にもできなかった。

世界は個人をアイコンに収めてパッケージにして商品化して何が楽しいんだろう。

僕は基本的なマインドとして世界への反骨精神がある。みんなから自由を奪ってのっぺりとした人間にしてお金を回せばいいと思ってる?

今日はとても不思議な一日で、でも変わらず自分が自分らしく居れたからこれでよかったのかな、数億年ぶりにお酒を飲んで酔ってる。
多分最後に酒を飲んでつぶれるように寝たのは金沢の居酒屋だったと思う。あの頃から何にも成長できてない気がする。
僕が他人に気をかけて、優しいと思われるのは自分に甘いからだ。

昔、誰かにみんなはそんなに強くないって言われたことがある。
みんな、夢を追い続けることはできない人が多いし、長い間の貧乏には耐えられないし、寂しさにも耐えられないって。
でも、心のすみっこで一番小さい自分が常につぶやいている。

「じゃあ、頑張って耐えて、何かを得た人はそうじゃない人から妬まれるのは不公平じゃない?その分お金も、世間並みの事も、たくさんしてきたのでは?」

財力や社会的地位の保持には責任が伴うというけれど、行使しない力に責任だけが重くて苦しい。

ずっと少しずつ悲しくて、そして苦しくて、本物の誇りがある。

僕はこの地球をこんなにも愛しているのだから、愛されるべき存在でいてほしい。
どんなに知らない他人でも苦しんでいる人を見るのは苦しい。
目に入ると無視できない、問題はそれに耐えれる精神力が僕に備わっているのか試されているってことだ。

我慢してるだけじゃだめだ。
信頼と信用が欲しい。

少しでもいいから世界を自分の思うように変えたい。
きれいな部分だけ見て生きていたい。
自分の好きなところだけ誰かに見てほしい。
みんなの事を愛せる自分になりたい。

そういえば、台湾の映画を見た、「青春18×2 君へと続く道」ってやつ。
僕が小さいころに感じていた感情が詰まっていて、とても良かった。
今日は久しぶりに飲んで、詰まっている感情があふれているのに声に出せなくて苦しいけど、文字に救われる。

僕はこの世界が好きだからこの世界からきっと愛されている。
そんな自信がある。
心は世界のどこにだって一瞬で飛んでいける。
今年もいろんなところに仕事で行って、旅行にもいって世界の事を知りたい。

いいところも悪いところもきれいなところも汚いところも全部教えて。
全部、心に収めて世界中に連れて行ってあげるから。

ゴジラ-1.0をみた

ゴジラ-1.0 を見て来ました。

そういえば報告しそびれていたけれど、3月の末に退職して、5月の頭から働くようになりました。この辺りの事情は気になる人は直接僕に聞いてください。。
つまり、4月は無職になり、バカンスを謳歌できる時間でした。5kgほど痩せて、体調が整い、部屋も整いました。

思い立って友達に会いに大阪まで車で弾丸往復したり、マッチングアプリの女性とわらび餅を食べに行ったり、いろいろお話はあるが、休暇というものはあっという間に過ぎてしまうものでもう30日である。
なんだかんだ仕事を少しづつ始めていて、前職の間できなかった個人的なテーマやボランティアの仕事を進めた。
全然手につかない場所はあるのだけれど、なんとなくうまくいっているように感じている。

今日、思い立ってゴジラを見てきた。
何か焦ったような気持ち、人生の休暇が終わってしまう!!楽しまないと!!、で駆り立てられたような気持ちになって、見てきた。
ゴジラは痛切に物語がファンタジーであることを意識させる作品だと思う。
ゴジラって何なんだ?ってことが根底のテーマにあり、あるフィクションを示すことで何かを提示する。
「ゴジラ-1.0」示すフィクションは零戦の後継機である『震電の緊急脱出装置』である。物語では時代が浮いているシーンがある。先に示したフィクションとゴジラに取り巻いてガスを発生させる装置が不自然に近代的であることだ。これはCGの予算の問題などではなく、意図してある演出であると思う。つまり、-1.0の舞台は戦後であるものの、アンチゴジラを提示する主体やフィクションは現代であるということだ。
戦中の着陸できない零戦の魂はゴジラとの決着ではなく、緊急脱出装置によって飛び終えるのだ。
そしてゴジラとの決着は誰一人死なせない信念のもと決着する。

人は何かの犠牲になって死んではいけないという、時代の精神を感じる。

情報や格差の分断のみならず、事実や真実まで分断していく現代にゴジラが語り掛けてくるのは命の尊さだ。

我々は様々な隔たりを飛び越えて、暴力によらずにもう一度、平和のために集まることができるかを問われている。

僕はバイデンでもトランプでもいい。脅しと戦争と金による争いを終わらせるリーダーであればだれでもいい。
世界から平和だけを掬い取って希望として提示してほしい。
映画はお金を払って見に行くものだけれど、そうじゃない、日々の中で感じたい。

あんまりよくまとまらないけれど、もう仕事の〆が迫っているし、ここまでにしよう。

将来見返した時にこの文章の答えがより明確に僕の中にあるように祈って。

9:58

100mの世界記録は9秒58なんだって。

この記録を知らなければ世界で一番足の早い人間は村ごとにいたのかもしれない。
9秒58を知って、「超えれる」と考える人と、「超えれない」と考える人がいる。

超えれると考える人たちは変な人らしい。

僕は足は遅いけど、超えれると考える方の人間だ。
だから超えられないのが心地良い人とはうまく行かない。

引っ越し

怒涛の引っ越しが終わり、一段落して僕はどこでも生きていけるのでは。とわかってしまった。
4月は出会いの季節だという、たしかにいろいろな人に合う。
近所のおじさん、大家さん、大家さんの娘さん。
新しいアパートは家賃が4.2万円でオール電化で鉄筋コンクリート造だ。
天井が低いこととシャワーの勢いが悪いこと、それとお湯の温度がデジタルで指定できないこと以外は何もかも揃っていて何もかもいい。

新しい家で、新しい冷蔵庫と玄関を指紋で開けれるようにしてくれるデバイスを取り付けて部屋を掃除した。タイルカーペットを床に敷くのに面倒なところ残して適当に敷いて暮らし始めてしまった。

3月の末から鬱陶しいことが多くて嫌だ。適当な人が適当にやってきて適当に自分の考えていることだけを話してどこかに行く。

名古屋のIMAXで映画見た。オッペンハイマーだ。
なにか、ここで自分のすることが見つかっていないような気がしてイライラする。
全部揃っていて、前より快適なのにイライラする。
イライラしながら全部見た。

明日知り合った人とわらび餅を食べに行くけど、なんで僕は知らない人とわらび餅を食べなきゃいけないんだろう。一人で食べればいいのに。

どうして、どうして、どうして。

何がこんなにも嫌なんだろう。ストレスが足元から這い寄ってきている気がする。

世界から打ち捨てられたような気分になって名古屋の夜を歩いた。
バカみたいに道幅の広い道路の横断歩道を歩いて、知り合いのいない土地は日本でも海外でも変わらないとわかった。

やっぱり僕はどこにでもいける。
世界が小さいことが名古屋に引っ越しただけでわかってしまった。
どこにいてもなにをしてもこのブログをたまに書いて、誰かが読んでるらしい。

名古屋の空港にいってたくさんのういろうを買ってたくさん食べたけれど、全部同じ味だった。
なるほど、僕の舌はういろうをまだ知らないらしい。

こんにちは。
名古屋、はじめまして。

引っ越し

10日ほど前にweb面接をした。次の職場は名古屋になりそうだ。
正月に免許合宿に行って、一月の末に府中に免許を取りに行った。カーシェアで二回ほど車を借りて運転をしたら一時間もあれば自分の行動範囲が回れることが分かった。
面接の結果が分かったら、引っ越しの準備をして今いる場所を引き払ってやるべきことをしなければならない。

今日録画していた探偵ナイトスクープを見て、モニターの中で「突然走れなくなった女子高校生」が一生懸命走ろうとしていた。専門家や催眠術師、周りの大人がたくさん助言をして、状況は理解できるけど状況はなかなか改善しない。物語はそのあと、訓練をして不格好だけど少し走れるようになって今のところ終わってしまった。走れない女の子は最後には気負いなくコロコロ笑いながら上機嫌で過ごしていてなんだか泣いてしまった。
突然何もできなくなってもそれを受け入れて前向きに過ごしている女の子がそこにはいた。

泣いてしまったのは私にも同じ経験があったからかもしれないし、そうではないかもしれない。
よくある物語では、四畳半って言葉出てくるけれど僕はずっと1kの六畳で過ごしていた。備え付けのコンロなんてなくて五千円で買った一口コンロで何でも作った。人間は環境で決まらないってことを教えてくれたと思う。やる気に満ちて一晩で専門書を読み明かした朝も、やる気が起きず死んだように過ごしたひと月も、一夜漬けで必死作ったダメダメなプレゼン資料も、この部屋が見ていたと思うとなんだかいとおしく思えた。二年前、博士課程を何とか卒業した時、何も考える余裕がなくて静謐とした時間の中で過ごしていた。自分の人生の中であの時間ほど尊いものはなかったと思う。あの時、引っ越さなかったのはこの部屋が好きだったからだ。

免許を取って初めての高速でほったらかし温泉に行った。ほったらかし温泉は学生の頃、友達と一緒に行こうって何回も言っていたけれど行かなかった場所だったけれど、2時間もかからずに到着してこんなもんかっておもった。2時間なんてあの頃、大学から帰り道の分かれ道で少し話していたらすぐなくなってしまうような時間だった。大事なのはどんなにみじめ悲しくても上機嫌でいることだと思う。

できることを少しづつ増やしながら振り返ったらどうやってここまでこれたのか不思議になるような人生がいい。数えきれないほどのステップをこえていく力が人には元々備わっている。結果が大事なのではなくプロセスが大事だと腐るほど聞いたけれど、そこには言葉以上の価値が、可能性が、不思議が詰まっている。新しい職場では教育にはかかわらないけれど、研究を自分らしく頑張って凡人らしい結果しか得られなくても本当に価値のあることがしたい。
僕とかかわった人がそれと気が付かなくてもいい、少しでも自分が不思議で価値のある存在だって思ってほしい。

4月からはたくさん今までやって来なかったことをして、もっとできることを増やしたい。赤ちゃんの頃のように戻って上機嫌でできると思う。

しばらくしたらこの投稿を読み直して思い出そう。

雪をみた

雪を見るといつも不思議だなって思う。

僕は岡山で育ったので、身近に雪がなかったからかもしれない。
雪はなんで街を真っ白にするのだろう。あんなにゆっくりふわふわと落ちてくるのにすぐ何でも全てを真っ白にする。
どんなに洗濯や掃除をしても落ちない汚れや痕跡も全て真っ白にして文明も機能しなくなる。
そのくせ、楽しいときはすぐに溶けてしまっていつまでもグチャグチャ日陰に残っているのだ。
あんなに幻想的で、嫌われていて、好かれている存在はないんじゃないだろうか?

小さい頃は、不思議で珍しくて楽しかった雪の結晶は年齢とともにかすれてなくなっていく。

今は初雪の日だけ心が子供の頃に戻って「ああ、不思議だなあ」って思う。

そして嫌になって、忘れて、また子供に戻れる一瞬を毎年待っている。

去年の19日から福島県に免許合宿に来ている。
僕の運転センスは人並みに下手で頑張ればなんとかついていけるレベルで、絶望的にセンスが無いわけではなって感じだ。そういえば自転車に乗るのにも時間がかかった気がしている。僕は物を暗記したり、新しいことを始めるときには人よりも時間がかかることを思い出した。物事が僕の中に腑に落ちてきちんと仕舞うところが見つかるまでに時間がかかるのだ。ぼんやりと靄のかかった頭で免許の合宿に来て今はクリアになってきている気がしている。
あと3日で卒業できるかもしれないらしい。
そういえば博士課程も9年かかったし、なにかを修めるにあたって誤魔化したりできない性格なのだと思う。

振り返って、自分のことをとても不思議だなあって思う。

今存在していて、こうしてノートパソコンを見つめて文字を追いながらタイプしている自分が不思議だなあって思う。

明日は高速道路の教習なのに明日のことはなにも考えずに雪を見つめながら不思議だなあって思っている。

そういえば、僕の情熱の素は「不思議だなあ」から始まっていた。不思議と思うことは素敵で興味深くて美しい。

雪の一粒一粒を空から拾ってきてポケットに入れておけないみたいに「不思議だなあ」って気持ちもいつもあるのにポケットに入れるみたいにして持っていることはできない。

常に、「不思議だなあ」って思わなきゃ忘れてしまう。

自分を忘れないために毎年雪をみて不思議だなあって思って確かめよう

なんかまたやってる

寝る前も、起きたときも「もういやだ。やめたい。やりたくない。」と思っているのに歩いて職場についてパソコンの前に座ると「何ができるかもしれない」と思い始めて、何もできないと分かって帰る。
これを繰り返して少しずつ進んでいる。

今日ももう何もしたくない!と思って寝る。2年前のあの静謐な時間は過ぎ去ってしまって、今は隣の部屋から咳払いや話し声が聞こえる。

アパートのドア(玄関)を開くと隣の住人の洗濯物が干してある。いつみても干してある。いつの間にか住人が増えたらしい。

明日も「もう何もできない!」と思っておきて昨日の夜に見た洗濯物をながめて出勤する。学生に少しばかりのものを教えて、自分の質問は解決できずに一日を終える。夜に仕事をしないように緊張して夜を迎え、力尽きて寝る。

福岡とハワイに出張に行って買ってきたお土産を渡さずに賞味期限を迎えて自分で食べている。誰かとごはんを一緒に食べたい。

たくさんの場所に行って

去年、オーストラリアに行った。オーストラリアに行って初めてポスター賞をもらった。「若手研究者頑張ってね」という賞だったけど、それでもうれしかった。何をしているかってことも大事なんだけど、初めての南半球はわかっていても驚くことがたくさんあった。

オーストラリアのゴールドコーストの海岸で夜に海に入って砂浜に寝転んで星を見た。

次の日に「サメが出るから入らないほうがいいよ」と言われたけど、とても貴重な経験だった。むこう側に見える海は太平洋で、アメリカ大陸のほうに向いているはずだけど、とても大きくて穏やかだ。

オーストラリアは海もいいし、星はもっと良かった。それは上下が逆になったオリオン座だ。

ヨーロッパの中世後期、封建社会を打ち破ったのは産業業革命だという。しかし、産業革命の前には世界中の航路を開拓した航海時代がある。航海時代はコペルニクスの地動説よりも前の時代だ。私は、当時の賢い人々はすでに地球が丸くて自転してる事を知っていたのではないかと思う。そうでないと説明のできない夜空が目の前に広がっているのだ。いくら教会が地球は宇宙の中心で夜空が不変のものだと説いても、荒波をこえてきた人間の目には逆さまの星座が見えるし、北極星はどんどん見えなくなるはずだ。
僕は生まれた環境や住んでいる場所、旅行なんかで人間の本質は変わらないと思うけれど、育っていく精神があると思う。与えられた情報の中で賢しげになってはいけないと思う。

“逆さまの”オリオン座を見上げるとき、自分の座標をどこに定めるのかを人は問われている。実はオリオン座に上も下も右も左もないんだ。いつか、宇宙のどこかからオリオン座を見れたなら、それはもうオリオン座だとは思わないだろう。地球に住んでいる限り、オリオン座の形はかわらないし、見ている星たちがオリオン座かどうかなんかで揉めなくてすむ。

オーストラリアは広い海と真逆の季節と、”逆さま”のオリオン座をみせる。オーストリアは僕に、僕らの故郷が地球なんだって言っているのだ。
僕らはどんなに遠くに行けるとしても、まだひとまず地球の範囲内だ。近い将来火星や月に行ったとしてもオリオン座の形は変わらない。

明日はパスポートの更新に行く。

なんで生まれた星を移動するのにパスポートが必要なんだろう。月に行くわけでも火星に行くわけでもないのに、生まれた星を移動するのに許可が必要なのはなんでなんだろう。

波は動かない

コンテナは画材のコンテが雑然と積まれているように見える。
雲はただのレイヤーのように動いていて、隙間に見える海は粘土細工だった。

窓際に一人で座ったのはいつぶりだろう、東京の戻る飛行機の中で僕の窓からはつやつやの海が見えた。
この海をなんていえばいいんだろう。飛行機から見ると海はびっくりするほど表情を変えない。固まったまま波はただの模様のようにして見える。絨毯のような海を見下ろして機内食を食べた。

離陸の際に写真を撮ったけれど、窓の水滴からフォーカスが動かなくて水滴の写真になってしまった。
飛行機の上からはインターネットから切り離されて、水滴だけが動いている空間になっていた。

僕は一人で乗る飛行機が好きみたいだ。

映画館も新幹線もいいけれど、飛行機のほうが非日常感があっていい。
それと、海外のキャリアの飛行機のほうが座席が広くていい。

どうしても逃げたくなったらまた飛行機に乗って海外に行こう。散歩をするだけでいい。
少しだけ話せる英語も話せないふりをして誰も知らない街で何もできない街を歩いて気分転換をしよう。
よくわからない食べ物とよくわからない飲み物を胃に入れてどんどん歩こう。

いつか、粘土のような海の上にも、まだ見ぬ砂漠にもいこう。

汽車に乗って、飛行機に乗って

この間、初めて夜行列車に乗った。

今は飛行機に乗って台湾に来ている。

そういえば、初めて新幹線に乗ったときを覚えている、父と二人だった。

父はあの時いくつだったろうか、梅田で少し迷子になって父はあてにならないと思ったのだ。
子供残酷で浅はかだ、大人でも道に迷うのに大人は道に迷わないと思っている。
初めての記憶は忘れないなと思う。毎日どんな事があっても家に帰るみたいに帰ってくる感情がある。
昔、聞いたYUKIのライブの音源で言っていた、二十歳の頃に夜汽車で上京したこと、ふとした時に思い出すこと、おとなになったこと。

そうだ、思い出すということが大人になるということかもしれない。穏やかに思い出せることが大人になるということ。
なんかいい感じの説得力がある。

初めての台湾はくっきりと思い出せるのに、もう夜行列車のことはあんまりだ。
自分一人の思い出ってそんなにないなあと思う。
自分一人の時間は消費を重ねていくばかりで何も価値のあることはできていないのかと思ったけれど、少し違った。
大学院生活がつらいときの思い出は穏やかに思い出せる。
それもやはりいつでも帰ることができる思い出なんだと思う。

はじめての台湾は6か月前で、往復は34000円ぐらいでLCCで観光だったけれど、今回は往復7万ぐらいのフルキャリアで仕事できている。
目的が違うだけで全然違う印象になる。つくづく物事の印象は自分の感情で決まるなあと思う。

思い出というのはストーリーではないんだなあと思う。感情なのだ。感情がそのまま保存されている。
それを溶かして思い出す時、追体験をする。
穏やかに思い出せるのは自分が時間とともに少し変わって同じ感情を飲み込めやすくなっているんだと思う。

あと二日間は台湾にいるけど、もう日本のご飯が食べたい。

あともうなんか人に嫌われたくない。おこられたくない。誰かの感情でびっくりしたくない。

ベイクォーターで乗れる船

いつも思い返して不思議なのだけど、横浜駅に行くときは思っていた場所に行けないことが多い。

ケーキ屋もそうだし、チョコレート屋さんもそう。
栗原はるみのご飯屋さんがベイクォーターにあったころによく横浜に行ったけど、今は関東には日比谷にしかないらしい。

10年前、横浜から水上バスに乗った。その頃のイメージとは全然違ったぼろい船で触ろうと思えば海に触れるぐらい距離が近くて、しぶきが顔に当たってた。

あの頃は10分ほどしか乗らないのにこんなにお金かかるの?とか思ってたし、椅子が薄いブルーのプラスチックで、座る前に水に濡れていないか確認して座った。
誰と行ったかもあまりよく思い出せない。

君たちはどう生きるかをみた

金曜日に見てきました。現代美術の企画個展みたいな作りの映画で楽しかった。これは吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』のアンサー映画だと思う。

一部では宮崎駿の集大成などと誇張しているがそれは正しくない。集大成ではないがそれよりも良いものであるというのが私の感想です。
メーテルリンクの「青い鳥」をサギに置き換えたような進行で物語は進む。戯曲のような心象をつなぎ合わせたような作りである。
これはなぜかといえば吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」に対する、私はこう生きたぞというアンサーだからである。
新海誠に影響でもうけたんか?と思いたくもなるし、黒澤明の『夢』のような作りだ。

だから集大成というにはチャチな作りですべての表現が今までの映画の下位互換のように受け止められて自然である。
つまり、これまでの作品を彷彿とさせる各シーンはセルフオマージュではなく、ただの素描、デッサンというのが正しい。
あれは、小さい頃の宮崎駿がこう生きようと考えていたと、その現れと考えることができる。

最後の結末で、石を持ってきてしまった主人公は、ある意味子供のまま大きくなってしまった宮崎駿を指しているといってよい。
振り返れば自身の作品のエッセンスが人生のそこかしこにあったと。そういう意味である。
さて、ここまで読めば理由はともかく、僕がアンサー映画だと主張したいことがわかると思うが(笑)、この映画見て我々に宮崎駿が迫る回答は『お前らは何を考えてどう生きるつもりなのか?』ということである。

今回、宮崎駿が提示するメッセージはとてもわかりやすい。石を持って帰ってこいという話だ。今抱えているエッセンスを忘れないでというメッセージ。

ちなみに、公開直後の監督のインタビューはいつも嘘ばかりなので気にしてはいけない。

あ、そうだ。たぶん、あの映画には今までの作品になっていない未発表のエッセンスが巧妙に隠されているのでそれを探しながら見ると面白そう。

リトル・マーメイドを見た

働き始めてから一人で出張に行くことが多い。院生の頃は後輩と学会発表に行っていたので一人で行くとなるととても気楽で少し寂しい。今日から一週間を香川の小豆島で過ごすけど、岡山で育ったのに一回も行ったことがない。
瀬戸大橋も初めて渡ると思う。そんなわけで僕は今サンライズ瀬戸に乗ってこの文章を書いている。
八王子駅から横浜駅でサンライズに乗り換えて高松に向かう。高松には朝の7時すぎに着くし、横浜駅では途中下車をして腹ごしらえと映画を済ませてきた。八王子駅で髪の毛も切ったけど、サンダルを買うのを忘れたな。
時系列に逆らってしまったけど、このブログでは勘弁してほしい。細かいことはどうでも良くて今の思考を辿れたらそれでいいのだ。

サンライズ瀬戸

さて、リトル・マーメイドを見てきました、今日で2回です。前回吹き替え見たから今日は字幕だなって思ってたけど、どっちも字幕だったっぽい。今日見てわかるのだから本当に記憶というのは曖昧なものだ。
こんな言い方をすると、記憶が曖昧なんて頼りないと言われそうだけど、僕は曖昧な記憶に頼って生きていくことはなるべく減らしたい。記憶頼りに断言することなんて怖くてできない。だけど、記憶力に自身がないわけではないよ。

配役について疑義のある人がいるみたいだけどそんなことはない。とてもいい映画だった。

リトルマーメイドの実写版は『僕たちわかり会えるよね?』って問いかけだ。

意地悪なおばの魔女も見方が違うだけで無理解になる父も人間とわかり合いたいアリエルが傷ついたり、行動を起こすと出てくる。
いつも手伝ってくれるフランダーはイエスマンだし、セバスチャンはなんだかんだ味方になってくれる。

ものがたりはアリエルが父と言い争って「見方が違うだけなのに!」と叫ぶところから動く。

今作のアリエルは無鉄砲で無邪気なだけではない、賢く芯があって親思いのキャラクターだ。
物語は海と陸で進んでいく。
アリエルは自分の無知から父を危険にさらしてしまい、王子のエリックと一緒になって戦う。
アリエルは父に反省を示して、エリックはアリエルの残したドレスを抱いて母の「世界が違うのよ」という言葉でドレスを海に返す。

物語は一度、アンデルセンが記した結論を提示する。
そう、アリエルは泡になって溶けてしまったのだ。

そこから暗転して、経過を語られることなく、アリエルは父に人間にしてもらい陸に登り、いつの間にか理解者になった母に見送られてハッピーエンドだ。

本当に物語はハッピーエンドなんだろうか?暗転しての物語の結論は「見方が違う人とわかり会えることは難しい」ことを示唆しているんじゃないのか。
難しいけれど、「わかりあえるよね?」ってことだ。
アンデルセの物語からもう何年立つのかわからないけれど、僕たちはわかり会えるのだろうか?

みんなが抱えている、誰もわかってくれない、いつか泡になって消えてしまった気持ちにまた会える日は来るんだろうか。

車窓から見えるJRの線路には人がいないけれど、なんだか特別な感じがする。
泡になって消してしまっていたのは、誰とでもわかり会えるはずだっていう自分の気持ちなんじゃないのか、そう思ったら心の中のネプチューンや女王が自分の世界から出てはいけないとささやく。
映画は肝心なところは隠してしまって何も教えてくれなかった。

いい映画だけれど、諦観がところどころに見える。「理想よりも目の前の事が大事です」っていうセリフも実はなんの意味もなしていない。エリックの目の間にはいつも理想があったからだ。
エリックもアリエルも困難から逃げない。
問題の本質を見つめて逃さない。

問題の本質を逃さなければいつか分かりあるのだろうか、ぼくもあなたも。

鯉のぼり

僕に仲良くしてくれているイギリスの留学生が私はコイキングですと、ギャラドスになりますと言い始めた。
どうやら彼は最近、日本で鯉が龍になった伝説を聞いて感銘を受けたらしい。
「登竜門」とか言葉があるように、鯉が滝を登って龍になるって伝説のことをみんなが忘れていてもモチーフとして残っているのが面白い。

彼とのおしゃべりと簡単な打ち合わせを終えて自室に戻ると机の上に一枚の写真があった。L判のインスタントカメラで撮った写真、写真の周りに白い縁があって時代が立っているとわかる。
この写真のことはよく覚えている。
一番仲の良かった友達と鯉のぼりをつけた竹の棒をもって僕が写っている。
その日はなぜか父の機嫌がよくて家の裏にある竹の棒の先に鯉のぼりをつけて持たせてくれた。
友達とそれをもって外に出たけど、風が強くて鯉のぼりは小学低学年の僕らには重たかった。
友達がお母さんに見せたいと言ってその子の家に向かう途中、近所のおばあさんがニコニコしながら道に出てきて取ってくれた写真。
鯉のぼりを持って歩く僕らにみんな優しかった。

その後しばらくして、友達が亡くなってしまって、しばらくその写真は実家のアルバムに挟んで置きっぱなしにしていたけれど、大学院で思うように結果が出ない時にその写真を持ってきた。
なにか、友達が守ってくれるような気がして机の上において頑張ってきた。
僕が持っている写真は少なくてその写真以外は他の友達も写っているからなんだか悪い気がしてこの写真を持っているのだ。
留学生と話して、子供の日にとった写真だと思いだした。もう30年近く前だ。

あの頃の鯉を机に置いて、立派な仕事をやりたい。

お金とか賞とかじゃないあの頃の鯉に褒められたい。

龍になりたいとは思わないけれど、あの頃の鯉が僕にとっての希望だ。

コインランドリー

12時を過ぎたころ、アパートからコンビニまでの道を歩いていると、やけに標識やガードレール、横断歩道や歯医者の看板が目に入ってきた。
八王子は腐っても東京なのか、どこかの明かりがそれらを照らしていた。
ふと空を見ると、西の低い空に月明かりがしていて、暗い空に雲が平らに横たわっている。
信号機以外のすべての色がくすんでみえて、これがグレーって色なんだって意外な発見をして歩いた。
今年度は引っ越しするかもしれないとか思うと、街も違って見えるらしい。
コンビニで野菜ジュースを買って小銭を作ったら、またアパートに戻って残りの洗濯物をもってコインランドリーに向かった。

土曜日の今日は二週間分の洗濯物がたまっていて、それでも何もやる気がせず、夕方になり自分でもあきれながら5回ぐらい洗濯機にかけた。
二回に分けて今ランドリーの一番大きい乾燥機に持ち込んで8分100円、64分間乾燥機にかけた。
二回目にコインランドリーに行ったとき、19歳ぐらいだろうか、男の子が乾燥機に服を入れ、女の子が大きい洗濯かごに乗り込んでクスクス笑いながらはしゃいでいる。僕が入ると、少し二人の声のトーンが落ちたけれど、上機嫌のまま男の子が洗濯機に入れ終わると去っていった。

最近仕事では頼りにされることが増えて、自分しか問題点を理解していないような局面が増えた。普通なら黙っているんだろうけれど後で誰かが困ると思うと放っておけずに働いてしまう。それで事情を知らない人には僕が仕事を増やしているようにも見えるらしく、反感を買ってしまった。みんなできるだけ仕事を楽にしておきたいらしい。おしゃれな小説でよくある情景描写で登場人物の心理状況を描写するのは、あれは、テクニックじゃないんだって気が付いた。

今日はこの文章を書き終えたらコインランドリーに洗濯物を取りに行って、丁寧にたたみ終えたら仕事をして寝て仕事をしてスーパーに行って寝たら月曜日だ。もしかしたら日曜日には映画館に行ける時間があるかもしれない。
明日はありったけの糖分を買って来週の仕事がはかどるようにしてしまおう。
そして来週は忘れずに洗濯機を回そう。

そういえば2か月前に台湾へ遊びで行ったけれど、台湾のコインランドリーではコインを飲まれてしまった。台湾の街もくすんでいた。

あと二十年ぐらいして時間があったら小説を書きたい。

僕らの出会った場所

今年も去年も暖かい冬だなあとおもっていたけれど、そんなことは全然なかった。めっちゃ寒い、最強寒波らしい。12月にコンバースの綿のダウンじゃないダウンを買って着ている。

去年の3月からSpotifyに月額980円を払って音楽を聞いているのだけど、ここ3か月はずっとSalyuの歌しか聞いていない。最近は「僕らの出会った場所」ってやつを聞いていて、
言葉にできない感動を言葉にしようとしてこの文章に向き合っているけど、うまく言葉出来ない。

はじめは歌詞かなと思ったけど、たぶん違う。声がいいのだ。声がいいから歌詞はあんまり耳に入ってこない。声がいいから歌詞の文章の意味がよくわからないのに言葉だけが入ってくる。

燈台も星も光るものは君を指している。どこかではなくて何かでもなくて君という人間を指している。

場所や位置ではなくて人間を照らしている。それが分かる声だ。

すずめの戸締りをみた

日曜日の朝、fitbitが届いて、設定をしていたら昼を過ぎてしまって、なんだか家にいられなくなって映画を見に行った。見るつもりはなかったのだけれど新海誠の「すずめの戸締まり」です。
なんだかんだ新海誠の映画はインディーズのものから全て見ていて彼の奮闘が見れて楽しかった。

帰ってきて色々レビューや解説を見たけど、見方が浅い文章しか見当たらなくてイライラしてこの文章を書いている。押し付けるわけではないけれど、そう答えからは遠い見方でないだろうなと言うところを書きたい。
もちろんネタバレになります。

物語は主人公すずめの夢の中から始まる。この夢は後で明らかになるが、物語の自分の「役割」を示唆するものとして機能している。最近の流行りなのか家族や人間関係がテーマだと思う。もちろん監督なりの
震災後に生きる人間への寄り添いではあると思うのだが。

夢のあとすずめは「そうた」と「ダイジン」にであう。もうサラッと書いてしまうが、「ダイジン」は小さい頃のすずめの投影である。だからダイジンの切なさは必然で、悲しいがそこまで悲哀にくれたものではない。
あとで登場する「サダイジン」は名前の通り「ダイジン」の補佐でしかなく、物語の進行に必要な役者の穴を埋める存在だ。だから「サダイジン」は「タマキ」さんの心の内をあばいてしまう。
実は「タマキ」さんの心のうちは無自覚な「すずめ」の「ダイジン」に対する感情なのだが、「サダイジン」は本当に補佐でしか機能するつもりがないらしく笑、それ以上は明らかにしない。

つまり、たまきさんはすずめが邪魔、そしてすずめはダイジンが邪魔なのだ。

たまきさんもすずめも目の前のかわいそうな自分より小さな存在に「うちの子になる?」と聞いてしまう。しかし、完全にうちの子にすることはできないし、ある意味で邪魔な存在になってしまう。
「ダイジン」が「そうた」を排除してしまうのは本当は「すずめ」が「たまき」さんを独り占めしたい気持ちだし、「たまき」さんが「すずめ」に対し必要用意上に犠牲を払い過保護になるきもちだ。
「ダイジン」の神様だからと言い訳される自分勝手な振る舞いは全てたまきさんとすずめの人間関係にあるし、それが成立しないことも最後に「ダイジン」が示すとおりだ。

ダイジンのすずめの子になりたかったけど、なれなかったという小さな言葉はたまきさんに対するすずめの言葉だ。

そういう意味ではそうたなんてすずめが「とびたつ」きざしとしての役割しかないのでなんとも不憫だなあと感じがする。

主人公のすずめは「死ぬのが怖くない」ある種異常を抱えたな娘なのだが、最後に自分のルーツを取り戻し、あるいは自分の役目を思い出し、イスを自分の小さい頃のじぶんへ渡してしまう。
ダイジンも自分の役目に帰っていく。ダイジンの母親がサダイジンだったりすればうまく出来すぎなんだろうが、そんなのは表にする必要もないし関係ないだろう。

つまり何が言いたいかって言うと、だれもが大人になるときに親元を出て自分を認めてあげる必要がある。
いつまでも小さなイスを抱きしめていないで、イスを小さい頃の自分に変えて次に進もう。というわけだ。

今回、新海誠はテーマに関わる部分以外は結構雑な作りだったので、まだまだ力をためているという感じがした。天気の子を見たときはもう出がらしかなと思ったけど、まだまだ楽しめそうで嬉しい。

寝起きでいつもよりさらに雑な文章になってしまったが、今回も校正はせず読む人の努力に任せたい。

眠れないから最近あったこと

苦しいのは言語化出来ないから感情のやり場がなくて
悲しいのに、他人から言葉を要求されるともうなんに
もできなくてしまう。

この間、僕が思慮深いみたいに言われたけど、
言葉にできなくて黙っているだけなのに。
黙っていたり、言葉少なくしていると、勝手に頭良くしたり、
頭悪くしたり、他人は勝手だなあと思う。

最近は自分がもう少し賢かったらと思うことが多い。
こんなこと言うと弱気に思われたり、助言が必要に思われたり
するんだけれど、そうではなくて、「もっと賢くなりたい」
という事だ。相対的ではなく、絶対的に賢くなりたい。
賢くなれたらすべてをなげうってもいいかもしれない。

毎日機嫌よくて毎日賢くて毎日優しい人になりたい。
人に害をなすものに厳しくありたい。

諦観や絶望で「賢くなりたい」と言っているんじゃなくて、
筋トレするみたいにもっと賢くなりたいのだ。
僕の心は挑戦の心がらんらんとしているけれど
感情を隠す癖があって仕方ない。
だから感情表現が豊かな人に憧れがあって、眩しくて仕方ない。

ウエストサイドストーリーをみた

昨日、母親とウエストサイドストーリーをみた。僕は映画館でみていたけれど、母に自信を持っておすすめできる映画がとっさに出てこなくて、一緒にもう一度見た。
二度目なのに心に残るシーンがあった。母は途中で寝てしまって私だけが見てた。

母とは今日も遅くまで話した。母が言うには僕は運がいいらしい。「運がよいけれども苦労しないということではない」らしい。なんのこっちゃ。よくわからんけど運良く生んでくれてありがとう。

父とは昼間ずっと一緒にいて話した。普段気軽に話す相手があんまりいないみたいでたくさん話しかけてくれる。三日間話したけど、だいたい同じ話を五回ぐらいしたので眠くなってしまった。ごめん、殆ど聞いてなかったわ。

話を聞いてたら父も母も精一杯生きてきたように感じた。とりまく状況や環境がどんなでも親なりに精一杯だったらしい。もう70を迎えてすぎて二人は今から何をするのだろう。僕に手伝えることはあるんだろうか。

小さい頃、布団ではないところで寝てしまって親に布団まで運んでもらうのが好きだった。だからわざと布団じゃないところで寝て、あるいは寝たふりをして、運んでいってもらった。運んでいってもらう途中で目が覚めたりしてしまうのだけど、
起きると運んでもらえなくなるので、寝たふりをする。寝たふりをしながら、本当に眠たくなって寝る。

ウエストサイドストーリーをみたら、私はアメリカ人じゃなくプエルトリコ人だって泣いて言う女性が目に入った。

昔、窪塚洋介が好きでGOって映画をテープが擦り切れるほどみた。そのうち窪塚洋介よりも映画が好きになった。GOでも男性が同じようで違うセリフを言っていた。たしか、「私は韓国人でも日本人でもなくてただの根無し草」だって。GOはロミオとジュリエットがたくさんでてくるのだけど、このセリフはスペイン語だった。金城さんはウエストサイドストーリーもすきみたい。

僕は今日、母にこう言った「僕は父と母のもとに生まれたのは運命だと思うけど、姓のもとに生まれたり、この国のもとに生まれたのは偶然だと思う。だから、将来は違う国に住むかもしれないし、ぜんぜん違う姓になるかもしれない、ならないかもしれない。割とどうでもいい」と。
母は私も同じと言ったけど、外国はよくわからないから嫌だって言った。だから僕が外国に行ったら母にたくさん話そう。

いま世界中のどこにいても、眠りに落ちた子供が両親の愛に包まれていてほしい。それがお金や国境やつまらないおじさんの都合でだめになるのは嫌だ。

僕の小さい頃の夢の「研究者になる」はこの春に一応かなったけど、母は「諦めなかったから叶うということを教えてもらった」と言ったけど、僕はまだよくわかっていない。
父と母と話してひとまず僕は「誰に会っても賢いと言われる人」になることを目指そうと思う。

だから舐められたり、理解してもらえない事があってもそれは仕方ない、僕が賢くなるしかない。
必死に教えても理解できない学生がいてもそれは、僕が賢くないからだ。

色々書いてしまったけど、自由におもしろおかしく生きようと思う。

そういえば最近カレーや料理を作って人に配り歩いていたりする(料理はすごいぞ、美味しいものを作ったら人が笑顔になる、そうじゃないと凹むけど)のだけど、あげた人に「なんでくれるの?」と聞かれた。
僕は「美味しいものを食べたら元気もでるし、嫌なことがっても少しは頑張ろうって思わない?」と言ったら「変な人だね」と言われた。

僕はカレーを配ってるアメリカ人でもプエルトリコでも韓国人でも日本人でもないし、スペイン語も知らないだけれど、なんとなく日本語話せて、根無し草ってわけじゃなくて、変な人で、賢くなりたい人になった。あと、おとうさんとおかあさんのむすこです。
よろしくお願い致します。

本音を言えば

僕は岡山で育ったのだけど、いつかのドラマで「東京の空はいつも曇っている」ってセリフを聞いた。
僕は臭いセリフだなと思ったけど、18で上京して空を見たとき、たしかに空は毎日曇っていた、それもピンク色に。

昔、星が好きで地元の図書館で星の写真をたくさん見た。それこそある本を全部だ。本みたいな星空は見えないと思っていた。
初めての東京から帰省した夏に実家の庭から見上げた夜空には天の川が綺麗に流れていた。
僕は地元が嫌いだったけれど、星を好きにさせてくれたのも透き通る天高い空で育ててくれたのも地元だった。
東日本大震災のとき、計画停電の東京は星は綺麗だった。たくさん雨が降った次の日は東京でも空は青い。

そういえば、サンテックは新月の砂漠では星で影ができると言った。
太平洋をヨットで渡る冒険家は、新月の波のない凪の洋上では、海に星が浮かんで1面星だらけになるらしい。

僕は東京の夜空にそんな海外の海洋の美しさを思い浮かべることはできない。せいぜい嫌いだった地元の、実家の庭先の、夜空しか見えない。

小学生の頃、天体望遠鏡を買ってもらった。18になって両親は東京に持っていくかと聞いたけど、あれは地元にないと意味がないんだ。
ピンクの空で何を見るんだ。

サスティナブルとか、脱カーボンとか、SDGsとか、理屈はよくわからない。国が大きな声で節電をって呼びかけても何もピンとこない。

それよりも僕はピンク色の空を青く、灰色の夜空に天の川をかけてほしい。
今日見せてくれるなら給料の1%払ってもいい。

正直実感がない

家中の電気のものを全て消して、洗いたてのシーツの布団に入って天井を見た。
出窓から遠くの車の光と外の気温が漏れ出ていて、寒さを感じながら少し目を閉じ、また天井をみた。
まだ眠たくはない。
音は時たまに鳴る冷蔵庫のラジエターの音と外の洗濯機の音、それ以外はなにもしない。このアパートにはもう十二部屋のうち四人しか住んでいないらしい。

思わずいても立ってもいられなくなり机からノートパソコンを枕元に持ってきていま文章を書いている。ここ数年、いや十六年を振り返るためだ。
一昨日、博士論文を副査の先生に渡してきた。
そのときに一言、「間に合ってよかったね。」と言ってもらった。
まだ審査は始まったばかりだけど、うちは条件が揃うまで審査自体が始まらないのでそういうことだろう。
昨日は狂ったみたいに寝て、こんな時間に眠れないでいる。
深夜零時頃から手持ち無沙汰で最近手につかなかった掃除と洗濯をした。
ここ二週間ほどなんにもしていなかったのにそれほど汚れてなくて、それほど洗濯も溜まっていなかった。
どうやら、一人暮らしも長く続けるとそれなりに清潔に暮らせるようになるらしい。

どうやら今年、僕は卒業するらしいのだ。
卒業するとうちの大学で一、二年は助教として働けるらしい。
人より6年遅れてしまったけど、学位をもらえるらしいのだ。
僕には全然実感がないのだけど、周りがすごく喜んでくれている。
僕は青春のすべて、ほぼ全てをこの生活に費やしてきたのでまだ少しよくわからないでいる。
上京して初めて付き合った人からはよく、「時間は作るものですよ」と言われた。
言いたいことはわかるしそのとおりだと思うけど、作った時間は次の研究の時間に消えた。
暇な時間は深夜しかなくて、よく深夜友達とおしゃべりしていた。
その子とうまく行かなくなってから、なんだか研究もうまく行かなくなった。
担当教員とうまくコミュニケーションが取れなくなり、
三ヶ月ほど話していない教員が突然私のもとに来て
「あなたはこのままではいつまで立っても卒業できない。無駄だ。」
と言い捨てて去っていった。
私はきっとショックだったのだろう。作業効率が落ちて何もできなくなった。
幸い、私は自分を認めることができていたので不安はあったけれど、大学に行くのをやめた。
突然行かなくなってしまったので担当教員からは鬼のような連絡が来たけど、「やる気が出ないのでしばらく行かない」とだけ返して、料理をしたり、バイトをしたり、貯金をしたり、したいことをして三年ぐらい過ごした。
担当教員とはなんだかんだ一年間隔で話をしていて、やめようかなと思っていると伝えると「あなたは卒業できるチャンスがあるから続けなさい」と言われた。
僕はそれを咀嚼するのがもうどうしてもだるかったので自分の好きにしていたけど、友達や親に「やめたい」と言うとはじめはみんな賛成してくれるのに、数日後に連絡をくれて「続けたほうがいいよ」と言ってくれた。
曰く、それはあなたがやりたいことだから続けたほうがいいとそういうのだ。
僕はあんまりみんなが続けろと言うから本意ではなかったけど、続けることにした。
なんていうか、僕は自分の考えに従うことが多いけど、あんまり自分と違う意見の人が多かったので従うことにしたのだ。
まあ、責任転嫁である。
うまく行かなければこいつらの責任だぐらいの感覚で前向きに取り組んでみることにしたのだ。
(でも失敗しても誰も責任はとりようがないことはわかっていたし、結局人生を生きるのは自分だから、今でも納得しない決断だけど、信用している人たちの言うことに従ったわけだ。)
そう思った頃には在学期限が二年と少ししかなくて、担当教員が仕事をあてがうと言うので仕事をしに大学に行き始めた。
担当教員は自分の先生だと思うとムカついたが、仕事の上司だと思うとなかなか優秀で学ぶところも多くやっていけそうな気がした。
研究については自分で立てたプランを一方的に先生に告げ、勝手に始めた。
学会発表は時間の無駄だと思ったので一切行かなかった。
うまく行かなかったときの従順に従っていたときのやり方、つまり担当教員のやり方はすべて変えて、興味のある研究者に勝手にメールをして友達になった。
友達の研究者は卒業したら履歴書を送ってくれたら自分のボスに口添えをすると言ってくれ、僕は気が良くなり、ますます自分のやり方を信じることにした。(友達は多分酔っていただけだが。)

そういう感じで、主に研究の指導は他の先生にお願いしながら、ゼミでは一方的に進捗を伝える場として認識した。
アドバイスをもらっても筋が悪いなと思う部分は無視をした。
つまり何も聞かなかった。
ただ、僕は英語語が苦手なので論文の英語はほとんど担当教員に書き直してもらった。
僕は担当教員も悪くないなと思い始め仲良くすることにした。
そうして国際紙に論文をいくつか出して博士論文を書いて出した。
最後の方は本当に時間がなくて、申請の期日の5日前に論文がアクセプトになり、バタバタであった。
それで福査の一言である。

ここ最近の5年は本当に長くていろいろなことがあり、僕のことを理解してくれる人は本当に少なかった。
そもそも理解してもらおうとする努力が足りていないのかもしれないが。
不思議なのは仲の良さに関わりなく、素直で素晴らしい人格の友達は無条件で応援してくれたことだ。
よくバカにされたけど、僕はよくやったほうだと思う。

卒業するらしいのだけど、全然実感がわかない。
応援してくれていた友達は卒業すると言っても態度も何も変わらずにおめでとうと言ってくれるし僕より感動してる人もいるみたいだ。
この文章は僕の論文の初稿みたいにまとまりのない文章だけど、今の気持ちをそのまま閉じ込めておこうと思う。

嫌になってやめようとしていたけど、やめないでと言ってくれた友達となんだかんだ自分なりに僕のことを考えてくれていた担当教員にお礼を言いたい。
友達には素直に言えるけど、担当教員には社交辞令にくるんだ本音を贈り物とかにしてわかりにくく渡そうと思う。

まだ全然実感ないんだけど、みんなありがとう。

あと全然審査途中で、万が一卒業できなくなることもあるのでみんな不安になりながら見守っていてください。

私は白鳥 をみた

“私は白鳥”という映画を見てきました。
見たいな~見たいな~と某SNSでつぶやいていたら、一緒に見に行こうよと誘ってくれたので上機嫌で見てきました。
澤江さんという自称白鳥の人間と一羽の手負いの白鳥の物語、澤江さんは白鳥のことをこの人というのだが、そういうところも含めて私はこの映画が好きだ。

よく言われることだが、ノンフィクションはカメラが入った時点で成立しない。ドキュメンタリーもそうだ。編集されて話に筋が付く。
だが、この映画においてはそんな心配はしなくてよい。私は見る人が澤江さんの白鳥への感情を誤解しないか少し心配だ。

おそらく、偏見や先入観を以てこの映画を眺めてしまうと人々は”偏愛”とか”狂気”とか言うんだろう。それは彼の「私は白鳥だ」という言葉を理解していないのだ。
基本的に澤江さんの言葉をたどるだけで彼にとっての白鳥は像を結ぶはずだが、仮に僕が言い足すことを許してくれるなら、白鳥は澤江さんの生きる意味だ。

澤江さんが見つけた生きる意味を私は”偏愛”だとか”狂気”などといえない。
ドキュメンタリーの中で澤江さんは全部を話さない。白鳥について話始めると、はじめはわかりやすく話そうとしてくれるのだが、最後にかけて支離滅裂になり言語が意味を失ってしまう。彼と白鳥の世界は厳密には彼と白鳥のものだけだからだ。
それは、後半、澤江さんがカメラを回すようになって映像で語られる。
我々は白鳥を澤江さんとの関係性を通して理解していくが、彼の映像を見たとき、私たちの理解が全く異なっていたことに気が付く。
彼の説明が支離滅裂なことが彼の説明能力の低さによるものではなく、そもそも言語化できないことを説明しているからだと気が付く。
我々はそもそもすべてを見ることを許されていないのだ。

澤江さんは物語が進むにつれ、澤江さんのすべてを白鳥にぶつけていく。
体もお金も車も睡眠も時には仕事も犠牲にして白鳥にぶつけていく。
それは白鳥が澤江さんの生きる意味だからに他ならない。
白鳥のために病気になり、白鳥のために健康に気を遣う。
彼が生きる意味を見つけたとき、彼の半生のすべてに意味が生まれ白鳥に集約していく。

過酷な白鳥の追いかけは体育会系でないと難しいし、鋭い観察眼、分析力は、学生の頃優秀だったといわれる頭脳だろう。
本人が「心の隙間がどういうわけか白鳥の形をしていたようで」というように、彼は人生のすべてを、命を白鳥の形にして表現していく。

私は物語が進むにつれて澤江さんという白鳥を見た。

白鳥も、澤江さんも、一人ということをドキュメンタリーは強調するが、初めから最後まで白鳥は確かに二羽いたのだ。

垣間見える深い世界はきっとすべての人間が持つものだけど、澤江さんの人柄がそれを必要以上に飾り立てるのを許さず、本質をあらわにする。

だけど、澤江さんは全部を話してくれないからやっぱりちょっとずるい。ずるくて素敵で、ほんのちょっとだけうらやましい。

自分を広げて考える

昨日、作業が全然はかどらなかったので自分のブログを読んでいた。
高校時代を回想したそれを読んで、その記録を残したことも高校当時の思い出も感覚もほとんど思い出せたけど、薄くなってぼやけてしまっていた。
昔はそんな感覚が嫌で嫌で絶対に忘れたくなかったのに、いざ自分がおとなになって忙しくなるとこれだ。忘れてしまう。
小さい頃、ガラクタを引き出しに詰めてもう絶対取り出さないと思っても、今ではそこに印鑑や通帳が代わりに紛れ込んでどんぐりの居場所がなくなってしまうように、薄情にも忘れてしまうのだ。

だけど、昨日はそれが切なくなかった。それが感傷にならずにスッと心に落ちてきて収まった感じ。いやちょっと違う。心のなかにあったものを再発見した感じだ。思い出したのとは違う、思い出はなくなりかけているのだから。

今はその文章のことや写真のことを忘れてしまって過去の自分を他人として眺めるようになったとき、自分がどんなことを思うのか興味がある。

ファンタジー作家やブルーハーツは”写真には写らない”というけれど、きっと記憶から消し去っても、自分の中に残る何かをまた見つけることができるように思う。それは過去で見に覚えのない他人の話でも、確かな自分として想起できるとの自信だ。

自分が自分だってことが、記憶じゃない写真じゃないなにか、だけど、直感してわかるってことに自分自身少し驚きながら、それが紛れもない自分なんだって驚く。

赤ちゃんは親指をなめて、なめられている親指、見つめている親指、なめている親指の感覚を同期して親指が自分のものだって認識するらしい。

その延長線上に過去の親指が自分だってどのプロセスで認識できるかなんてえらい哲学者に任せればいい。

今はそれとわかるってことが、認識に自身があるってことが、大事だ。

人間の尊厳

昔、動物園の動物を見て虐待かもって思ったけど、
人間の箱庭も動物園と変わらないかもしれないと思った。
つまり生命は”状況”にすべてを左右されない、したたかさをもともと備えていて、自己を定める意志の力が実際にある。

例えば、会社のすべてを掌握する最上階の、秘書に囲まれた社長と、飼育員に世話をされる動物園のライオンは一体何が違うのか。

百獣の王様は動物園でも周囲を従えて堂々と生きているのだ、人間はコロナ渦でも悠然と生きればいい。

私は一人きりのアパートの中で、だが、自己を見定める人間として、一つの誉れある生命体として生きている。

この先、出番を待っているときに備えて自分を磨くのだ。

やっぱり動物園のライオンも檻を捨て、飛び出して、百獣を従えることを諦めていない。

僕はもっと世界を見てみたい。それがこのアパートに閉じ込められて僕の捨てきれない”自分”というやつだ。

小さい頃

最近、小さい頃を思い出す。

夏の日、暑い日。
家には昼寝している母と機嫌の悪い父しかいなくて僕は外に出た。
汗がたくさん出てぼたぼた落ちたけどサラサラしていて、自転車でも乗ればシャツもすぐに乾いた。
空は青くて、高くて、遠くの入道雲が大きかった。
多分、抜けるような空ってあの頃の空だ。
友達の家をリレーして頭がすごく暑かったけど、母がもたせた麦わら帽子はすぐに何処かに行った。

おおよそ、25年前のあの頃、毎日同じことをして過ごした。
近所のおばさんが庭になったいちじくをくれて友だちと食べた。
お母さんが麦茶を出してくれて、みんなで飲んだ。

あの頃の友達はみんな笑ってる。

あの頃の自分が、ずっと自分を見てて今が楽しいかどうか尋ねてくる。
悔しいけど全然勝ててない。

笑ってこっちにおいでって言ってあげれない。
父が不機嫌なのはそういうことだったのかもしれない。

hello hugo world

URLそのままで、wordpress から hugoへブログを移動しました。

URLを引き継ぎたかったので、移動には自作のrubyスクリプトを使いました。こういうのは車輪の再発明なんて呼ばなくて、自分にフィットしたやり方でやるほうが効率が良いのだ。

“`ruby
#!/bin/ruby

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require ‘open-uri’
require ‘reverse_markdown’
require ‘date’
require “fileutils”

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arr.each do item

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date = Time.parse(item[“pubDate”][0]).iso8601()
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discription = discription.split(“…”)[0] + “…”

dir = item[“link”][0].split(“/”)[3] +”/”+ item[“link”][0].split(“/”)[4]
name = “/index.md”
FileUtils.mkdir_p(dir)
mdfile = “

ファンタジーを見て思うこと

シン・エヴァンゲリオンを見てきた。小さい頃、家のブラウン管で見たアニメはIMAXに姿を変えて、スクリーンにそのイメージを投影されていた。

僕は最後のエヴァンゲリオンを見て、一つの大事な感想を得た。それはエヴァンゲリオンがきちんとしたファンタジーとして成立している事だ。あれはアニメーションだけれどその筋は戯曲に近いと思う。シンジ以外のキャラクター装置としての役者となっており、すべて意味のあるオブジェとして機能しているからだ。

庵野秀明がどう思うか自信はまるでないが、ファンタジーの原型はいくつかある。エヴァの場合、それはメーテルリンクの青い鳥だ。他にもドイツの海賊の心臓などの正当なファンタジーの流れに位置していていると気がつく。

シンジは公衆電話の前に現れ、その前の説明なく、エヴァンゲリオンを中心に物事が運ばれる。この運びを斬新だという人がいるが、それはアニメしか見てない人のセリフだろう。チルチルとミチルにとっての青い鳥、例えば、ファウスト博士にとってはメフィストフェレス、ジョバンニにとっての銀河鉄道なのだ。

シンジがネルフに来る前が語られないのは、エヴァンゲリオンを知る前だからだ。そして強くなったシンジはエヴァンゲリオンのいない世界へ帰っていく。

庵野秀明は野暮ったいことをしないので、現代の表現のつま先を使って盛大な夢オチを描いたのだろう。

私が強烈にファンタジーとはこれかと思う文章がある。荻原規子さんの樹上のゆりかごのあとがきだ。
> どんなに多くの卒業生が、アルバム写真を見て懐かしみ、どんなに詳細に語り合ったとしても、当時の写真には映らない、いつも取りこぼしてしまう何かが、あの場所にはあったと思えてならないのです。 
> 樹上のゆりかご あとがきより

これはノスタルジーというやつだ。言葉にできない見たことのない郷愁がファンタジーにはある。それは作り手が説明しても説明しても説明できない何かでできている。

エヴァンゲリオンははじめあえて説明せず、終わり、今回は説明して終わった。だけど、すでにエヴァンゲリオンにはノスタルジーをおびて、存在してしまった。庵野秀明の考えた「エヴァンゲリオン」は、人間の備わる想像力に根付いて存在する力を得たのだ。

名前は違っても誰かがまた見つける。それが嘘のような学園生活の話だったり、願いの叶う鳥だったり、見たことのない世界を見せる悪魔なのかもしれない。

ファンタジーが自然と郷愁を帯びて感じられるのは、それは誰もが一度は考えたことだからだ。そうでなければそれはただのフィクションでゲームでアトラクションにすぎないからだ。

寂しいけど卒業して次のステップに進もう。ふりかえって懐かしく感じ、嫌なことも楽しく振り返ることができるように。

良質なファンタジーは常に現実への出口を用意してくれているものだ。

これはファンタジーなんだよって教えてくれて、しかしその存在を消失しない。庵野秀明はアニメーションを進化させた。そのうち、俳優は声優となるんじゃないか。

そんなことを思いながら、私の青春の時間をエヴァの電車に乗せて保存してしまおう。

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ほんとに良いものは触れた時にそれとわかる

いきなり話がそれるんだけど、日本語の”それ”は英語のitみたいにして使ったとき”それ”のさす内容が明確に感じられて普段見落としている”それ”の価値に気がつけるような感じしませんか?

この文章を書き始めたときに気がついたことがある。このブログはいつの間にか自分と向き合う時間となっていて、それってきっと多分、僕が寂しいときに書いているからだ。
文章にする作業って、文字に出してみて、目で見てみて、客観的に確認して、つまり自分にかまってもらってるんだと思う。

今回、僕が僕に提示したいことはちゃんと自分は他人に触ってもらえているのか?ってことだ。
いや、少し違う。正確にはきちんと自分自身を評価の場に出しているのかってことだ。
多分僕は出していない。多分っていうか全然出していない。

僕はケーキが好きなんだけど、ケーキって見るだけのものじゃなくて食べるものだから食べてみないとそれが良いのかそうでないのか、全然わからない。前に、僕が「良い」「悪い」といった時に理由がないから意味がないと言われたことがあった。それに対する僕の答え(その時は黙っていたけれど)はこうだ。僕の感想は誰かに理解してもらうことを前提としていないのだからあなたが理解できなくても意味はあるのだ。そして僕は大抵のコミュニケーションにける”理由”は後付けだと思っている。

つまり、僕はケーキを食べた時に美味しいと思って『このケーキは良いものだ』と思う。だけど、はじめその理由はわからないのだ。そしてわからなくていいのだ。なんだかわからないけど、美味しくて、良いと感じる。真実は理由があって結果に至るのかもしれないが、僕に理解できるのは結果だけ、目の前のケーキが美味しいってことだけだ。そしてそのケーキが良いものだって思うのだ。

物事の評価は正しい手順で触ってみて(ケーキの場合は見て匂って食べて)初めてそれが「良い」か「悪いか」わかる。よくある後付の理由は例えばこうだ。”いちごが入っているから”、”甘すぎないから”、”スポンジがふっくらしているから”などなど、だけど、ケーキを分解してもケーキは見つからないんだ。分解して特徴を抽出してもそれはわかったことにならない。理由を言葉で提示してもだめだ。あえて、ケーキが良いとわかったのに理由があるなら、それは食べたからだ。それ以外にない。食べたから良いとわかる。良いかどうか理由がないとわからないというのは食べてないからだ。

そして、僕は自分の料理を誰かに食べてもらって、自分の思った”言葉にできない「良い」”を”他者の「良い」”と共有する事はあっても、自分をそのまま出して、触れてもらうことはしてきていない。自分でも自分をきちんと取り扱って触れていないし、だから、それが良いか悪いか、まるでわかっていない。

だけど、人間の触り方は誰が知っているんだろう。ケーキは食べるものだ。もちろん匂ったり、目で見て楽しんだりしていい。他には例えば薬は飲むものだ。飲んで効果が出て良いか悪いかわかる。服も着てみて初めて良いか悪いかわかる。

だけど、人間はどうなんだ?そもそも他人をどうすればいいんだろう。コミニュケーションを取ってみればいいのか、どうやって取ればいいのか、ルールは誰が決めたんだろう。立ち返って、僕は僕を置いたコミュニケーションを取れていないんだきっと。

自分をながめてみて「良い」とも「悪い」とも思えない。そもそも触っているのかいないのかそれさえわからない。

自分の知らない自分がじっと自分を見ているような気持ちの悪い感覚がする。誰か触ってみて教えて。

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「超絶技巧を超えて 吉村芳生展」を見た

超絶技巧を超えて 吉村芳生展を見てきました。
展示自体は場所を変えて何度か行われているようなのですが、私が見たのは横浜駅のそごうに入っているやつです。スペースの関係かリスト順に並んでいないのが残念でしたが、もしかすると意図のあることなのかもしれません。限られたスペースでできる限りの展示を工夫して行っている―、そんな印象はありました。
久しぶりに、心に残った展示だったので色々調べたり、レビューなどをネット記事で読んでみたのですが「超絶技巧すごい!」に終始しているものが多くて、私の感じたものの共感があまりなかったので詳細な感想を書きたいと思ったのです。そんな訳でこの文章は私の極めて私的な感想なのですが、共感いただければ嬉しいです。

展示自体はよく考えられていて無駄なところのないように思いました。この展示のテーマの”超絶技巧を超えて”を意図しているドローイングをいくつか挟みながら作品を並べてくれているので、きちんと順に見ていけば、”超絶技巧を超えた先”を感じられました。
前半は自分自身をプリンターや写真機にするような途方もない”超絶技法の吉村芳生”が語れていきます。彼は直感やセンスなどというもの立脚せず、実に機械的で作業的に自己のスタイル確立していったようです。この彼のスタイルは早くからすでに方針が決まっていて、”この先”を示すことが、”自画像”と”花を書くこと”によって収束されていきます。展示のストーリーは「徳地・冬の幻影」を指す事によって”この先”へと進んでいきます。
そもそも、彼のスタイルでは制作の前に写真があります。現実を一度切り取ったはずの写真に”超絶技巧”を持ってのぞみ、写真ではないものを指そうとしているわけです。それはいくら金網をかいても殺せない彼自身であったと私は思いました。表現のスタイルに準じてあえて型を作り、そして型を崩していくようなことでしょうか。

“自画像”は新聞の上に(あるいは共に)書く事によって単なる新聞の情報の先を教えてくれます。息子さんのアドバイスによって自画像も花の様に雄弁になっていきます。”花を書くこと”についてはもう少し明確に、水面に映したものを主役にするなど、”写す”や”映す”事によって別の世界を示してたようです。ヒマワリの絵は特徴的で、写す事によって自分を指しているのですから、仏頂面だった自画像よりも気に入っていたのかなどと考えてしまいます。

それで私の感想なのですが、絶筆となったコスモスの絵に、その右の空白に、吉村芳生さんの魂を見ました。生き生きとあるいはもの悲しく花に映されていく人々の魂と違い、真っ白な紙に吉村芳生さんの魂を見ることで、悲しさよりもこの人を写す人はまだいないのかと感じました。
また、結果的に吉村芳生さん見たコスモスではなくて、吉村芳生さんの魂が見えてしまうことに芸術家のずるさを感じました。魂がこもった作品が作れるなんてずるい。

とても良い展示だったので横浜でデートの折にでも足を運んでみてください。

*普段は未編集なのですが、誤字脱字がひどかったので編集を行いました。

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死んだり、生まれたりすること

いま電車でフルハウスの「金魚はお風呂好き?」を見てた。
ミシェルがお祭りで金魚を貰ってくるんだけど、金魚をお風呂にいれて死なせてしまう。そこでダニーが物理的にはまだそこにいるけど、本質的にはあちこちにいるんだ。と言う。ミシェルが自分のせいで死んだとわかると落ち込んでしまったので、ダニーが新しい金魚を買ってくる。失敗から遠巻きに金魚を見守るミシェルだったが、金魚が赤ちゃんを生んでいることに気がつく。そこでミシェルは赤ちゃんはどこからくるの?と聞いてみんな逃げていってしまう。
ミシェルは死ぬことがあちこちに行くと聞いたから赤ちゃんはどこかから来ると思ったのだろうか。
死んだ金魚が動き出すのを待っていたミシェルは赤ちゃんもそこに居たと思っていたんだろうか。
そして、大人は死んだらどこに行くか分からないのに赤ちゃんは自分が作ったと思っているのだろうか

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アルプススタンドのはしの方 を観た

映画は心の中のまだ真っ白な、僕の知らない場所にやってきて、知らない地上絵を描いて、どこかに去っていった。

昨日、「アルプススタンドのはしの方」を見てきた。最近テレワークだから家から逃げ出したくて映画館に行ったのだ。あと、一人になりたかったからだ。一人暮らしだからといっても、パソコンの前に座って気がつくと誰かとやり取りしている。僕はひとりになりたかったのだ。

だから映画館に行って映画を見てきた。見たい映画がなくて適当に選んで観た。大体70分間の映画を見た感想だ。簡単に言えばいい映画だった。難しく言えば心残りがあるようなそういう映画だった。

登場人物が美男美女であること除けば、どこにでも居そうな4人が端っこにたむろして話している。そういう映画だ。舞台は野球場のアルプススタンドなんだけど、それは実は関係ない。僕は脚本を書いた人はきっと学生の頃、野球がやりたかった人なんだなと思う。そんなやりたかったもののすみっこが舞台の映画だ。

「君の人生の主役は君自身なんだ」というセンテンスを聞いたことがあるかもしれない。クサイセリフだ。だけど、ちらと期待してしまうセリフだ。

長く人生のすみにいると感じていると、私だけ、自分だけ、すみっこにいると思うだろう。だけど円の真ん中はすみっこより小さい。すみっこのほうがたくさんの人がいる。すみっこで不幸だと思うのは、実は、不幸だなと思う人がすみっこにやってくるからであって、すみっこにも主人公たちがたくさんいる。

すみっこの主人公たちは複雑だ。みんなすみっこにやってくる理由を抱えている。

物語ではすみっこにいる理由と向き合って結論は出なくても、ひとりひとりの自分と向き合っていった結果というか過程が示される。だけど、「なんかやっぱりすみっこがいいんだよね」と言う。前を向くと言う事は自分を変えるとではない。自分という性質は変わらない。性質を前に向けるだけだ。すみっこならすみっこででしかでないことがある。そういうことだ。

映画を見たあと、少し寂しさが残った。

私にはもう二度とたどり着けないようなそんな気がした。映画を見たときの高揚が薄れ、つまらない現実に戻った気がした。私も今の場所をつまらないと感じているんだろう、わたしも今の「すみっこ」がいいなと思えるまでがんばってみよう。

そうだ、僕は自分のこと好きになりかけているのだ。

*サブタイトルに逆らって修正を行いました。

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「アイスと雨音」を観た。

この間お知り合いになった方に進められた映画を観た。”アイスと雨音”とタイトルされたその映画は、調べてみると少し話題だったようだ。話題性は74分ワンカットの映画だということと、実話をベースにしていること、劇中劇の構造、役者の熱量がすごいなんてことのようだ。
この映画を見た人にはこの話題性以外に魅力がなかったなんてコメントをを残している方もいるんだけど、私の感想はちょっと違う。

私は映画を見るときにまず内側から見る。たしかに外側の情報は大事だけれど、一度頭に残っている外側の情報をすべて消し去って内側から見るようにしている。世間の評判にしているところは外側の問題だ。例えば、文学の話で、”純文学って何?”って思って調べてみると、芸術性を重んじて話の内容は二の次のような説明も見かける。果たしてこの映画もそのように受け取られるのではないか、と危惧してしまった。
私は純文学の芸術性は言語本来の伝えたいと欲求から始まると思っているし、それは映画も同じだ。伝えたいことが空っぽな作品だってもちろんあるのだが。

この映画の指している”言いたいこと”は端的にMOROHAさんによってはじめに語られる。”なんで俺は、なんでお前は今にも消えそうな感情に必死にしがみつこうとしてるんだ(?)”これが映画全体の主題だ。
しかも回答を持っている人が見たら反語になっていて、そうでない人が見たらメッセージと受けるような構成になっている。寄り道をすると、劇中劇も良くできていて作中役者のテンションに合わせて切り取られたシーンが時系列にそって演じられて厳密に区切られないことで74分の中に俳句のダブルミーニングのような効果で二重三重のメッセージを出そうとしている。

重要なシーンが有る。アイスと、雨音が出てくる場面だ。人間以外の役者で重要な意味を持つのは本多劇場以外ではこの2つしかない。主人公の女の子は仲間の女の子とともにアイスを食べながら歩く。ここで恋愛の話になり、プライベートな一面が明かされる。アイスクリームが主人公から役者を取り上げてしまうのだ。アイスが終盤になると、「甘い花の香がする」と言って一人掛けだしてしまう。しかし、仲間に引き戻されて、劇中劇になり、雨音への言及がある。雨音が好きだというのは劇中劇から現実へオーバーラップして語られ、役者としての自分を取り戻したことが暗に示される。

はじめ、鬱々とした役者として語られた主人公は、アイスによって裸にされ、雨音によって役者になる。このシーンのあとは急に生き生きとしだして表情も豊かになり、物語全体のテンポも上がる。

つまり、アイスと雨音はニック・オブ・タイム、「花の香がする世界」との運命の分かれ道だったわけだ。私は、この”消えそうな感情にしがみついている”主人公が愛おしい。ギリギリのラインでフラフラしながらやりたいことをやって成長しても観てくれる人がいないこの劇は懸命に映画として作り直されても「話題性以外に魅力がない」などと言われてしまうのだ。

でもそれはきっと正しい。

私はこの映画を正しく評価できる人には同じ後ろめたさが存在していて、しかもそれを認められる人なのではないかと思う。

そしてそういう人前に出せないストレスを現代人は抱えていて、それを認められない人は社会的には正しい存在だ、花の香につれられてフラフラ遊んでいる方が正しいのだ。

だからは私は変わっていく社会の姿を観てみたい。

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池の鯉

いま大学には人が居ないのだけれど、研究のために許可をとって理工学部棟に行く。
お昼休みには昼食を取るのだけれど、少し時間があると散歩することにしている。最近は大学に入れる特権を少しだけ散歩の為に使わせてもらっている。

私の大学には大きな池があって、おっきい鯉がたくさんいる。彼らは上品というよりもたくましい方で、少し近寄ると近づいてきてエサをねだってくる。

パンのかけらを投げてみると1,2匹しか食べることができないのに20匹も30匹も群がってきて、一時の興奮のときがすぎると次のパンを待っている。

私は例えば、新宿南口の歩道橋からお金をばら撒いたら人間もこうなるのだろうかと考えた。するとたちまち気持ち悪いのは鯉ではなくて人間なのではないのかという気がして気持ち悪くなった。

だけどおもいなおした。多分人間は鯉みたいな人も居るけれど、そうじゃない人も居る。また、もっと酷いのもいるだろう。鯉はおんなじなのに人間は多分ちょっとちがうのだ。

歩きながら、人間のことを考えた。多分、鯉よりももっと気持ち悪く群がる人も、無視する人も、怖がって近寄らない人も、迷惑をかけたと怒る人も居るだろうな。お金を返したいという人もいるかもしれない。

それが全部人間に詰まってるんだ。

そう思うと、頭の後ろがジンとして、歩き始めた足を止めてもう少し考えた。

いつも僕に怒っているあの人も、いつもいじわるをしてくる人も、権力やお金を自分の物だと勘違いする人も、みんな良い所のある人なんだ。全部が詰まっている人間を鯉の様に思ってしまっている方が気持ち悪かった。

鯉にはいつもパンを食べてもらっているけど、今日はパンのお返しをもらった気分でした。

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だらだらテレビを見ている

いまテレビでしているレトロ自販機の話、経営者の斎藤さんは古くなった自販機を修理し、一箇所に集めて自販機の楽園を作っているそうだ。駄菓子やラーメン、味噌汁などの販売機があり賑わっていた様子。
そんな中、子供が「自販機の中に人がいて〜」と遊んでいた。ナレーションで大人が「子供は想像力がたくましくて」と言っていた。
しかし、自販機の中に人がいると自販機を知らない人はそう思うのではないだろうか、私はごく自然な発想だと思う。「自販機の中に人がいる説」ははじめに思う自然な発想だ。それがおかしいと思う大人がおかしいのだと一人考えを飛ばしていると、テレビではコロナの影響で子供が休みになり、パートが雇えずに売り切れになっていると。斎藤さんが一人で黙々とラーメンを用意する様子が映されていた。

私はハッとした。

テレビにはそのまま「自販機の中の人」が写っていた。私もつまらない大人だと言われたような気がした。そうだ、自販機の中には「人」が宿っている。本質を捉える目は元々具わっているのだ。
子供は頭がいいなあ。

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自由に生きたい

上手に言葉に出来ないけれど、もっと自由に生きたい。

距離とか、お金とか、そういう物理的なことではなくて精神とか心の話だ。
今なにかに抑圧されているわけではない。だけど、自分らしさがわからない。今まで僕は自分らしく生きてきたつもりだった。実際に目の前に夢中になれるものがあって没頭していれば自分らしくいられた。
だけど、それは本当の自分らしさなんだろうか、どうやら僕は自分というものをもう一度見直す必要があるんだと思う。
「僕らしさ」というもの(個性って言えばそれまでだけど、最近は熟語が切り取った固定的な静かな存在みたいで苦手だ。和語にすると躍動感が感じられるのは僕だけですか?)の意味が変わってしまったのかもしれない。僕は慎重な性格で他人に気を使うことが多い。本当はこうしたい、ああしたい、ということがあっても僕は無意識に妥協して人に合わせてしまうのだけど、これ自体に良いとか悪いとかじゃないと思ってる。問題は僕が本当にやりたいことをそのままやってしまって良いのか自信がないということだ。今、「僕らしさ」は急速に過ぎ去っていこうとしている。僕は、人は、ずっと「僕」のままではいられないから新しい僕が必要になっているのだ。

妥協ではないけれど、相談することも増えた。それも相談する前にもうほとんど最適な回答が得られているのにもかかわらずに、である。
今まではそれで良かったのだ。1割でも5%でも発見があった。誤解しないで欲しいのだけど、他者から得られるものがなくなったわけじゃない。だけど、自分で試してみたいという欲求がどんどん強くなってきていて誰かのまねだけでは満足できなくなってきている。今までのやり方では「僕らしさ」が死んでしまう。これは生き方の問題だ。
どこかで変えなくちゃいけない。今のままではどんどん死んでいってしまう。今の生活が不満なわけではない、むしろ恵まれている。だけど、失敗しても良い、「僕らしい」生き方ができればそれでいい。
孔子は「七十にして心の欲する所に従えども、のりを踰こえず」と言っているが、僕は七十まで待てない。わがままで言っているのではない。僕の手本は孔子ではないというだけだ。
学ぶということの本質は他者のまねだけれど、もう真似る段階ではないんだ。先の見えない中であがいていくしかない。
僕には大切な人たちがいてよかった。友達や恋人、家族なんかには無条件で甘えられる。具体的に何かをしてもらうわけではないけれど、存在を認めてもらって甘えているんだと思う。

そうだ、僕を抑圧しているのは他者ではない、社会ではない、僕自身なのだ。

恐ろしいことに僕は僕を抑圧しているんだ。もっと自分を自由に遊ばせていいのに、心を広々と放してしまってもいいのに、それができないのだ。僕はもっと自由な自分へ変わりたくなったのだ。
できることだけこなしているのは人間じゃない。僕は自分にできないことをやってみたくなった。

多分少し長い時間がかかるけど、気がついてしまったら今のままじゃだめだ。まだまだ自分に投資して僕を育てていくことに必要なことはたくさんあるけれど、文章にするとほんの少し自由になれた気がする。
文章の力は偉大だ。

僕という存在をを写し取っているはずなのに、すぐに写し取れない存在が顔を出す。

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ZARDを聞いている

 不眠気味で録画しているテレビを見ていた。早見あかりがモモクロ代表で出ていた、ダウンタウンDXだ。いつまでモモクロなんだろうと疑問に思いながら悶々と過ごし、研究と仕事のことを考えていた。明日は研究補佐員の仕事で打ち合わせがあって滞りがちなプロジェクトの報告とスケジュールを引く必要がある。そのプロジェクトでは外部の作業員が多くいて、一番給料が安く年若い僕がアカデミックなので意味のあるデータなのかの確認やテストを行う事になった。学校から帰る前に打ち合わせ用のドキュメントを用意したが、スケージュールは過密になるだろう。そんなことを考えていたらテレビなんか見ていなかったのに曲が耳に入ってきた。ポカリのCMだ。ZARDだ、坂井さんだ。

 ZARDがデビューした頃、僕は小学生だ。世間は阪神淡路大震災で暗いニュースが多かった。特にファンではなかったが、どこでもZARDは流れてた。誰でも知っていた。
ZARDの曲を聞くと思い出がダ~っと流れ出す。大半はどうでもいいことばかりだ。
兄のゲームボーイを後ろから覗いて怒られたとか、姉の部屋の絨毯にボンドをこぼしたとか。お母さんとかき氷を一緒に食べたとか、そういうのだ。

 僕は高校受験に失敗して高校でたくさん勉強した。本当にたくさんだ、友達が帰ろう帰ろうと言っても無視して教室で放課後に一人で勉強した。その時もZARDの曲を出たばかりの無理して買った128MBのデジタルオーディオプレーヤー入て聞いていた。担任にそんな物高級だから持ってきてはいけませんと言われたのだ。当時から坂井さんは可愛くて、でもテレビには出なくて、ネットもそんなに見ない時代で、ZARDの歌っている人が可愛いなんてそんな事考えたこともなかった。それくらい自然だった。

 僕は大学に合格して、しばらくして麻疹が大流行して1ヶ月ほど休みになり、その間だったろうか坂井さんが亡くなったニュースを知ったのだろう、休校明けの授業で教授が「人を励まし続けた方がなくなりましたね、坂井さんです。」と覚えている。大教室の授業でソフトパワーとハードパワーを世界情勢から読み解くと言った内容だったと記憶している。当時は楽しいことややりたいことがたくさんあって、でも時間はたっぷりあったのに、あまり深く感じることがなかった。今から思い出すと人間として未熟だったのだと思う。だけど、やはりびっくりするほど明確に思い出せる。今、振り返って僕はZARDが好きなんだろうと思う。

 今日は、もうこんな時間だ。今日は遅刻できない。僕が18の頃はいくら遅くまで起きていても朝走って登校できたし、集中して勉強できたのに感じ入ることはできなかった。今は噛み締めたい思いがいっぱいあるのにもうそこまで楽しめる時間がない。

 坂井さんの歌を聞くと今でも励まされる。ごく自然に気がつくことも少なくに。僕の好きな小説に「平易な言葉を使えますね、文章の才能がありますよ」というものがある。専門用語に忙殺されそうになるけれど、平凡な言葉なのに新しさがあって身近さがあってゼロ距離で自然の生身さが好きだ。僕はファンじゃないけれど、まだ歌を聞いています。

 僕も平凡な言葉で声や文を見て聞いて読んでくれる人に励ましを送ったりしたい。自分の好きな人が元気になってほしい。

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無題

悔しいことがあった。

力がないから正しいことが伝わらなかった。

人の汚いところを見た。自分のミスを立場の弱い人に押し付けて追求すると興奮して20分に渡り一方的に喋り続けた。

僕は絶対にああはならない。なりたくない。自分の仕事に真摯で誠実で他人を大切にしたい。けれども、謝り方も忘れるような、そんな恩も忘れるような優しい人間を利用するような人間を僕は絶対許さない。

許して、なあなあにして、弱い人の味方になるのを恐れるようなそんな人間には絶対にならない。

表面上は泣き寝入りでも精神的に負けてなるものか。

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父の腎臓が悪い

ここ数年で父が腎臓を悪くした。それでも平均より少し悪いというぐらいの数値だったのだが、この間の定期検査でガクッと下がったようだ。

父はおそらく慢性腎臓病だ。なぜ”おそらく”なのか、それは父が話すたびに「腎臓慢性症」だったり、「慢性炎」だったりコロコロ変わるからだ。父は学がない。学歴は中卒だが、中学校にはロクに通わなかったそうだ。そんなわけで、父は腎臓の検査結果に対していちいち僕に電話をかけてくる。僕は酒や煙草、コーヒーは避けて、十分な水分と減塩に努めてとお願いしてきたが、父はそれを真に受けずにどうやら水分不足で数値を悪くしてしまったらしい。医者もそんな父に通り一遍の対応をしていたそうだが、ついに病内の栄養士に相談することを勧めてきた。

きっと父は父のペースで話を進めたに違いない。父は自分の仕事の書類を役所に渡すような感覚でコミュニケーションを取ったのだろうか、僕が「水は一日何リットル取るの?」と聞くと、父は聞くのを忘れたという。いつもより多く飲めばいいという認識らしい。僕は父に「多く取っても少なく取ってもいけない。一応の目安を栄養士に聞いて自分の健康と相談して増やしたり、減らしたりしないといけない。父が自分で管理しなくてはいけない」と言うと、父は「わからない」とだけ言った。

父は二度結婚をしている。姉と兄が生まれてからは一生懸命仕事をした。私達兄弟を大学に入れてくれた。学はないが、心得のある人間である。でもそんな父が最近はトラブルが多い。母も年を取り、両親はいつの間にか少しわがままになってきているようだ。腎臓の検査結果が出る一月前には夫婦喧嘩をした。亭主関白だった父が母に参りきって僕に実家に帰ってきてくれと言う。姉と三人ぐらしの父は女ばかりで辛いのかもしれない。あんなに怖かった父は少し弱ってきている。

夫婦喧嘩の際、母に一週間ほど東京に遊びに来てはどうかと切り出すと母は少し憤慨したのかもしれない。

年の離れた兄と姉は両親の近くに住んでいる。僕は少し羨ましい。ここ12年は1年に一度ぐらいに両親と会うだけだ。離れて暮らしている僕に一体何ができるんだろうか、いつの間にか年をとってしまった。父の腎臓はうまく持ってあと十年だと言う。十年立つと80歳が目前になる。80で透析治療を受けるのだろうか、早くちゃんとしなければと思う。

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痴漢を逮捕してもらい、示談するまでの話

痴漢を現行犯じゃなくて被害届を出し、通常逮捕してもらいました。

その中で警察に動いてもらうのに効果的だったこと。検事や弁護士とのやり取りから学ぶことが多かったので記事にします。

私としては、こちらの負担が少なく、示談することができたので被害をあわれた方は参考にして下さい。もちろん示談すること自体は自由だと思います。

なお、私は代理人で本人ではありません。事件の詳細はぼかして書きますが、示談においても事件秘匿においてはサインしていないので問題ないかと思います。

[事件発生]

彼女が痴漢にあいました。ある日の深夜近く電車の座席に座っている時のことです。横に座り膝と臀部を触ってきたそうです。痴漢以外にも約30分に渡り、駅構内から駅周辺をつきまといされたそうです。

彼女には事件発生からずっと指示に従ってもらいました。事件直後にはケアを優先し、落ち着いてから逮捕起訴を目指すことにしました。被害者は恐怖心があるので自立して戦うことは難しいです。

[その後の経過]

駅周辺にカメラがあるのでつきまといに関しては証拠が取れるだろうと思っていました。警察に言おうか考えましたが、中途半端な対応を取られるのも嫌だったので一時保留しました。落ち着いてご飯を食べれるようになった頃、ちょうど1日後にカバンの中から犯人からの連絡先(カカオトークのID)を書いたカードが見つかりました。

それを元にこちらから連絡し、デートの申し込みを受けるが、デートを条件に免許証の写真と痴漢を認めさせました。犯人をアホだなとは思ったが、こういう人が痴漢するんだと妙に納得しました。

手元に犯人からのカカオのメッセージによる個人情報と犯行についての自認があったので、それを元に警察に連絡することにしました。

[警察への対応]

電話してすぐ「犯人を逮捕したい」、「警察の捜査には協力する」旨を伝え、”被害届を出すにはどのようなステップを踏めばよいか”を聞きました。警察署で話をとのことだったので、署に行き、証拠品(カカオトークのIDなど)を出したり、話をしたり、カードを触っているので二人分の指紋をとったりして5時間程かかりました。

事件発生当時の服を洗濯していたので犯人の手の組織が取れず、カカオトークによる特定は前例がないとのことで送検は難しいかもしれないが、情報の確度が高いため捜査の継続を約束してくれました。

ここで、警察に何を言われても捜査への協力姿勢を示せば警察は協力的であることを学びました。自転車取締のおまわりさんはちょっとアレな人が多いが、刑事はまともな常識観念を持っている人もいたということです。

警察署には一回行っただけで済んで、あと必要なときは自宅まで来てくれました。深夜に動いてくれたので日常生活に支障はなかった。

[一ヶ月後]

検事から突然連絡が来て送検されていることを知る。あわせて示談の申し込みを受ける。しばらくして刑事さんからも連絡を頂き、詳しく事件経過を聞いた。犯人は自宅に警察が来るとあっさり自供したそうで携帯が押収されるとおとなしくなったそうだ。犯人は一度逮捕され、即日で保釈されたようです。

刑事は裁判になると不利益も多いので示談してもいいですよと言ってくれた。送検後の対応に警察は何も言えないはずだが、こちらの動きやすいように十分配慮してくれた言動だと思う。警察から信頼されることは価値のあることだと感じた。

[示談交渉]

示談交渉は代理人として自分が一貫して連絡した。相手弁護士は金額の交渉を焦っていたが、先に示談内容の交渉(当該路線を利用しないなど)をして条件を呑めないなら金額が大きくなってしまうことを伝えた。こちらは弁護士を雇っていないし、プライベートな時間なので、雑務はすべて相手の弁護士にやらせた。示談書の大枠が決まってから、15万の提示を受けたが、交渉し、最終的に40万になった。

交渉途中で幾度も「相場では~」や「法律の常識では~」など、マウントを取りに来たが、その都度、「示談そのものはプライベートなことで違法でない限りは法理は必要のないこと」や「謝罪に相場は必要がないこと」を主張した。

示談金の交渉では、役所でとってきてもらった所得証明書を送ってもらい、相手の収入きいてから決めた。

また示談交渉が始まる前に謝罪文を送ってもらった。これは反省等を促す意図ではなく、示談ができないかもしれない緊張感での「〇〇だから許してほしい」などの言質を取るために行った。結果、示談書作成する上で謝罪文を引用することで有利な条件を引き出すことができた。

[示談締結]

駅前のファミレスで行った。弁護士はこちらの事務所まで来ませんか?と最後まで渋っていたが、当たり前だが、来てもらった。示談後、犯人からいくら報酬をもらっているのかを聞くと、大体の相場は30~50だそうだ。相場の中頃と言っていた。

だから示談金をもらうなら同程度以上の金額がいいと思う。痴漢弁護の弁護士は30万以上の報酬を得て、それより小さい金額で謝罪するのが仕事なのだ。弁護士報酬よりも低いのは気分が悪い。

[最後に]

彼女はこれまで何度か痴漢にあっている。少し慣れているところもあったが、40万をもらってから自分のおしりの尊厳に気がついたようでそれは良かったと思っている。痴漢経験のある女性は少なくないと思うが、きちっと情報がある場合は泣き寝入りする必要はありません。警察は仕事ができる見込み(証拠があるなど)の限りは紳士的に働いてくれるので活用しましょう。

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百瀬、こっちを向いて。 を見た。

ずっと見ていなかった映画だ。それも見たかった映画ではなく、目の端に止めて気になっているが能動的には求めようとしていない映画だ。昔に原作を読んでいて、映画みたいな~と思いながら公開期間が過ぎ去り、ツタヤでたまに見かけながら、「時間がある時に借りよう!」と思いながら借りず、アマゾンプライムに公開されていると思いながら手がつかなかった映画だ。
 見るかどうか悩みながらレビューを見ていると”岩井俊二にインスパイアされた作品”と目がついて、それがきっかけになった。面白くなくてもいいのだ、4年来の重い腰をあげてみることにした。
 その前に、「Love Letter」を借りて見直したので、僕がいかに岩井俊二が好きなか分かると思う。岩井俊二は日本映画の良いところを詰め込んだみたいな映画を作る人だ。映画の派手さはひと欠片もないが、映像による表現技法を10代のかわいい女優に詰め込む技術は評価されている。そういえば、「Love Letter」公開時の中山美穂は25歳なので、10代ではない、岩井俊二は年齢にこだわっているわけではないだろうが、世間は岩井をそう見ているように思う。
 果たして、「百瀬、こっちを向いて。」は少し退屈してしまった。岩井俊二をあきらかに意識しながら脚本とメインの俳優の不一致が気になってしまって慌てて原作を思い出したほどだ。ただ、早見あかりは可愛い。彼女は決して顔のパーツが良いわけではないが、役柄とハマっているように見えた。映画中、原作と真逆に結末が進んでいく中、僕は高校生の頃なら楽しめただろうかと考えた。
 僕は、映画に向きがちな意識を徐々に自分に向けながら、作品のテーマだろうか、”こっちを向いて”について考えることにした。多くの人は、自分に関心を向けてほしいと願う一方で、他人には無関心な人が多いのだろう。小さい頃、僕も母の関心を引きたくて大きな声をあげて泣いたことがる。しかし、それは母に向けてであった。通行人や、幼稚園の先生に向けてはない。幼稚園の先生を間違ってお母さんと呼んでしまい、恥ずかしくなる人がいるだろう、あれは自分で幼稚園の先生がお母さんではないことに気がつくからだろうと考える、恥ずかしさに先生が母ではないと気がつくのだ。そしてこっちを向いてと願う異性の存在が恋愛なのかもしれない
 主人公が「こっちを向いて」と早見あかりに呼びかけて、僕は主人公が片思いをしていることを思い出した。それまでは、大根だな、とか、棒読みだな、などしか思い至らなかった主人公にハッとする。僕が目の端に留めながら気になっていたのは”こっちを向いて”という、ある種の恥ずかしい感情であったのだ。
 最後、髪を伸ばした百瀬は振り向かずに歩いていってしまう、主人公も気に留めながら振り向かない。時がたって、追いかけて「こっちを向いて」とか言わない、スマートになった主人公がなんだか、現実に汚れて見えることに、たしかにフィクションが見えた。10代の純粋さが見たかったのに余計な大人の意地の張り合いを見せつけられた感じだ。
 僕は、子供の頃の自分は母が優しく慰めに近寄ってきても泣き続けたように、”こっちを向いて”と、そこまで言ってしまえば、もう満たされないと思う。だけど、”こっちを向いて”ほしい自分に恥ずかしさを感じながら口には出せないのだ。

 子供の頃の自分に会えた。今回はそれで良かった事としよう。

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子供のくせに、女のくせに。

時折、父は「ガキのくせに!」と僕を叱った。僕は中学生になって「子どもの権利条約」などを学び、どうやら父は言ってはいけない叱り方をしていることを知った。「ガキのくせに!」と言われた僕は恐怖だった。それが刷り込まれていた。

父は姉にも「女のくせに!」と叱った。僕は年をとり「ガキのくせに!」と言われなくなったが、大学生になっても「女のくせに!」と言われる姉が不憫だった。「女のくせに!」と聞けば恐怖だった。

僕は恐怖が不快だった。逃げたかった。父のそんな部分は苦手だった。僕はその恐怖に仕返しに父を悪者にして、生きていた。父を悪者にすることでバランスを取った。

先日、大学祭にいった。ある学生がジェンダー論におけるセックスについて語っているのを聞いた。アンケートをし、女性が泥酔していたり、一人で男性の家に上がったときは一部の男性が”セックスをしてもいい”と受け取るという結果を示していた。約3割の学生がそう考えているようだ。彼はそれを本来は0%でなければいけない。と言った。僕は純粋な学生だと感心したが、一方で、世間とはそのようなものだと、アンケートの結果を意外には思わなかった。その時、最近もやもやしていた感情に結論がついた。

当時、父の「ガキのくせに!」「女のくせに!」という恐怖は父への恐怖だったが、それは本質では世間への恐怖だったのだ。疑いを知らない純粋な子供に、世間の醜悪さを知らない女性に、世間の恐怖に知性をいまだ発揮していない人間に、世間の怖さを代弁したのが父だったのだ。父は自分の子供を守りたかっただけなのだ。口が立って年上にも平気で意見をする僕に、友人と遊んで帰宅が遅くなりがちな姉に、父は理解しない子供に「ガキのくせに!」「女のくせに!」という恐怖を与えたが、それは世間のそれよりも優しかった。

僕は父の元を離れて上京してから世間と相対することになった。僕は18というだけで世間からは舐められていたように思う。そんなとき、私は嫌だったが、怒った。自分の権利を主張するために怒るしかなかった。今は30になった。怒ることも減ったし、権利を主張するときも穏やかに伝えることができる。でもそれは僕が30歳だからだ。30歳だから相手が話を聞いてくれるのだ。僕は23歳の時、50代の大人が僕のアパートの中で土下座しているのを見ている。正当な権利を侵害されてそれを伝えても対応しないのは僕が若いからですか?と伝えて初めて相手は自ら土下座をした。僕は虚しくそれを見ていたが、急に自分が子供ではないことを自覚した。

そんな話の顛末を父に伝えると、そんなことは父に任せろと小言を言ったが、「ガキのくせに!」とは言わなかった。

僕は付き合っている彼女に代わって、物事に対応することがある。世間は女性というだけで舐めてかかってくるからだ。一度彼女がショッキングな表情したことがある。それは男性の僕が彼女に代わって対応した件があって、相手の態度が変わったときのことだ。自分が性別で下に見られているのを知ったときの感情は「女のくせに!」と言われ時とどちらが悔しいのだろうか。

今、僕は付き合っている彼女の痴漢事件の示談の代理人をしている。犯人は反省もしていないだろうが、相手の弁護士にさらなる対応の必要性を伝えることができる。大人になったからだ。だが、女性は大人になっても偏見と戦わなくてはいけない。

僕は大学祭の彼にも聞きたい。アンケート結果を義憤の表情で伝えてきた彼に。きっと僕は娘がいたら、泥酔したり、男性の家に一人で行ったらだめだと言うだろう。その理由に、娘が女性だからという理不尽な理由を添えて憎まれ役を買って出るのだ。その僕を差別主義者だと思うか?と。

子供のくせに、女のくせに。というセリフも本当は優しいときもあるのかもしれない。
「ガキのくせに!」と言われて泣いていた自分に愛情に包まれて育っていることを僕は伝えてあげたい。そして今ではなく、いつか、子供が子供と言うだけで権利を奪われることのない世の中になればいい。僕は泣かされた復讐と両親へのせめてもの親孝行で世間と戦っているのだ。

それが、僕にとって生きているってことの一つだ。

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ガスコンロが壊れた。

ずっと一人暮らしで使っていたガスコンロが壊れました。今まで勢い良くでていた青い高温の炎だったのが、ゆるい赤い炎しか出なくなってだらしない感じだ。少しぐらいなら使えるんだけど、赤い炎ってだけでこんなにも不安になるって怖い。そういうわけでインスタントばかり食べている。

ガスコンロは11年使っているものなんだけど、急に働かなくなってしまった。どれだけ勉強しても、どれだけ賢くなっても、目の前のこの機械は働かないのだ。

大学に入りたての頃を思い出した。
僕のことを全然理解しない先輩がいて、でも親切で根の悪い人じゃなかった。どちらかといえば好きだった。でも一度、誤解されたことがある。そのことが理由で先輩は僕に当たりが強くなってしまった。

ありていに言えば、今落ち込んでいる。僕は今すっかり落ち込んでしまって、なにをすればいいかわかっていても手につかない。鬱とかじゃない。病気とかじゃない。落ち込んでいるだけだ。

ガスコンロは買い換えればいいけれど、人間のことはそうは行かない。誰かに褒めてほしい、よく頑張ったねってそれだけでいい。

自分が好きな尊敬できる人に認めてほしい。自分のコンプレックスが嫌だ。

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「メリー・ポピンズ」を見た。

最近は映画館でよく映画を見るようになった。

ひとつには映画館という空間が好きになったこと。映画館には適切な空調管理と、携帯電話を切っていてもいいという自分への口実ができるからだ。そういえば30歳になった。30歳の良いところは社会から舐められなくなることで、悪いところはしがらみが増えることだ。しがらみ自体は悪いことではないのだが、意図していない時、空間で連絡が来ることが増えた。僕は連絡をスルーできる性質ではないので映画館という空間は都合がいいのだ。
もうひとつの理由は、いまお付き合いしている方とデートに行くことがあるからだ。その方との初めてのデートはレイトショーだったので、映画館に行くと少し感慨深いものがある。
さて、表題のメリーポピンズだが、当然リバイバル上映になる。会場までの立川の映画館までる前日から宣伝文句である”爆音上映”について少し言い争いなんかをしながら、50年前のディズニー映画ということだけを頭に入れて見に行った。最近はディズニー映画を見る機会が多く、それまでに「In to the woods」と「ノートルダムの鐘」を見ていたので最近のディズニー創作ではなく、原作がしっかりしている作品の映像化にこだわっているディズニーを感じながら見た形となる。ディズニーは鬱陶しかったりうるさい映画もあるが、2作品はとても良かった。ミュージカル台本が優秀なのかもしれないし、ヴィクトルユゴーが良いだけなのかもしれないが、とにかく、良かった。そして、はたしてメリーポピンズも良作だったのである。
メリー・ポピンズは50年前のイギリスが舞台なのだけど、一言で言えば子供への”全肯定”の作品だ。思えば、ディズニーの過去の名作は弱者への肯定を捧げる作品が多いように感じるのだが、いや、”弱者への肯定”ではなく”人間への肯定”だ。”人間性への肯定”がいつしか”弱者への肯定”とニアリーイコールとなってしまった最近の風潮にメリー・ポピンズは誰もが子供だったことを思い出させてくれる。
僕は鑑賞後のさわやかな爽快感を文章に閉じ込めたかったけれど、今はもう無理みたいだ。少し時間がたっているし、ここは映画館ではないからしがらみがたくさんある。「疲れた現代人にオススメ」なんて言葉を使うと商業主義に過ぎるだろう。新作の映画は期待はずれになってしまうかもしれない。
僕はこんなブログを読みに来るようなあなたに鑑賞してほしい。そしてできれば映画館で。

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言葉というもの

言葉というものは厄介だ。ウィトゲンシュタインは「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と沈黙という手段を用いて語ることなく存在を示すことにしたが、ともあれ言葉に限界があるのだ。
誰もが”ありのまま”の自分を表現したい、見てほしい、という欲求とままならない言葉とで揺れているのではないか。
何も難しいテーマだけではない。例えば、臭い場所があったとする。「〇〇が臭かった」といえばことは足りるはずだが、〇〇が被差別部落地域であった場合、通常この表現は許されない。哲学者のライフワークとは次元は違うが、言葉の持つ性質としてこれは避けられない現象だ。本来の意味とは違う贅肉が付加されうることで、不自由な言葉余計に不自由になる。
文化というのは恐ろしい、享受できるものもあれば、厄介な問題も同時にもたらす。今言葉や表現にはあまりにも贅肉が多い。
芸術や美術や作品作りではその贅肉をあえて無視したり、狭い表現の道をきめ細やかに通ることによって目標に迫っていく。時には大胆で、繊細な舵取りでしかたどり着けないものが人の心を動かす。
言葉は不完全で誤解を生むものだが、それ以外の強力なツールが僕たちには用意されていない。
普段は心を直接に表現すること、されることに後ろ向きな現代人でもダイレクトや繊細な表現に心惹かれるのは人間の性であると思う。
今は表現を抑圧された時代だ。どこかで誰もがその鬱憤を晴らしたいと機会を狙っている。言葉の裏をかいて人の心に迫るような意地の悪さがまかり通っている。芸術家にアマチュアが批評を加えるのだ。

だが、僕はそれは手段として間違っていると思う。正しいあり方は「〇〇は臭いと思う」とはっきり言うことだ。頭に「あそこは差別されがちな地域だけど、そういう意味じゃなくて」と付け加えることも時には必要かもしれないが、僕は不要だと思う。なぜなら、それは差別している人に必要な心の努力であって、本来は不要だからだ。高度に細い表現の道に入り込んでもダイレクトな表現を選んでも、もう表現の受け手側が理解する素養を発揮することは減ってきている。むしろ贅肉を言葉の一部かのような捉え方が横行している。僕は素朴で素直な表現が必要だとおもう。
その結果に誰かの感情に火をつけることになっても僕は言葉で生きていく以上必要なことだと思う。

僕は最大限の努力の中、凡庸な薄っぺらい言葉で生きていくのでなくて、最大限の積み上げでそのままありのままに近い言葉を使っていきたい。

僕は贅肉に精神を与え、自分を空っぽにしたくない。むしろ、贅肉を落とし、率直なコミュニケーションの中で、本来の言葉の力が人間本来の心を取り戻していくのではないのか。

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無題

頭がいいと言われても僕にはそれは不十分で中途半端で何も満たしてくれない。

私にはコンプレックスがある。まぶたの一重と鼻の低さと、あとは、できの悪さだ。そう、僕はできが悪いのだ。
他にもある。昔から足が早くなりたかった。でも早く走れない。小学3年生のときに友達を亡くして、遅くなった。50m走で1秒遅くしてしまった。僕には決定的な出来事だった。
小学生の頃、持久走も走り幅跳びもやったけど、地区大会がせいぜいだった。中学では柔道をやっていた。試合では一回も勝てなかった。勝ちたいという執念がないと言われた。

最終的に僕が憧れた職業があった。それは研究者だ。

はじめは数学者だった。紙とペンで科学をリードする彼らは僕の羨望の的だった。彼らの人間性のアンバランスさにも惚れたし、不可解な生き方に憧れた。ガロアやラマヌジュンの人生を調べて悦に入ったりした。
僕は研究者を目指すことにした。が、勉強の出来はごく普通だったと思う。ただ、結論に至るセンスは他と違っていたと思う。僕が他人と決定的に違うのはそれだ。

数学者ではなくなってしまったけど、今僕は研究者を目指している。

いま、カンファレンスに出れば有名大学の教授の発表を聞くことができるし、自分の研究の相談も乗ってくれる。大学の同期が大学教員になっているし、研究話やまつわるよもやま話もできる。
一方で、僕よりセンスのない先輩が学位をとって研究者なっている。いま僕が必要なのはセンスでも頭の良さでも何でもなく適性なのだと思う。

大学で走るのが速い同期がいた。そいつが走るとドキドキしたし、感動した。でも本人と話したらままならないことが多かったようだった。同期の大学教員も同様でなにか自分の目標との不一致を解消しようとして模索しているようだった。同じようなケースなのだろうか、最近、僕は前にもまして「頭がいい」と言われることが増えた。アカデミックな場でも言ってもらえる。だけど、その言葉をどう受け止めればいいのだろうか、その頭の良さはできの悪さと引き換えにしてしまったのではないか。しかも残念なことに、僕のセンスはどうやら突き抜けそうにないし、それだけを評価してくれる舞台はどうやらなさそうだ。

僕はいま、「頭がいい」自分と卒業が遅れている身分ともてあましたセンスとで、宙に浮いている。

何故浮いているのか、ほしい評価が得られないからだ。僕のほしい評価が得られないままで有頂天になれないからだ。その点で僕は絶望してしまっている。絶望して逃げているのだろうか。

自分は有頂天になれないからすねてしまうようなつまらない人間だったのか。

ある問題で、ディスカッションをする。僕が問題提起をする場合、序の口で「なぜ?」と入る、丁寧に説明をして「そんな切り口があるとは思わなかった、頭がいいね」と言われる。結局、問題意識や、問題の共有はできずに終わってしまう。僕のセンスの結晶は誰に評価してもらえるのだろう。誰と共有できるのだろう。僕は末っ子で相手にしてくれる大人は多かった。話は聞いてくれた。だけど、話を聞いてくれる分だけ「何を考えているかわからない」と言われた。場所を変えて、アカデミックに行っても同じだ。理解はしても評価はくれない。興味はくれない。

簡単だ、自分の独自な性質だからだ。自分で完成するしかないのだ。完成品を出して使ってもらうしかない。

こんな救いのない文章を書きたくなったのは、切なさや、感傷に浸って自分の目標を失わないためだ。郷愁や陳腐な代替物で満足しないためだ。

他人にどう思われてもいい、僕は自分を満足させたい。幼いままの出来の悪かった自分を褒めてあげたい。

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本を読むこと

ショウペンハウエルの「読書について」を再読した。古典として残るべくして残った良書だと思う。
ショウペンハウエルは「筆者と向き合う必要はない」と結論していると記憶しているが、私は、おそらく、彼の主張と同じ意味で、仮想的な筆者を想定している。
私は本を読むとき、仮想化された筆者からの、一方的な主張にされされる自分を感じるのだ。
逆に、本の世界を離れ、リアルな人間に接するとき、双方向に伝達可能な関係においての相互理解の難しさに絶望的になる。
一冊の”本を理解する”ことと、一個の”人間を理解する”ことは段違いに難しい。
しかし、最近は人間も仮想化されているらしい。自分という個人をうまく仮想化し、抽象化し、そして具体化し、さらにわかりやすく加工し、やっとコミュニケーションという舞台に上がることができる。

他人とうまくコミュニケーションをとることのコツはわかりやすい人間になることだ。だが、私は現実を本のように生きて無駄にしたくない。

生き生きとした人間に触れながら、自分もまた、生き生きとした人間でありたい。

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ペブルを買った話

pebbleっていう、型落ちのスマートウォッチを買ったのだけれど、なかなか便利だ。
多分、メーカー保証がもうないからだろうか、新品でジャンク品というよくわかんない商品だった。動作保証しませんだって、全部で5個買ったのだけれど、全部動作しやがって少し持て余している。

この記事が5個のPebbleにたどり着くまで。

これから友達の話をする。
お家にPebbleが5個もあるのはそいつのせいだからだ。ぼくは思うのだけれど、友達はずっと友達でも、いつの間にか連絡しなくなったり、距離ができるものだと思う。その度に人間関係は変化するし、人の成長もあるんだと思う。だけど、pebble5個の威力にかけて、少し形に残しておきたいと思う。

ネットの友達

知り合って、3年ほどになるその友達の関係は恋愛絡みではなくて良い友人だ。僕はあまり変化がないのだけれど、彼女には大きな変化がいくつかあった。妊娠、結婚、子育て、最近二人目が生まれた。はじめの妊娠は学生のうちだった。2度ほどしか会ったことのない人だけど、彼女は確かに友人だ。
僕からすれば、少し特別な経緯がある。

僕の人間関係は淡白だと思う。「縁があれば」って感じだ。だから、その友人がネットの異性の友達(これは僕のことだ。)のことで、彼氏と喧嘩した時も、僕は申し訳なくなってしまって「もう連絡とるのは控えたら?」と言ってしまった。
友人はそれがショックだったようで泣いてしまった。今から考えると少し大げさな気もするが、僕への執着ではなくて、単に友達が少なかったらしい。

ちょうどその頃、友人がパソコンがほしいと言っていたので、僕が修理して家に眠っていたパソコンを送ったことがある。5-6年になる古いノートパソコンだったけれど、
ネットにつなぐ予定はなさそうだったし、DVDが見たいとか、そんな理由だったので十分そうだった。

「パソコンをもらう」これは結構衝撃だったのか、なんとお返しを送ってきた。
小瓶に入った上品そうな良い蜂蜜だった。友人は得意気にその蜂蜜をどこで買ったとか、どんな基準で選んだとか、なんかいっぱい言ってた。紅茶に入れて飲めと言われた。色々とめんどくさい贈り物である。紅茶の葉っぱはついてなかったし。
でも、その蜂蜜を口にして、はたして良い蜂蜜だったようだ。匂いが違ったから。

それから、友人はDVDを見ながらマタニティーと国家試験をこなし、一度デニーズでご飯したり、それから卒業して、子供を産んで、結婚した。それから、赤ちゃんに挨拶しに行ったりした。もう人妻なので、わざわざ女友達と一緒に行った。友人は女友達がほしいので、早く結婚して嫁さんを紹介してねって言ってた。
いくらなんでもそれを基準に結婚するのは無理があるんじゃね?

今年の僕の誕生日に靴下をくれた。理由は「なんだか元気なさそうだったから」だって。
正直、少し落ち込んでていた時期だったので嬉しかった。お返しにカフェインレスの紅茶を送ろうと思っていたけれど、良いのは全部売り切れてて、返せないうちに二人目が生まれたみたいだった。

友人は学校を卒業してしばらくは働くつもりだったのに卒業して二年かそこらのうちに
2児の母になってしまった。色々苦労もあるみたいで、僕は自分の母や、おばちゃんも
「こんな感じだったろうか」って思った。

その頃、ジャンク品の初期型pebbleを自分用に買ったのだけど、すごく便利で、いいなって思ってた。だから、靴下のお返しにpebbleを送ることにしたのだ。旦那さんと友人の二人分。ここらで、旦那さんに無害なただの友達であることをアピールしておきたい。

Pebbleが5個ある訳

僕はPebble が気に入ったので、予備にもう一個買おうかと思ってた。それに二人分送るので、動かないのがいくつかあるかもしれないと思い、4つ買った。ジャンク品?全部動いた。
予備は2つもいらないよね。

終わりに

二児の母は機械音痴だ、だからPebbleの使い方は旦那に教わるだろう。
二児の母は忙しいだろう、だからPebbleがスマホの代わりに通知を出してくれるので、重要な連絡を逃さなくなると思う。
二児の母はパソコンを使えない。DVDはテレビで見れるようになったので、実家のお父さんにあげたらしい。Pebbleはお父さんにあげないでネ。

梱包したけど、まだ発送してない。発送するのってめんどくさいよね。届くの遅れると思うけど、届いたら使ってください。

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32bitUEFIのスティックPCのdebian(64bit)を8から9にアップグレードした話

スティックPC、DG-STK1B でマイクラ鯖を立てた話

この記事の続き。

前回は32bitUEFI環境に64bitlinuxをインストールするに当たって、以下のOSイメージを使えば一発ですよ。という話をした。

http://cdimage.debian.org/cdimage/unofficial/efi-development/jessie-upload3/

同じ状況の方がアップグレードするための話

前回の記事に結構アクセスが来ていて、反応を見ていると楽しかった。スティックPCでWindowsが重くてアップデートできなくなった難民の方や、子供ために固定費を浮かせてマイクラ鯖立てるお父さんとかw
32bitでインストールするのは簡単だけど、ちょうど移行の時期で、64bitじゃないとパフォーマンスが出ないソフトが結構あった。javaのヒープとかね。だからみんなの目に止まったんだと思う。

それから時間は過ぎて、debianのアップデートがきた。debianは結構お硬いイメージのディストリビューションで、パッケージがもろ古いので、早くアップデートしたくて、debianの”unofficial”なパッケージを監視していたが、アナウンスがない。重い腰を上げて調べてみると、stretch(9)では、公式に対応したそうだ。

なので、この状態のままアップグレードを強行することにした。

以下の手順を参照されたい。

無事に再起動できた。

最近はマイクラに飽きてきて、たまにしかサーバーを起動しなくなった。その代わりにwebで使えるIDEをインストールしたので今度はその話をしようかな。

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勉強をすることの意味

勉強ってなんなのだろうか、”学問を身につける”そういう意味での勉強を取り上げる。

世界史未履修問題

88年生まれの世代には聞き覚えのある問題だと思う。はじめはどこかの公立高校で世界史を教えずに単位を認定していたという問題だったのだが、問題が発覚して1週間ほどが経ち、判明した事実はほとんどの進学校で同じような問題が起きていたことだ。それは僕の学校でも例外じゃなかった。

僕の学校の場合

僕の学校の場合は理系の世界史Aの時間を地理に当てていた。当時、文部科学省は高校の過程において世界史を必修にしており、世界史Aの単位が卒業基準に含まれていたようだ。だが、高校ではその時間を地理に当てていて、僕らは受験生の2月と3月に世界史Aを履修することが求められた。
僕は明確に覚えているのだが、当時学校側の説明は以下の3点にまとめられる。

  1. 理系なので地理に時間を当てたほうが良い大学に受験できるだろうということ。
  2. 生徒の皆さんを困らせるつもりはなかった。
  3. 結果的に困らせてしまい申し訳ない。

「なんでも質問をしてください」と言われたので、僕は質問をした。僕は学校側の対応が不思議で仕方なかった。

Q: ( 僕の ) 高校では大学に受験に合格することが目的なんですか?
A: ( 教頭先生 ) はい、そうです。

僕は残念だけど、仕方ないと思った。僕の勉強する目的は他にあったけど、この学校ではそれが受験だったらしい。このニアミスは仕方ない。諦めよう、残念だけど。そう思っていた。だけど、2日後の朝礼で。

A: ( 教頭 ) 先先日は「高校の目的は受験か?」と言われて、そうだと答えたが、間違いだった。この高校では運動会や部活もしている。受験だけが目的ではない。

だそうだ。私は耳を疑った。僕は受験は少し目的だったけれど、運動会が目的で高校に来ていない。「結局、僕の考えていることは伝わっていないのだ。」と僕は考えて、それ以上のコミュニケーションを諦めてしまった。(学校側もフェードアウトを狙っていた。)

今考えるともう少し僕も自分が考えていることを理解してもらう努力をすべきだったと思う。この努力をすることは、結局いつまで経っても慣れないのだが。

つまり僕は学校に勉強しに行っていた。「なんで世界史教えてくれなかったの?勉強したいのに。」ってことだ。だけど、そんな希望はどうやら小さいことだったようだ。

学校の意味

勉強する意味はたかだか”受験”や”テストの点数”に置き換えられてしまっているのが現実だ。高校の意味は部活とか、体育祭とか、あるのだけれど、現実は学校は「勉強だけをする場所ではない」のだ。だけど、僕は真の意味で、”学校は勉強する場所”だと思う。

学問はすごい

シンプルに言う。学問はすごい。だから、学問を身につけることである勉強はやったほうが良い。
なんで学問がすごいかといえば、すべての学問は人間の「なぜ?」に対しての回答を目指しているからだ。勉強をしたということ(勉強ができるではない)は「なぜ?」に対して真摯に向き合ったということだ。つまり自分ときちんと向き合えるということである。
これが勉強ではなく、スポーツや音楽だったりお絵かきだったりする人もいるだろう。(それだって本来は体育、音楽、芸術であり学問なのだが。)仕事もそうかもしれない。それがない人は勉強をするのだ。

勉強しないと、(自分と向き合わないと、)逃げる人生になる。うまくいかないことは全部他人のせいにしてしまう。だけど、学校の勉強が勉強の全てではないから一概には言えないのだが。

勉強する意味

勉強は実は手段だ。身につけた学問は発揮しなければならない。勉強はインプットだからだ。しかし、何かを表現するためには自分に材料がなければいけない。

自分という人間が人生を通して何を表現するのか、
勉強しない人間は知らず知らずに何処かで聞いたような誰かの人生の真似をして終わるのだ。それは舗装された道を初めて歩く気分なのではないか。
勉強した人は勉強しても見当たらなかった自分の個性を表現できるに違いない。それは本当に価値のあることだと思う。

最後に

学校の勉強で学ばないことはいっぱいある。数学だったら位相なんて高校数学じゃ絶対しないし、四元数を見てニヤニヤすることもない。インカ帝国のマニアックなことは勉強しないし、歴史を掘る考古学者の仕事が理解できるわけじゃない。アポロ18号や地球が丸いことが分かっても、風船にカメラを付けて飛ばして地球の丸い写真を撮る方法がわかるわけじゃない。学校で勉強ができなかった人は自分の「なぜ?」を追いかけてみたら良いのだ。
それは絶対役に立つ。
誰かの役ではなくて、自分の役に立つのだ。

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どうにもならないこと

どうにもならないことって山ほどいっぱいある。問題が小さくても大きくても、無い袖は振れないってことだ。

今日はファミレスで後輩とおしゃべりした。そいつが悩んでることはずっと変わらない。だけど僕は素晴らしいと思う。諦観にまみれた大人の戯言なんかより美しいと思う。たとえ現実なる力が不足していても。

世界はきっと”あとひと押し”なことが多いのだ。”あとひと押し”で解決できることが、個人には”どうにもならないこと”としてふりかかってくる。
そんな中でみんな一人ひとり必死に戦っているのに公共の福祉だとか、もっと社会のことを考えようとか言われる。アフリカの貧困のことを考える前に目の前の誰も幸せにできない自分一人に辟易する。そんな中でもそれぐらいの余裕は持っていると勘違いしたいと思う。

そんな中で、”あとひと押し”のスイッチをもった人間が目の前に現れるとどうだろう。人はきっと逆境よりも甘えられる環境にこそ弱い。ゴールまでの距離もわからずに走り出してしまう。そして月日が立つと誰もたどり着けないけど、スイッチを持つ人が住むゴールだけが残って人を腐らせていく。

僕は今日の後輩が社会に出ると、十中八九、考えが変わって、変質してしまって、今日話したことを忘れてしまうだろうと思う。だけど、僕は覚えているのだ。彼が考えていたことや、どうにもできないことに対しての義憤や、その動機を。

写真や、文字や、動画にも残せない記憶の一つとして残しておこうと思う。だけど、自分がスイッチを持っている人間になれたら忘れてしまうかもしれない。他人にとっての”どうにもならないこと”がスイッチひとつのことに見えてしまうかもしれない。

その時、僕という人間はスイッチを押すことの正義に悩めるのだろうか。人間のどうしようもできない、どうにもできない、そんな部分に真摯に対峙できるだろうか。きっとスイッチを持ってしまうと、もっと難しくなるのだ。わからなくなってしまうのだ。

だから今日の出来事を忘れないようにここに書いておこう。

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死んでも代わりは居る?

このブログが話題らしい。

死んでも代わりはいくらでもいるという現実」とタイトルがつけられたそれはなかなか興味深い。
筆者は「上司が死んだと思っているのはその上司の家族だけなのではないだろうか。」と述懐していて、私はなかなか間違ってもいないと思った。
でも、このブログでは、人生が仕事とプライベートに分けられ、仕事に関しては例外はあるものの代わりがいるものだと結論しているようだ。私は、それは間違っていると思う。

人生は仕事とプライベートの二元論か

確かに企業の経済活動は多少の滞折はあっても問題なく進むだろう。だが、それは代替可能な職務というだけだ。むしろ人が死んだくらいで社会が止まってはいけない。だからそういうシステムを人類が作ったと言える。
だが、職務は代替可能だが、人は代替可能ではないのだ。Aさんが作った書類とBさんが作った書類の違いは同じ書類であれば、せいぜい筆跡が違うくらいでフォーマットは同じだろう。それは書類を取り巻くルールが画一化を求めたからだ。かけがいのない仕事は無くなったら困る。誰かでしかできない仕事は少ないほうがいいのだ。でないと社会は混乱してしまう。

何にとっての代わりなのか

私はここに「かけがえのない存在」のミスリードがあると思う。”死んでも困らないから代わりが居る”のと、”同じ人が居るから代わりが居る”のでは全く違う。だから私は思うけれど、死んでも代わりは居るけれど、あなた自身の代わりはいないよと。

本当に意味があるものは目に見えないことが多い。おそらく、企業が管理している社員としてのヒトには代わりなんていくらでも居る。目と鼻と口がついていて脳があって、人間であれば十分だろう。

代わりがない部分は見えにくい

だが、社会の評価が届かない場所に本当の意味は確かに存在している。その人が生きている間、何をして、何を考えて、行動したのか、だ。作った書類に意味は少ない。本当の意味はなぜ誰でも作れる書類を必死に作ったのか、死ぬまで、どういう思いで生きたのか、だ。ここに絶対的な人生の意味がある。決して能力ではないのだ。

だから、変わりいてもかけがえのない個人なのだ。人が死んでから一番大きな意味を持つものは遺書であったり日記だ。日記は自分のために書いて残したものかもしれないが、文字は本来他者に気持ちや事実を伝えるものである。人間は自分の足跡を残したがっている。意味を自分で見つけているものなのだ。代わりがいない仕事をしている人は必死に後継者を探すはずだ。なぜなら代わりがいないと困るからだ。
代わりがいないと困らせて、自分の存在意義を見つけてはいけない。

代わりがあること

僕は代わりのあるものが好きだ。一点物の品物は使いにくい。だけど、文房具は量産品でもずっと使っていると同じものでもなんか違って感じる。これが僕にしかわからない文房具の価値なのだ。

僕はいつも遊んでいる友達が死んだら、しばらくして違う友達と遊ぶことになるけれど、”友達と遊ぶ”構図は同じだけど、友達は別人だ。そういうことなのだ。

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欲しいもの

僕らが”望んでいるもの”。”欲しいもの”。実はそれらは”望まれているもの”、”欲しがられるもの”なのではないか?などと考えてしまう。
実ははじめから”ああしたい”や”こうしたい”には全てパターンがあってそれを夢見ているだけなのではないだろうか。

アポロ計画は月へ上陸を果たした。NASAはついこの間、49光年先の近さにハビタブルゾーンに位置する惑星郡をいくつも見つけた。

最近は僕らを怖がらせる地震も頻発している。

進化の様相も偶然の産物ではなくて本来物質の持つ物性が遺伝子の二重らせんを安定させていることがわかっている。

アメリカも”世界の警察”を引退するかもしれない。

僕らにとって発見であるはずのそれらはもとからあったものばかりだ。
当然、僕らの”ああしたい”や”こうしたい”ももとからあったものたちなのだろう。

そのうち膨大な不可能たちが当たり前の当然となっていくこの世界を受け入れていくことができるのだろうか。

こういったことを何も考えずに図鑑やテレビやニュースを夢中で楽しんでいた時間は少なくなっていくのか。

いや、”できるはずだ”が”どうせできるのだ”に変わる瞬間が一番怖い。

僕らが血を噴き出しながら望んいるのは結果となって固定化していく事実ではなくてそのプロセスの中で得られる価値なはずだ。

アポロ計画もハビタブルゾーンも地震だって遺伝子だってなんだって、どこかの星のより高度な存在からすれば当然の出来事なのかもしれない。だが、そこには関わった人間のドラマがある。

僕らの望んでいるものは、その価値は、大人が当然知っているものであっても、目の前のこどもが夢中になって目をキラキラさせて喜びを表現させながら追い求めていく何かなのではないか?

ロシアのプーチンだって、アメリカのトランプだって、北朝鮮の金正恩だって、小さい頃は目をキラキラさせていたのだろうか。

今、社会が”当然だ”という凶器でみんなの目の中のきらめきを奪っているのではないか。

僕らが本当に望んでいる、欲しいものは、まだ全然実現していない。誰もまだ”当然”にしていない。本気で言えば鼻で笑う人もいるに違いない。だが、本当は世界中の人が熱中して夢中になって追い求めたいはずだ。

僕は人間への評価が肩書やお金や権力ではなく、もちろん肌の色や性別や、育ちではなく、子供の頃に持っていた無垢な魅力で仲良くできると本気で思っている。
だが、これだけは”どうせできる”とは思えない。

どうやらまだ世の中は、予定調和ではない、かといってサイコロでもない、やるべきことが残っている。まだ十分キラキラできる魅力を残しているようだ。

少なくとも僕にとっては。

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wordpress 4.7.0 4.7.1 の脆弱性に関して

すでに公開・公表されている脆弱性に関してです。
日本メディアに関しては以下にアナウンスされています。
https://www.ipa.go.jp/security/ciadr/vul/20170206-wordpress.html

バージョン、4.7.0、4.7.1を使っている方は4.7.2へ至急アップデートを行ってください。

内容はwordpressに備え付けのrestAPIを叩けば記事の内容が勝手に改ざんできるということ。

自動アップデートができていない現象があったので管理者は自分で確認したほうがいいです。

この記事は再現性のレポートになります。POCも公開されています。以下のコード。
https://github.com/linuxsec/pentest/blob/master/ruby/wordpress/41224.rb
rubyコードだけど、WebAPIを叩ければ誰でも単純に実行できます。

すぐにアップデートしましょう。

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有人改札の思い出

今年福井県から有人改札がなくなるらしい(出典)。

私が育った田舎ではまだまだ自動改札は整備されてなかった。Suicaもつい最近の話な気がする。改札の通れるところは2つしかない小さな駅なのに駅員さんがぽつんと立っていて、ぱちぱちと切符をさばいてくれる。
私は自転車通学で電車にのることがなかったのだが、父と一緒に切符を買いに行くことがよくあった。

父の用事で電車にのるので僕には関係ないのだが、ついてこいというのである。小さい頃はついて行くだけで父は切符を自分で買っていたが、小学生高学年になると父は僕に切符を買わせた。父は自営業なので切符を買う時に領収書を貰わなければいけない。僕は父の言われたとおりに「駅名」と「お金」と「領収書」だけを覚えてよく切符を買うようになった。小学生の僕が間違えたら「買い直してこい」と言われ、後に小言を言われた。
今思えば父なりの教育だったのだろうか。僕は駅の切符売り場で「領収書」を学んだし、父が往復で遠くにいくときには「収入印紙」のことも勉強した。父は僕が説明できない時は駅員に聞けと言い、駅員が説明してくれない時はすごい形相で僕にらみ、駅員に怒鳴りに行った。父は例え相手が子供であっても仕事を疎かにしてはいけない。といった。

15年前、最後に父と駅に行ったときのことである。父は、目を細めて遠くの駅員さんを見つめて「ああいう人が僕は好きだ。」といった。その駅員さんは足が義足だった。その時、私は内心で「障害があるからって好きになるのか」と父に反抗した。偽善ではないかと思った。義足の駅員さんはいつまでもその駅で働いていた。何しろ僕が小学生低学年から今もまだ働いているのかもしれない。

時は過ぎ、私は大学に行き、帰省のたびに義足の駅員さんを見かけて僕は「あれが父が好きな駅員だ」と思っていた。そしてある時僕はハッとした。父が好きな駅員さんは仕事が速いのである。移動はもちろん義足のために遅いのだが、切符を売るのから改札のぱちぱちまですべての動作がその駅で一番だった。そういえば、その駅員さんから切符を買う時に僕が叱られたことも駅員さんが叱られたことも一切なかった。父はそれを知っていたのだろうか。この前最後に帰省したとき、自動改札になっていた。改札を通るときの切符のぱちぱちも「こんにちは」も「いってらっしゃい」もなくなっていた。

なんだか世界は”便利”と引き換えにして”なにか”を売り渡しているような気がする。
そのうち切符もなくなってしまったら、僕の知ってる父の好きな駅員さんがしていた仕事はもうなくなってしまうのではないか。
もう僕は今年で29歳だ。小さい頃の原風景が塗りつぶされていく速度が早い。

小さい頃は時間はゆっくりだったのに、今僕が見ているパソコンの画面も誰かにとってはノスタルジーな何かになっているのかもしれない。

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いじめの問題が抱えるジレンマ

最近のいじめ報道に憤慨したのでいじめについての自分の考えを述べる。

”いじめ”とはなんだろうか、現行の日本政府における”いじめ”の定義には少なくとも2つあるようだ。

  1. 文部科学省によるもの

当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの

  1. 法律(いじめ防止対策推進法、第二条一項)によるもの

児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう

どうやら、日本政府による”いじめ”の定義には少なくとも以下の要件を含むようだ。

  • 児童であること
  • (判定すべき問題に対して)一定の人間関係が存在すること

だが、私は”いじめ”は児童にのみ存在する問題ではなく、また、加害者のいない”いじめ”も認めるべきと考える。また、一般に犯罪と言われるたぐいの問題やそれに準じる問題とは切り離して考える。例えば、恐喝や、窃盗、詐欺は犯罪である。被害者の感情に客観性がない場合や、年齢による制限や、強制性の判断がつかず、司法によって不起訴や警察が取り扱わない場合でも、被害者にとって明確であれば、私は犯罪と呼ぶ。私は犯罪に対しては大小なりとも加害者にペナルティが課されるべきであると考える。これを求めることに対して、被害者の”暗い感情”は必須ではなく、別の感情であってもかまないしむやみにその動機の拠り所を特定されるべきではない。

”いじめ”に客観性がある場合、つまり誰から見てもいじめと分かる場合については、改善が期待できる。周囲の強制力を持つ存在に頼ればよい。こうした問題について自力での解決を優先することは愚かであると思う。自分の心身に渡る健康を優先すべきだ。

”いじめ”に客観性がなく、主観的である場合、これは直ちに改善が難しい。例えば、ある集団による雰囲気によって醸成されるものがそうだ。こうした問題を放置すれば、進んでいく歴史の中で解決されないと”差別”と名前を変えることになる。”いじめ”は「私だけが我慢すれば」という問題では決してない。解決しない”いじめ”は必ず同じ事象によって苦しむ後輩が現れる。

また、”いじめ”の要件に加害者が必須であるならば”いじめ”が新たに”いじめ”を呼ぶ可能性さえある。そして客観性のない”いじめ”には「いじめを認定する証拠がない」という問題が常に付きまとう。しかも、万が一にでも”いじめ”が誤認された場合、誤認された”いじめ加害者”に対しての精神的苦痛は新たな”いじめ”になりうる。

”いじめ”の問題はこうしたジレンマを常に抱えている。そして”いじめ”の悪魔性がこのジレンマを放置するわけがない。常に”いじめ”はバレないようにひっそりと行われているのだ。

私は解決どころか認知さえされない”いじめ”の方が多数だ。よく他者はいじめられた子に対して「戦わなくても良い、逃げた方がいい」と言う。だが、私は「逃げることも戦いだ」と言いたい。

この未熟な社会は時に浅ましく時に優しく人を育んでいく。一時的に白旗を上げることがあっても知性を持って戦い変えていく他ない。私はそう思う。

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apacheからnginxへ移行した話

もう古い話題なのだが、先日apacheからnginxに移行した。
移行理由はwebサーバーを「let’s note cf-w4」から「DG-STK1B」に移行するにあたりnginx使うか!という安直な発想から。これでシングルコアpenMを卒業したことになる。ふむ。まだまだ使うけどw
そこで、wordpressをいくつか持っているのでこれをnginxで動かすには.htaccessをnginxの設定に変換する必要がある。

そこで以下の構成のwordpresを引っ越す必要があった。

http://domain/
に設置したWordpressと
http://domain/blog/
に設置したWordpressの構成

つまり、マトリョーシカのように入れ子のようになっているわけだが、このnginxの設定が日本語でネット上で見つけれなかったので自分の設定を晒すことにする。”wordpress nginx 入れ子”で検索すると困っている人のブログが上位に出てくるので誰かの参考になればいいなと思います。

nginx歴が2日なので、無駄設定が散見されるかもしれません。ご容赦ください。

ポイントは環境に合わせてlocationをその都度一から書くということでしょうか。domainとblogの文字列は各自環境に変えてください。

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H330でXonar DGXを通して音楽聞くと左右音が反転する話。

僕は未だに lenovo H330 を使っているのだが、2年ほど前にサウンドカードXonar DGXを増設していた。H330のマザーボードとケースは独自規格なので、h330のオーディオのケーブルに互換性がない。そこで、配線ケーブルを使って配列を変換するのだが、その配線が間違っていたのでステレオ音声の左右が間違っていた話です。

配線はこんな感じ

参考にしていた情報はこのブログなのだが、左右の音が逆になるので、レノボのフォーラムを参考にして修正する。

配線したときのメモはtwitterにとってあるので、参考にしたい方は以下のツイートを参考にしてください。

Audioフロントパネル側

xx xx 12 11 10 09 08
07 06 05 xx 03 xx zz

— なにわくん (@naniwarinrin) 2016年12月12日

lenovoマザボ側

09 07 10 11 12
06 zz 05 03 08

— なにわくん (@naniwarinrin) 2016年12月12日

いじょう!

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言葉に出来ないこと

言葉に出来ないことはたくさんあります。

何かを詳しく知ろうとして、調べてみたら、もっとたくさんのことを知らないと実は知っていることにはならないって事柄がたくさんあります。
いちいち説明の出来ないでもすごく大切なことはいつも丁寧によく隠されていて、覗き見る行動がないとわからないことだったりします。

私の母は今時珍しい主婦です。私の母と暮らしていた時分は食事も洗濯も掃除も全て母の仕事でした。そんな家庭の中から私は18で上京しました。そこで母の凄さを実感した。となればごくごく普通のお話なのですが私はわりと家事はできる方であり、上京して2-3年はきれいな部屋で自分の好きなご飯を食べ割りと満足していました。今の部屋はすごく汚いのですが。

でも風邪を引いたときなどは少し感謝もしたものです。ですが、さいきん少し料理をするようになって思うことがあります。

母への感謝は初めの方は「こんなめんどくさいものを毎日」と思っていました。
その時は、料理は好きでしたがそんなに真面目にはしてなかったんです。基本は母に教えてもらっていたので適当にやればできる感じでした。

ですが、ここ1-2年ほど真面目に料理をしているのです。すると、自分の中で母の毎日への評価が変わってきました。自分の子供に食事を用意するのは、きっと母にとって楽しかったのだろうと思いました。そして少し深く感謝もしたし尊敬もしました。

”美味しいものを食べたい”ということ本当に思ったのはここ最近のことです。美味しいものってみんな食べたくなるのか、それが幸せなことなのか、今度は自分に子供が出来たら自分の料理を食べさせるともっと感謝するのだろうか。

おそらくきっとその時の気持ちは言葉に出来ないのだろう。

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「〜のような気がする」の意味

午後の出来事。配達員が家にやってきました。ドアをどんどんとノックしました。

僕「ピンポンをおしてください。」
配達員「押したけどならなかったので。」
僕(ピンポンを押す)
ピンポン「ピンポーン」
僕「壊れてないみたいだけど、押したけどならなかったの?」
配達員「押しました。」
僕「ピンポンの音は聞こえた?」
配達員「聞こえました。」
僕「ならなかったって言ったやん。」
配達員「押すと聞こえたような気がしました。」
僕「じゃあ僕の耳が音を拾わなかったんやな。」
配達員「いえ、そういうわけではなくて、聞こえたような気がしました。」
僕「とにかく、音がなるならドアを叩く必要はないので、今後はピンポンを押してください。」

さて、僕は配達員は絶対にピンポンを押してないと思っているのだが、それはそれ、これはこれとして、「聞こえたような気がする」の国語の意味がよくわからない。
「気がする」は「そのように感じられる」(出典1)なので、「〜ような」と「気がする」を重ねて使うのは大変にアホな感じさえする。「〜ような」(出典2)は文脈によって意味がかわるらしい。だが、「聞こえたような気がする」の場合、「聞こえた」と「気がする」が「ような」で接続されており、isではない意味が付加されているようだ。つまり、「聞こえた≒そのように感じられる」であるから、「聞こえたような気がする」は聞こえたか聞こえてないかよくわからないということなのではないか?
つまり配達員は以下の主張を繰り返したことになる。

1. (音が)鳴らなかった。
2. (音は)聞こえた。
3. (音は)聞こえたか聞こえなかったかわからない。

これならばまだ「(ピンポンを)押したような気がする」と言ったほうが良い訳としても優秀だろう。

日本語に詳しい人がいたら教えて下さい。この件はtwitterでも受け付けています。
Tweet to @naniwarinrin

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文章を書くということ

私にとって、文章を書くということは少し特殊な行為だ。

基本的に私は娯楽消費者である。世の中のいろいろな角度からたくさんの数の考え方、感じ方に、埋もれて生きていると幸せだと感じるたぐいの人間である。だけれども、その誰かの感情に、あるいは、思想に、ない自分を見つけた時に文章を書きたくたくなる。

文章を書くという時、特にこのような文章を書くとき、伝える相手は宙に浮いてしまって自分の中にしかいない。だけれども、この大変に私的文章を読んでほしい、自分の感じたことで、誰でもいいから影響を与えたい。これは無くしたくないといった場合に限って、私は文章を書く。

だから私の文章の内容はきっと他人と違っているんだと思う。そして、日記としてはすごく平凡なのだ。

誰も同じことを好んで文章にはしないだろう。だから私には文章と向き合うことが必要なのだ。50音から始まり単語と単語、単語の意味、文法的に正しいかどうか、時に文法として逸脱しても表現として認められる感情の発露が必要だった。

私が他人と声に出してはけして言えないことが文章でなら説明できる。
声に出しては薄っぺらくそしてすぐ消えてしまう残響も文章にすると写真のように切り取ることができる。保存できる。

声に出したら「時間の無駄」だとか、「変なこと考えているんだね」とか「難しい」と言われることが文章にするとなんだか綺麗だ。

私は娯楽消費者である。だけれどもそれだけでは悲しい。私は音楽ができなかったので、文章を書いているのだ。コンピューターが見れば、ユニコードの記号の文字列でしかないものの中に意味と価値を認めているのだと思う。

文章の力は2進数の数字に価値を与えていることになる。
文字列の中に自分の分身を密かに隠す行為なのだ。

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朝顔の意味

「どこかの星に咲いてる一輪の花を愛していたら、夜空を見あげるのは、心のなごむことだよ。星という星ぜんぶに、花が咲いてるように見える。」

「星の王子さま」から(作者:アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 河野万里子 訳)新潮文庫 p.131

これは小説「星の王子さま」の一節だ。他にも、

「地球の人たちって、ひとつの庭園に、五千もバラを植えてるよ……それなのに、さがしているものを見つけられない……。だけどそれは、たった一本のバラや、ほんの少しの水のなかに、あるのかもしれないよね。」

p121

とか、

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。人間たちは、こういう真理を忘れてしまった。でもきみは忘れちゃいけない。」

p101

とかって書いてある。いかにもバラという花がフランスの小説らしい。言い方も直接的でなんだか恥ずかしい。私にふさわしいのは朝顔である。

「朝顔や つるべ取られて もらひ水」

(加賀千代)

意味は『井戸で水を汲もうとしたら、朝顔が釣瓶につるを巻きつけていた。朝顔を千切って水を汲んでも良いのだが、それは可哀相なので、隣の家の人に水を貰いにいった。』彼女は35歳に『朝顔に』を『朝顔や』と詠みなおしたそうだ。水を貰いに行ったことよりも朝顔の愛らしさを強調したかったのではないかと言われている。

この加賀千代の俳句は、僕にとっては祖母の辞世の句だ。

朝顔の切り絵のうちわをうっとり眺めながら祖母が詠んだ俳句だった。亡くなる6日ほど前の時、無学だった祖母から聞いた最初で最後の文学だった。

私は悔しかった。苦労続きの90歳を過ぎた祖母が故郷をはなれて遠い土地の病院で亡くなることが。祖母は痴呆だった。夏を越せるかどうかという時に足を骨折した。食事を拒否するようになり、いよいよと覚悟を決めている時だった。どうしてあげることも出来ずに、うちわで祖母を扇いでいた。その病室の出来事だった。

その後、『朝顔は大事にせなあかん』と言った。私には意味がわからなかった。

そして、それから三年が過ぎました。

今、私は自信を持って、その時の後悔を深い尊敬の念に変えることが出来ます。

祖母の人生をかけて愛した『朝顔』は僕の中で強く根を張っています。あなたの生きた証が確かに生きています。

そして、この星の王子さまたちにも、私はバラもいいけれど、朝顔も教えてあげたい。そして無学の祖母が、フランスの場所を多分知らないだろう祖母が、得た人生の結論に頭がさがる思いです。

この話は絶対に忘れないでいよう。そしてうまく説明できるようになろう。

それからサンテックに朝顔を見せてみたい。

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個性ということ

共感は嬉しい。どうやらこの感情は地球上の常識であるようだ。例えば、日本人写真家がアフリカの裸族に混じって裸になると熱烈な歓迎を受けたらしい。
自分と同じ、それは喜ばしいものだろう。

対極にあるものが”みんなと違う”ということである。”みんなと違う”ということは取り扱いが難しい。”私は周りの人と違いますよ”というわかりやすいタグが付いていても(たとえば肌の色や両足がないとか)理解されないことがあるくらいには。

でも私は思うことがある。みんな目をそらしていても”みんなと違う”ものを必ず持っているのだ。そして現代社会はそれを巧妙に隠そうとする。更に自己の”みんなと違う”に対して無自覚になっている。

さて、ここで”個性”というものをピックアップしよう。”個性”とは他者と明確に区別できる独自の本性のことだ。つまり、”みんなと違う”ということだ。ここ最近、”個性”というワードがもてはやされ脚光を浴び、なにか特別なもののように言われている。

私はここに醜いギャップを発見する。一方で”個性”と言い、もてはやしておきながら、”みんなと違う”ものに対しては排他的で無関心を貫く醜悪な心のことだ。

無自覚に自分をみんなと同じと思い、他者の”みんなと違う”を攻撃する―…

こんな構図は身の回りにあふれている。

自己紹介で”みんなと違う”をさらせなくなっている。

だけど、僕は自分の”みんなと違う”が好きだ。理解してくれる人は少ないけれど、他人が理解するためには長い時間をかけて説明しないとダメなんだけれど、それが自分のどうしようもない本性だから。

”みんなと違う”を捨て置かれたり、責められたり、時に攻撃されても、それはかけがえのない個性で、運良く発見された方はひとまず「初めまして」のあいさつと自分の個性を愛してみてほしい。

自分の”みんなと違う”本性の否定ほど苦しいことはないと思う。

そしてこっそりでいいから僕にもあなたの”みんなと違う”をできれば教えてほしい。

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目に見えるものとそこにあるもの

わかりにくいタイトルで申し訳ない。

友人から指摘を受けて目からウロコが落ちたことがある。
それは「言語は比喩である。」と言った言葉だ。この言葉が真であるかは議論をさておいて、僕の感動を伝えたいと思う。その前にタイトルの意味を。

言葉は意味を持つ。これは私の信念であるが、一方で、冷静にただの文字列だと思う冷静な自分もいる。ここで実体というものを仮定したい。実体とは存在そのものと雑に定義しよう。実体を把握すると「目に見えるもの」となり、目に見えないものまでカバーするとあやふやな存在を認め「そこにあるもの」と言える。ここでは実際に目に見えなくても赤外線でもいい、想像でもいい、把握、認識できるものとしよう。

「そこにあるもの」は実際にあるものでもないものでも存在として認めることとしよう。普段我々が言葉で指しているものは厳密には「そこにないもの」だ。近似しているにすぎない。だが、「そこにないもの」でも実際にない「存在」であれば、それは比喩による産物ではないと思っていた。例えば空想上の存在を言葉で定義してしまえば、「そこにあるもの」=「目に見えるもの」が成立する。

だが、友人は「言語は比喩である。」と言った。たとえ話とでも言えるだろうか、であるならば人類は2つの主義に別れるはずだ。

一つは実際にある「そこにあるもの」を何一つ真に知る事ができないという主義。
もう一つは「そこにあるもの」を普段は意識しないがもう知っている(または知る能力を持っている)とする主義だ。

前者と後者の主張は論理的に同価値であるといえる。そしてこの主張はおそらく論理構造を大きく変える価値はないだろう。だが、言葉で紡がれる「そこにあるもの」の意味を大きく変えてしまう。どちらかの主義を選択したその瞬間にそれまであやふやにしていた世界の意味が大きく変質するはずだ。

私は後者の主義を取りたい。なれば、「知る」ことはすでに自分という外郭を広げる行為だ。目の前においてあるりんごは「りんご」という文字列のみならず、その存在は自分の存在とは異なっていても自分の右手とかわらない価値を持つ。

他人の気持ちを知るということはきっとそういうことなのだろう。

この文章はもっと整理して、大幅に書き足して、きちんとした文章にしたい。

多分こんな感じ
図1

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人が良いということ

「人は悪いよりも良い方がいい」

僕の尊敬する方の言葉だ。一般に”人が良い”といえば馬鹿正直と言われたり、損をするような印象がある。”人が良い”とされる条件は他者を信じ、正直で、純真であることだ。だが、この純真さは脆い。悪人に利用されるのが常だ。利用され続けてそれでも平気な人は居ない。心の中で葛藤し自己を維持しているはずである。または、自分は損してもよいとあきらめる必要がある。

だが、私はこのスタンダードな意見に異を唱えたい。これではあまりに寂しすぎる世の中になってしまう。
私は手本とすべき「人は悪いよりも良い方がいい」を自分に当てはめ実現するためには、抜け目なくしたたかであらねばならないと思っている。なぜならば、”人の良さ”は透徹した賢さにさらされて初めて”他者の利益”になるからだ。

言葉は足りないが、忘備録として。

–2016/7/7追記–

葛藤しながら自己を維持し続け、「人のいい」人を諦めていない人に心底から尊敬と拍手を送りたい。だが、「人のいい」人があきらめずにすむように”人のいい為の自己の葛藤”を和らげる人に最も賛辞を送りたい。

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嫉妬の本質

嫉妬とは難しい言葉だと思う。単純なやきもちだろうか。主に男女の間において使われる気がする。だが、僕はこの言葉が単純な男女間のやきもちではなく、あらゆる人間関係の中に潜んでじっとこっちを見ている気がする。

ひとまず、僕の手にはおえそうにもないブログタイトルだ。僕は人生経験の浅い人間だから、嫉妬という感情を客観的に捉えることが難しい。つまり、自分が嫉妬していることを気が付かないことがままある。そして、それはきっと自分にとって大きな損失だと思う。

ところで、僕は落語が好きなのだが、それとは別に立川談志が好きだ。人間というか、彼の切り口の鮮やかさが好きなのである。それはやはり彼が落語家であるためかもしれない。落語家は心の機微に詳しい。

そんな彼の嫉妬に対する切り口はこうだ。

己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。

”嫉妬”の本質をついた言葉であると思う。お手本にするような素晴らしい人間に対して”嫉妬”するということは一定の評価を下しているに違いない。だが彼は、高い評価を下しても嫉妬は自分のレベルを下げることだという。自分がお手本に対し努力できるか、愚痴を言うのか、人間は自分より出来た人に対して平静でいれない。この環境に陥った時、自己向上するか、自分を下げるか、ほとんど二者択一しかないように思われる。

殆どの人間には都合のいい言い訳がすでに用意されている。

陰口はばれなければよい。
本人に聞こえないところで喋ればいい。
本人に直接言えば悪口ではない。
心で思うだけならば問題ではない。

だが、本当に大切なことは別にある。心を奪われるほどの相手に対し、心を奪われたままで、自分を見失うことが一番良くない。その刺激は自分に向けるべきだ。有能な相手よりなにかでもいいから勝てるのではないかとか、教えて貰う機会はないかとか、自分で自分を見失い、自分の価値を下げている行為。これを談志は嫉妬と言った。

であるならば、「自分より良くできる人を見てやる気を失う」と言ったことも、「自分より詳しい人がいてファンを辞めた」とかも、嫉妬の一分であるかもしれない。人生を振り返ればその集積は大変なものだ。

赤ちゃんのオギャーから初めて、人間はいくらかあきらめ、可能性をせばめて来たんだろう。僕には”嫉妬”が醜い赤ちゃんに見える。自分から削ぎ落とされた一部が目をそらしてくれない、そんな存在だ。

僕はロスしたくない。これは叫んでもいいほどの本音である。
他人は日常の中にそんな”ロス”を散りばめて賢そうな仮面をかぶっているかもしれない。いっときの気持ちよさの対価に自分の可能性という価値を悪魔に引き渡すかもしれない。それが社会の中で普通なのかもしれない。だが、僕は絶対に嫌だ。

心を奪われても、自分の心を奪い返すのだ。

*この記事は5月16日に加筆修正を行いました。

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スティックPC、DG-STK1B でマイクラ鯖を立てた話

これは維持費500円/年(電気代)でマイクラ鯖(バニラ)を立てる話です。

ついにドスパラのスティックPCを買った。前から欲しかったのだが、躊躇してたのは三つ。archlinuxのインストール記事が少ないのと値段と用途がなかったからだ。昨年末から1万を切っており、マインクラフトのサーバーを立てたくなったので買った。つまりサーバー用途である。

僕が買ったのは「Diginnos Stick DG-STK1B」である。後継機の「DG-STK3」を買おうと思ったのだが、スペックが対して変わらないのと、店頭で500円安かったのと、キーボードがついてきたからだ。
後継機の方はプラスチックボディらしく、ファンレス金属ボディのほうが良かったと思う。軽量コンパクト化は熱がこもりやすいではないか、うん。と一人で納得した。ドスパラは在庫を無くしたいのだろうか。店頭で9,480円だった。今はもう少し安いかもしれない。

そろそろ本題に入ろう。このPCにはwindows10がプリインストールされているが、USBに回復ドライブを作成したあとさくっと削除した。そしてサーバー運用のために以下の買い物をした。

USB経由で有線ランつなげるやつ

HDMIメスメスコネクタ

コネクタは各自の環境に合わせるとして、内臓のwifiモジュールをlinuxが認識してくれないので、無理に苦労するぐらいならと思って買った。もっと安いのもあると思う。

ということで、Linuxのインストールだが,幾つかのブログにお世話になった。だが、最終的に利用した環境だけのべておく。

http://cdimage.debian.org/cdimage/unofficial/efi-development/jessie-upload3/

で公開されているdebianインストールディスクだ。これを用いるだけで、32bitのUEFIの悪魔から逃れることができる。おそらく,32bitUEFI環境に64bitlinuxをインストールするのは技術的に難しくないのだが、ディストリビューションの思想的なことだったり、UEFIの仕様に従うと難しいようだ。だからパッケージマネージャー管理から外れた運用になってしまうのだが、それは使用し続けることで、サーバーを不安定にしてしまう。上記のurlによる環境はdebian開発者によるものなのでその辺に転がっている怪しいtips寄りは信用できる。一応、インストールできた環境を下にのせておく。

32bit archlinux 安定に稼働する。但し、32bitカーネル
64bit archlinux ハックすれば起動できる。でもする気が起きないほど面倒くさい。
64bit ubuntu ハックすれば起動できる。面倒くさいし、aptが壊れて、不安定になってしまった。
64bit debian 上記のISOで問題なくインストールできる。 Bay Trail-based machines と明確に書かれている。linuxカーネルにもパッチがあたっているらしい。debianなので頻繁なアップデートで壊れることもなさそう。GUIインストーラーで最小構成インストールできる。安定稼働。カーネルは3系。

以上、DG-STK1Bに導入するlinuxの話でしたw

マイクラ導入は癖なく普通のPC通りです。最大7人ぐらいで遊んでいますが、ネザーゲートくぐるときにラグが出るぐらいで他に不便なところはないです。MODいれるような余力はないです。バニラで遊びましょう。バニラで遊ぶにしてもspigotを導入したほうが使用感は軽くてトラブルが少ない印象です。

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時代を変えるには

よく考えると、”時代を変える”という言葉は詩的である(時代という言葉がそもそも詩的だという指摘もあるかもしれないが)。この文節を文法によって解釈すると、とある年代や時期を変えるということは室町時代に鎌倉時代を持ってくるような事のような気がする。もちろんそうではないのだが。
話を戻そう、私にとって”時代を変える”と”常識を覆す”はほとんどイコールであると言って良い。あくまで私にとってであるが、ひとくちに”時代”といってもその時期の雰囲気や情景まで含めてしまえる言葉なのではないか。そう感じている。

人は不条理や矛盾を感じた時、どうにかしたいと思う。不条理や矛盾していると感じている物事を正しくできればそれが一番良いがなかなかそうはいかない。この気持ちの向き合い方が重要だ。僕は3パターンをここに示したい。

①あきらめる
すごく重要な事だと思う。人生の中で自分にとって重要でないことがらが矛盾していても歯牙にかけない。自分のやることに手を抜かない姿勢の表れでもある気がする。

②時代と向き合う
自分がこれを解決したいと思う矛盾や不条理に対して粘り強く対応していく生き方。素晴らしいがすごく体力のいる仕事だ。

③時代を置いていく
現実のスタンダードのその先を生きる。時代にとらわれずに生きる方法論。

私は”時代を変えるには”②③の生き方が必要不可欠だと考える。実際には②で対応していたことが③となり、その逆もありえるだろうが、自分が変えたい物事に対しては②または③の生き方を貫いていきたい。

一番人間をダメにするのは、自分できた人間の弱点を探しあげつらい自分のレベルまで下げてしまうような嫉妬心であり、これにとらわれて本来の目的を忘れ放蕩してしまうことだ。自分が真の意味で”時代遅れ”となってしまうことだ。
人は矛盾や不条理に対して逃げてしまいがちだ。逃げてしまうと目の前から現実が遠ざかるような錯覚を覚えるが、その実、ひっそりとついてまわり自分から離れることがない。やがてその嫌な”現実”は必要以上に大きくなり、盲目的に責任は自分にはないと喧伝するようになる。こうなれば自分より出来た人をこき下ろすことに執着を出し始める。

現実に乖離しがちな自分への警告として。

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読み上げアプリ作ったので公開する。

しょぼい読み上げアプリを作ったのでテンションで公開しようと思う。クリップボードを0.1秒間隔で監視して読み上げるアプリケーションです。棒読みちゃんの設定がややこしいので完全に自分向け。僕はツイキャスの読み上げに使ってます。
動作確認環境は、64bit windows10 だけど、たぶん最新のjavaの環境とクリップボードがあれば動くと思う(未確認)。興味のある人は勝手に使ってくださいという気分です。
また、このアプリケーションは個人が趣味の範囲(いかなる事業, 営利活動とも無関係)で書いたものです。

よみよみちゃん

はじめに

本アプリケーションは、VoiceText Web API に通信して音声を取得、再生するアプリです。記事公開時は個人利用は無料ですが、音声の二次利用は制限されています。また、VoiceText Web API の規約は変更することも予想されます。本アプリケーションは”VoiceText Web API”の規約違反を助長する意図で公開したものではないと宣言しておきます。
また、本アプリケーションを使用したことで不利益を被っても利用者の責任であるものとします。開発者である私は一切の責任を負いません。
また、開発されたコードには、voicetext4jで公開されているコードが含まれています。

インストールの前に

VoiceText Web API の登録とjava(jre)のインストールをしておくこと。

インストール

よみよみちゃんをダウンロードして展開して好きなところに設置してください。そして、VoiceText Web API を登録して得られたAPIキーをkey.txtに書き込んでください。また、java(jre)をインストールしておいてください。以上でインストールは終了です。

使い方

yomiyomi.exeを起動(通常はダブルクリック)してください。ウィンドウの”Start”ボタンでクリップボードの読み上げを開始し、”End”ボタンでアプリケーションを終了します。

起動画面
起動画面

ライセンス

ライセンスは「Apache License, Version 2.0.」とします。近々ソースコードを公開する予定です。

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善意の悪意

これはよくあるような”余計なお世話”とかそういった話ではない。良かれと思ってしたことが悪い事だったとかの話ではない。言い換えるのであれば、”善の気持ちが悪の気持ちだった”ということである。
極端に大げさに言えば、善意の人殺しとかそういったことだ。例えば、毒を薬だと思って処方する医者のようなものだ。
よく言われる”てっきり〇〇だと思った”だとか、”その時はそう思っていた”などの言い訳が通用しないのは、極論すればこういった事象が出てくるからだ。

世間では無料の善意がいいのかもしれない。だが、”ただより高いものはない”という言葉がある。その意味はなにも対価となる時間や不利益のみならず、往々にしてみられる無料に対する責任感のなさに違いない。

だから私は有料であれ、無料であれ、責任感のない善意は信用しない。医者が薬と勘違いして毒を処方するとき、責任感が欠如している場合が圧倒的に多いと見受けられる。私はこれに”悪意”と名付ける。
いま社会の流れは”責任”に対してお金を払わなくなった。所謂、”優しい嘘”などに代表される欺瞞がこれを代表していると思う。

”善意”はあくまで”善”ではない。”善”は人を助けても、”善ではない善意”は容易に人を壊すだろう。人を壊すつもりのなかった”善ではない善意”はこれは”悪”であり、その責任感のなさは”悪意”だ。つまり、善意を自然に善として行使できる人は大変に努力した人間に違いない。

善意は無条件にだれにでも扱えるものでもないということを、私の善意としてここに主張しておきたい。

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PocketMine-MPでPEのバニラ鯖 (v0.13.2) を立てる。

既出の話題かもしれないが、PEのクライアントがv0.13.2にバージョンアップしてから「サーバーが期限切れです」となってしまう。公式(と呼んでいいのかわからないけれど)のアナウンス通りサーバーを立ててもv0.13.1までしか対応していないようなので、PocketMine-MPのgithubから最新のソースを取ってきてインストールしたらいけるんじゃないかと思って試してみました。advanceでのインストールより不安定だと思ってください。

お約束ですが、この記事の文責はなにわにありますが、仮にこの記事通りにしたがってコマンドを実行し、結果なにが起きても僕は一切の責任を取るつもりはありません。

インストール方法は英文でここにあります。多分日本語ページがないからあんまり知られてないのかもしれない。詳しい各環境のインストール方法はリンク先をみてもらうこととして、linuxサーバーにインストールするなら以下のコマンドを実行してください。

git clone https://github.com/PocketMine/PocketMine-MP.git
cd PocketMine-MP/

PHPのバイナリをインストールしてくだい。インストール出来ない人は期限切れになったPocketMine-MPのディレクトリの中のbinディレクトリをコピーしてください。それからいつもどおり立ち上げればいいはず。
cp -r /期限切れのパス/bin .
./start.sh

うまく行けば以下のログが吐き出されるはず。

2
こんな感じのログが出ればおっけ~。

というわけで、しばらく「サーバーの期限切れです」で困っている人は試してみてください。

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理解できないこと

今日は理解できないニュースを読んだ。このニュースだ。

零戦、再び日本の空を舞う!「先人が築いた技術をみよ」 1月27日に鹿児島県鹿屋市で – 産経ニュース

詳細はリンク先を参照してほしい。僕は記事にある石塚さんの個人的な信条による零戦飛行の実現を簡単に否定したくはない。おそらく彼は信念に基づいて防衛省との交渉に臨み自分の財産と信用(スポンサー等の協力)をかけて実現したものであるからだ。そして彼は零戦を”終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術”(記事から引用)として認め、先人の技術力が今の日本を築いたとしている。
この石塚さんの心情は彼の個人的なものであるし、彼個人の責任でイベントが行われる以上、簡単に他者から損なわれていいものではない。また、僕はニュースの文面にない苦労もたくさんあったと思う。

だが、このブログでは、僕の歴史観と心情による主張を述べておきたい。
当時の ”世界最先端の技術” は戦争のために準備されたものであった。そして零戦にみられる技術が戦後日本の発展に直接的に寄与していたとは考えにくい。戦後日本は戦闘機を作らず、ジェット機でさえ長らく国産機がなかった。

思うに、戦後の日本の発展には二つの要因があると思う。
アメリカの属国に近い立場だった日本は軍事費にかかる出費が殆ど無く再出発できた点、第2次世界大戦で疲弊した国民が平和を希求していたことである。

以上の主張にもとづいて考えるのであれば、戦後の日本における発展は零戦に端を発したものはなく、また、零戦からは想像だにできなかったに違いない。例えば、機体を極限まで軽くするなどの工夫は戦闘機を前提としたものだった。頭のおかしい技術者でなければ設計できなかったのだ。

確かに、零戦は魅力的な飛行機だと思う。僕は零戦が戦闘機ではなく、国際郵便などを配達する飛行機であればよかったと心から思う。

というわけで、僕はこのニュースがうまく理解できなかった。

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自由に生きること

自由に生きるって難しい。こんなことを考え出すと、自由ってどんな意味だったけ?と迷子になるから不思議だ。こんな時に”自由”って何だ?と調べたくなってしまう(完全に理系脳だ)。でもどんなに日本語が得意な人でもすべての言葉を辞書に頼っているわけじゃない。辞書を引くきっかけなんてそうないんだから、今調べてみようと思う。googleでw

Wikipedia(結局中途半端だ)によると、以下の意味らしい。

自由 (じゆう、英: freedom, liberty)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。(Wikipediaにおける”自由”)

哲学用語だそうだ(笑)よくわからなくなってきそうで怖い。純粋な言葉の定義なんて、ものを考えると頭が痛くなってくるので、歴史を追ってみようと思う。まず、”自由”の文字は5世紀までさかのぼれるらしく、「我儘放蕩(わがままほうとう)」の意味であったらしい。”Wikipediaの自由のページ”の初めにある説明と大差ないように感じる。ここで英語の意味を確認してみよう。”liberty”の語源は「社会的・政治的に制約されていない」、なるほどアメリカ独立の象徴になりそうな言葉だ。”freedom”の語源は「好む、愛、気ままさ、傲慢さ」など、いくつかの語源を持つらしい。

どうもすっきりしない。各言語の語源に当たっても僕が思う自由にフィットしないのはなぜだろうか、僕は自由は決してわがままやきままであるだけではなく、いくつかの責任に担保されているものだと感じてしまう。いくつかの言語で、いくつかの語源を持つ言葉が今”じゆう”と呼ばれているものの実際のところは何を指しているのだろうか。僕は自由という言葉が意味を変えて存在し、普遍的(世界共通的)な意味を持っていると思う。

つまり、自由という言葉が人類と共に成長し、新たな価値観を帯びてきているようなのだ。哲学の領域では”じゆう”という言葉が時代を経るごとに定義しなおされ、文化を背景に形を変えながら新しくなってきているようだ。だけど、実際の”じゆう”の変化はテレビなどの急激なメディアの発達によってもたらされたのだろう。故に、日本語の辞書には僕らの感覚から外れるような意味を持つ言葉も少なくない。

長い旅路を歩いてしまったが(笑)、”じゆう”と言われて心に思い浮かぶイメージは言葉にしにくい。だけど、とてつもなく大切なもののように感じる。ここで僕が言いたいのは、決して”自由”という言葉の意味ではなく、”自由”という言葉がさす理想のことである。言葉にしがたい”じゆう”が指し示す意味が明文化されるのであれば、それは意味を持ってしまった価値であって、そこに新しさはなく固定化されてしまう。

まだ見ぬ新しくて素晴らしい価値が”じゆう”には詰まっていて、形にするのは難しいから、「自由に生きることは難しい」とひとまずはしておこう。不自由が示す”じゆう”とでも呼べるかもしれない。

皆さんは形にしたい「じゆう」を持っていますか。不自由も面白いかもしれません。

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頭が良いということ

最近のテーマです。

僕は他人の成績や頭の良さに嫉妬したことがないのだが、他人の頭に嫉妬するのは自分の頭に不満やコンプレックスを抱いているからではないだろうか。

”頭の良さ”は何が原因で決まるのか、頭の良さは身体的な特徴ではない。
ほとんどの人間の脳の重さは同じで、脳に損傷を受けている方でも”頭がいい”とされる人も多いからだ。では、教育の問題だろうか。重要な視点ではあるが、社会のようなグループではなく、自分という個人を考えると、選択できない与えられる教育に考えを馳せてもあまり役に立たない。それに、同じ学校の先生でも、同じ両親でも、頭の良し悪しに差はできるので最大の原因とはいえない。
生まれつき頭の悪い人間は存在しないということだ。

最大の原因はなにかー、僕は意識の差だと思う。

僕には決め事がある。それは、「頭いいんですか?」と聞かれると、「頭は良いほうです!」と返すことだ。

”頭の良さを”を評価するのは他人と自分である。実際に頭の良さを測る物差しなんてないわけだから、他人に評価されないうちは(他人が自分の脳みそに興味を持ってくれないうちは)自己評価で自分の値打ちが決まるといって良い。
もちろん、過大評価になってはいけないが、 自分は頭が良いところがいくつかある この認識をより多く持てる人が本当に賢くなっていく。自分が次の自分を決め、個性を作っていく。

「趣味は何ですか?」「得意なものは何ですか?」と聞かれると、自分より得意な人は大勢いるし、趣味と言えるまで好きじゃないし、とか、頭にブレーキがかかる人が大勢いると思う。これはコンプレックスといって良い。”どうせ自分より優秀な人はいるのだ”というコンプレックスだ。それは初めは謙虚なつもりでも何かのきかっけで、愚痴になり、嫉妬になり、最終的に「自分はできないんだ」という絶望とあきらめに代わる。

本来、「好き」や「得意」な事は自分が感じているだ。他人の目線を感じ、自分を卑下することが自分の脳みそに一番の悪影響を与え、成長する機会を奪っていく。素直に自分の趣味趣向を認められる人が、自分の「好き」や「得意」に、詳しくなっていくのは当然であるし、気が付けばマニアックな領域に入っていくと思う。僕が考える”頭がいい”とはこれである。頭にブレーキをかける人に”頭の良さ”は絶対に来ない。”頭がいい”人には専門分野というか、自分の領域を持っていて、自分のこだわりの上で一番の賢さをそなえていく。これが自信であり個性であると僕は思う。

”頭の良い”人には(僕は頭が良いのでわかるのだが)人間が立体的に見える。見た目(身体的特徴)には表れない人間の凹凸(意識の差)が感じられるはずだ。なぜなら”頭がいい”人がそうだからである。

もうすでに時代は、個性豊かになってきました。特に若い世代は世代論ではくくれないほど多様な内面世界を抱えている人たちであふれています。どうか、責任ある世を動かしている人々には、これが「”頭がいい”人になりたい運動」の前触れだと気が付いてほしい。

そして、意識を持ち始めた人間に「バカだ」とブレーキのスイッチを押さえつけるようなことは控えてくれると嬉しい。その分だけ世界が賢くなっていく。

この記事は2015年12月06日に文章校正を行いました。元記事のリンクはこちら

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心を伝えるということ

最近よく考えること。「言は意を尽くさず」という言葉がある。”言葉は心に思ったことを十分に言い表すことはできない”という意味なのだが、ここで理解を止めてしまうにはもったいないことを最近知った。原文は”易経”にある。引用すると、

「子曰、書不尽言、言不尽意。」

訳:孔子は言った。「書いたものは言葉のすべてを表すことはできない。言葉は、心のすべてを表すことはできない。」と。

論語は孔子の言ったことを弟子がまとめた文章なのだが、一部分の文章を切り取って、単純に知ったつもりになるのは早計にすぎると考えていいだろう。そういう誤用もよく見かけるのだが、文章には続きがあるものだ。

「然則聖人之意、其不可見乎。子曰、聖人立象以尽意、設卦以尽情偽、繋辞焉以尽言、変而通之以尽利、鼓之舞之以尽神。」

訳:ならば、聖人の心を知ることはできないのだろうか。孔子は言った。聖人は易の象を立てて心のすべてを表し、卦を作ってあらゆる事物を判断し、辞をつけてそれを説明し尽くした。変化に応じて民をより良い方向へ導き、民心を鼓舞し、人知の及ばぬ不思議な力を発揮した、と。

なんだか難しい言葉が出てくるので、僕流の超訳を試みてみたい。

孔子さん:文字や言葉は限界があって心を伝えるのには不十分だよ。
お弟子さん:では文字しか残っていない昔の偉い人の心は理解できないということですか?
孔子さん:昔の偉い人は伝える相手によって、心をイメージや図にしたり、それに言葉で説明を付けて頑張った。みんなを励まして、人知を超えて不思議な力を発揮(心を伝えた)したんだよ。

ということになるだろうか。つまりは、”昔の偉い人は心を頑張って何とかして伝えた”というようである。
最近は悲観的というか、ドライな見方が多いようだ。「所詮○○だ。」とか「そんなもんだろう。」とか、賢い人が増えた分、物事に対して諦観(あきらめ)から入ることが多い。私が最近感じていることは、文字や言葉のコミュニケーションに初めからむなしさを込めている人が多いのではないかと思う。だけど、皮肉なことに「むなしさ」が前提にあっても、言葉や文字、歌、絵はどれも自分を表現したい。という欲の塊ではないだろうか。そして、”表現されたもの”を誰かに見てほしい、聞いてほしい、ということは自然なことでもある。

必死さは伝わるものだ。そして誰かの必死さを無視しない人でありたい。

昔の偉い人でなくても、赤ちゃんが泣けばお母さんが乳をあげ、抱きしめる不思議があるように、コミュニケーションは誰もが生まれついて初めからもっている能力じゃないのかと思える。

時には想いを伝えるのに言葉が邪魔になるときもある。泣いてでも伝わることがあるものだ。

コミュニケーションをあきらめる時、実はそれは相手を自分と同じ人間であることを忘れた時ではないだろうか。双方が自分と同じ生き物だと思った時、コミュニケーションは自然になる。

必死に何かを伝えよう、きちんと話を理解しようという役者がそろった時にそこに誰も知らない世界が生まれ、喜びを感じるのではないか。微動だにしない石に向かってしゃべりかける、同じことしか言わないロボットにおしゃべりする、ような感覚になるときもあるけれどそれは間違いだ。自分と同じ生き物ならば、心を動かしているはずである。なぜなら、文字に言葉に触れるたびに心を動かしている自分がいるのだから。

中国では手紙の結びに「書不尽言、言不尽意」と書く人もいるらしい。これは理解してほしいという叫びなのか、あきらめなのか、はたまた、心を尽くした文章の結びなのか。

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以前頂いてたコメント

(匿名さん)毎回読ませていただいております。貴方の文章が好きです。貴方のように自分の気持ちを文章で表せるよう、日々学習していきます。お体に気をつけてください。

(なにわくん)返信:ありがとうございます。僕は文章が苦手で、文章に好意を頂くのも初めてかも知れません。もう少し丁寧に、もっと更新できるように頑張ります。

兄と会った。

先々々日、兄が入籍したそうだ。
結婚式はせず、披露宴だけだったようだが、とにかく兄は所帯を持つことになった。
僕はさまざま事情があって出席しなかったが、兄夫婦がこっちに出てくるというので、会うことになった。昨日のことである。

5年ぶりにあった兄は少し年を取った様子だったが、三十代に入ったばかりにしては若い。

私たちは互いの近況を二言、三言、確認すると、「もういいだろう」と言って別れた。一度別れてから2度会いに来た兄は、一度目は何か食べなさいということでお小遣いをくれて、二度目には、今度兄がほしい本を郵送してほしい件について伝えられた。すべてにおける所要時間は5分に満たなかった。

5年会っていなかった兄と私は、それでも、互いの顔色と声のトーン、それから会えたという事実でお互い満足したらしかった。

中学を出ただけの両親は、それでも私たちに立派に教育をつけてくれた。本より、学歴なんてものを気にしたことはないが、それだけは、教育にだけは、お金を惜しむことのない両親である。兄は大学の頃、留年をした。姉は優秀で、大学院に誘われたが行かなかった。兄は卒業後、ひと時実家に帰り、今は近くで会社勤めをしている。実家には姉が住んでいる。

果たして、計算違いで、年を離れて生まれた僕は家族から愛されてはいたものの、少し浮いていた存在だったためか、実務的な意味で、実家に縛られてはいない。

そういうわけで、姉がしたいこと、兄がしたいこと、僕がしたいことは自然と方向性はバラバラとなり、私は進学させてもらえた。しかし、私より頭の良い兄は状況が許し、そして機会があれば、進学したに違いないと思う。姉だってそうだ。今はめったに集まることのない家族である。

私はそれでいいと思う。誰かが誰かの負担になってしまえば、自分の人生を生ききれない。また、大切な兄と姉の邪魔はしたくないのだから。

私はまだ家族にとって卵だが、私の知らない未来を家族は知っているような気がする。そう感じる。常人には理解されがたいことだが、これは信頼だと思う。人を信じるということは、突き詰めれば、その人の未来を知るということだ。私の家族の勘とセンスと信頼を事実にできるかどうかは、私にはまだわからないが不安は他人任せにすればいいと思っている。不安の置き場所は実家だ。

兄が歩いていくと、私に気を使いながらもお義姉さんは気恥ずかしがっている兄のほうへひょこひょこついて歩いて行った。素敵な方だった。

ところで、兄は私に小遣いをくれたとき、「10倍にして返してください」と言い添えた。私は兄の家庭に毎年たくさんの本を送りつけてやろうと思っている。どうせ子供作るだろうから。

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祖母のこと

祖母のことを思い出した。

祖母には、バイブルのように大事に持ち歩いてる本があった。革張りのそれは外側は傷だらけだが、本を開くと今でも新品のようだろう。今でも実家に大切にしてある。僕が小学生の時分に他界したのだが、家族で一報を受けたのは僕だった。知らない親戚の存在にびっくりしつつ親を呼んだ。私の中で、祖母の思い出は2つしか無い。

ひとつは飴玉をよくくれたこと。
ひとつは学校に授業で暑中見舞いを出した時のこと。

直ぐに返事は帰ってきた。僕は祖母の文字を見るのが初めてだと思ったらどうやら代筆のようだった。祖母はカタカナしか読み書きできなかったらしい。

祖母がその本を持ち歩いていた理由はわからなくってしまっているが、祖母は本を開いて知り合いに読んでほしいとよく頼んだそうだ。
あとになってわかることだったが、祖母は賢い女性だったに違いない。自分の限界を見つめながら諦めなかった。代筆で手紙を出す祖母の気持ちはまだまだよくわからない。
本を思い出すと、少しは切なくはなるが、寂しい気持ちよりも尊敬の念を感じたい。

祖母に返事は何もできなかったけれど、私が大学で学んでいる姿を、今も見つめてくださっていると信じつつ。

自己の確認と祖母の自慢に。

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高校の頃の僕へ

かつて僕は、母校のある高校でゴーストライターのようなことをやった。母校でもこの話を知っているのは国語の先生と副会長と僕だけだ。

普通、卒業式の答辞は生徒会長あるいは主席がするのが普通だろう。でも、僕の代の生徒会長は進学先が決まっていなかった。そこで副生徒会長が答辞を読むことになったのだが、副生徒会長は課外の活動が忙しく、突然言われた答辞の内容を考えさせるのははばかられたのかもしれない。とにかく、副生徒会長の代わりに答辞を作成しろとのお達しが、一執行委員でしかないはずの僕に来たのであった。ここに国語の評定は2のゴーストライターが誕生した。

とにかく、5年分の答辞を渡され、なにか考えてこいと言われたのだが、5年分の答辞は似たようなものばかりで、面白みがなかった。僕は答辞の形式だけ真似て中身は自分で考えることにした。高校のクラスメイト、部活、勉強、先生、とかを散りばめて、まとめて出しただけの答辞は先生からも同級生からも何故か評判が良かった。添削の国語教師からは「あなたはこういうのはできるのね。」と言われ、副生徒会長がみんなの輪の中で答辞について声をかけられているのを横目に、ホッとしたした気持ちと微妙な自己充実を感じながら卒業式の後を過ごしたのを覚えている。

もう、あれから8年がたとうとしています。しばらく覚えていた答辞の内容も、もう覚えていません。学区改正などで、母校は通う地域も変わっているし、先生も皆知らない人になっているでしょう。クラスメイトも連絡をほぼとっていません。名前を忘れた人もいます。でも、あの校舎の空気をまだ僕は覚えています。高校生活は独特のリズムとテンポで、僕を社会から隔離していました。穏やかに40人の閉じた空間に閉じ込められていたのにそれが悪くなかったのです。特別なことはありませんでした。田舎の自転車通学でしたし、部活動も幽霊部員で特に何かに熱中した覚えもありません。そこそこ読書がすきなどこにでもいる高校生でした。しかし、「スタンド・バイ・ミー」に代表されるようなあの年代特有の感情の起伏、またそれによって日に日にめまぐるしく変化する心に写った風景の描写を僕はまだ忘れることができません。

あの時代の日差しは今の日差しより眩しく、木々の緑は鮮やかで、友は少なかったけどいい奴らでした。

今振り返り、あの頃の不真面目な僕に私から答辞をプレゼントしたいと思います。答辞なんてプレゼントするものではありませんが、たまにはこういうのもいいでしょう。僕にも、文章を書く楽しみを教えてくれたあの頃の僕に答辞です。

私達は、今日のこの日まで取り巻く環境のすべて、部活、課外活動、受験、そして今の世界を、時にはイライラしながら、時には感動を覚えながら、今日のこの日まで共に過ごした同級生のまなざしから見てきました。ですから、一度も目が合うこともなかったあなたも確かに私に影響を与えていて、たしかにクラスメイトでした。私達は心の揺れ動きの激しいこの時期に学舎で共に過ごせたことは本当に幸せでした。実は、図書館の隅に私の書いた小説が隠してあります。この絶妙な雰囲気をそこに閉じ込めておきました。見つからなくていいです。見つけた方はそっと心に閉まっておいてください。

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podTerm : Podcastはterminalで聞こう!

皆さん、podcastをどうやって聞いてますでしょうか?iTunes?, iphone?, android?

僕はガラケーユーザーだし、ノートパソコンは研究で使うからあんまり汚したくない。かと言って家のWindowsに iTunes を入れるのは嫌だ。でも、Podcast聞く時って作業中とかだしな。RSSのURLだけあれば、いいんだよなー。って考えてるうちに作っちゃいました。

一応、terminalからpodcastのエピソードをダウンロードするソフトならあったんだけど、ダウンロードする必要ある?

ってことで作っちゃいました!Rubyのシンプルなやつです。perlで書こうとしたら長くなっちゃうので、初めてのRubyでした。生産性はあがってるんですねぇ。5年前に触った時は全然好きになれなかったけれど。しかし、初めてgithubのアカウントとったぜ。。

興味ある方はこちら。ブラウザを開かずにpodcastを聞けるので仕事に集中できます。まだ全然作りが荒いんだけど、これから更新したかチェックできるようにしたいな。再生済みでマークできたりしたらいいよね。

使ってみたらこんな感じ。


[追記]

使用感を多少改善してAURにPKGBUILDをポストしました。
archlinuxユーザーならワンライナーでインストールできます。

$ yaourt -S podterm-git

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ツイキャスやUST以外のmixlrという選択肢

ネットラジオ始めました。

録音したものをPodcastで配信してるんだけど、生放送をする時のサービスはなにが良いのでしょうか。
僕は、配信に関してはズブズブの素人だったのでツイキャスでやってました。でも、ツイキャスって30分で切れる(少し早い)し、コメントに対応しているとラジオっぽくなくなってしまう。ツイキャスはツイキャスで面白いのだが。一方で、USTはflash配信になるからスマホから見れない(アプリが必要)なのだ。

ネットラジオを始めるにあたって(個人的にねとらじやradikoはハードルが高い気がする)配信サービスを選ぶには以下の点が重要な気がする。

  • スマホのブラウザでも聞ける

  • ブログに埋め込みができる

  • 音をミックスできる(ステミキ的な)

うむ、これらが揃っていれば最高な気がする。
mixlr(ミキセラー)をご存知だろうか?映像配信に対応していないものの、ネットラジオに必要十分な機能を備えている。欠点は日本語に対応していないところか。

mixlrが埋め込んであるネットラジオのブログはこんなの(宣伝も兼ねてます。聞いてあげてね!)mixlrのプレーヤーはおしゃれだよね。
と、宣伝はこれぐらいにして、mixlrの良いところは先の3つの利点を満たしているところだ。

  • スマホのブラウザでも聞ける

これはデカイ。パソコンを持っていないリスナーさんにスマホ環境を汚さずに聞いてもらえる。

  • ブログに埋め込みができる

これは案外すごい。ツイキャスであれば少し手間が掛かるができるようだ。USTは無料ユーザーはLive配信の埋め込みは実質できなくなってしまった。

  • 音をミックスできる

実はここが一番すごいと思います。このmixlrの配信用アプリは スピーカーの音とマイクの音をミックスしてくれます。ステミキもいらないし、アマミキなどの設定も不要です。自分の声も帰ってきません。

感動しませんか?mixlrの配信用アプリは英語ですが、直感的に操作ができるようになっています。

スクリーンショット 2015-01-27 07.10.14
左:マイクボリューム。中:スピーカーボリューム 右:プレイリスト

そんな感じでこれから僕はmixlr一択になりそうです!!

ネットラジオなんかしてると、生配信の音源を加工するのが大変だったりしますが、mixlrはmp3で保存してくれます!今日は久々にブロガーしたぜ。需要があれば使い方も書きます。

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skypeで使えるコマンドまとめ

最近さしぶりにskypeをしていたらp2pベースからクラウドベースに変わったこともあり、コマンドが変わっていた(というか減った?)ので、忘備録をまとめることにした。

/add とか /kick とかのあれですね。もっとバリエーションがあるので知っておいたほうがいいです。

僕は、いわゆるskypeチャンネルとかで募集をかけてホストで会議なんかをやってたりするので知っておくとネットの大海原から身を守れますwでもややこしいよね。初心者でも、”こういうことができる”っていうことを知ってるだけで違うかもしれません。スマホからも使えるし。僕はガラケーなんだけど。

コマンド詳細のページ

トピックごとに分けましょう。ちゃんと知りたい人は公式へ。

  • adminは増やせる

これは知らない人をグループチャットに追加した時、追い出したいって思ってもホストがいないどうしようってなるのを事前に防ぐやつです。adminは削除できる権限もあるので、ホストが出かけたい時とかいいですねw

/setrole -Skype名- ADMIN
USER権限に戻すときは、
/setrole -Skype名- USER

  • グループチャットに新規追加できなくする

これは、ちょっと怪しめな人から会議参加のリクエストが来て、会議に参加した後にホストがこっそり設定します。便利。

/set options -JOINING_ENABLED
参加できる状態に戻すときは、
/set options +JOINING_ENABLED

  • グループチャットの参加者状況を確認する

これで通話しながら確認できます。skypeIDをコピペするのはこれで楽になりますね。
/showmembers

skypeのコマンドが減っているようでこんな程度しかできなくなっていました。また、よく言われることですが、”ip抜くよ”っていう人は大したことありません。また、ipを絶対に隠してネットしようと考えるのも危険です。例えば、webサイトを閲覧すればIPアドレスはlogに残るからです。ですから、大体どの辺に済んでて、どのプロバイダを使っているかという情報は結構丸見えです。ですが、例えば、大学でどんな勉強をしてるとか、そういう断片的な情報を合わせればわかってしまう時があります。

ですから、市町村レベルでだいたいどの辺にいるかは知られてると思ってしゃべりましょう。会社まで歩いてすぐとか言うとアウトかもしれませんよ。

あと、skypeでDOS打たれて嫌な経験がある人はSkypeの接続ポート番号を変えてみてください。また、ルーターの設定を変更した方がいいです。

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今更の自宅サーバーの楽しみ方

今サーバーを持ってますというと、なにそれ美味しいのって聞かれますw

僕が考える自宅サーバーの利点は以下のとおりです。

メリット
・安全←これは腕次第
・電気代だけ。僕の自宅サーバーであるletsnoteのcf-w4(ファンレスのpenM機)では月に350円ぐらいです。
・いろいろ便利。←自分だけのwebAPIが持てます。例えば、texを投げたらpdfにするとか。画像を生成するとか。webで管理する音楽プレーヤーとか。
・色々詳しくなる。
・自分だけのGitwebクライアントを持てる
・自分が参加してるクラブやサークルのwikiとかも作れる。
・自由に拡張できるweb上のクラウド

デメリット
・管理しなければならない。

ただし、メリットを活かすには根性が要りますwただこのブログが9年前のノートパソコンで1.2GHzのシングルコアCPUで動いていて、メモリは1.5Gしか積んでいないと聞けばワクワクしませんか?私はHDD(なんとIDE接続)が飛ぶのが怖いので、データはすべてUSBの中で管理しています。120GBのUSBも6000円ぐらいで買えちゃうのでそんなにお金はかかりません。

例えば、回線は固定IPが必要だとか、ドメインを取るにはお金がかかるとか考えていませんか?私はずぼらなので契約変更とかしたくありませんw安くなるなら別ですが。お金をかけない方法があります。例えば、DDNSに登録すれば固定IPは必要じゃありません。ドメインもこだわらなければ、無料で取れるところがたくさんあります。

ポイントはたったひとつだけです。

自分のためにサービスを運用することです。

これに徹すれば失敗も楽しい技術も身につく最高の趣味になりますよ。

バックアップが大変?そんなのUSBさしてクローンを取ればいいだけです。クーロンにコマンドを登録すればほぼリアルタイムで取れます。

最近シェルショックって言ってる?私は先日bashを使うのをやめました。

楽しんでいきましょう。

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arch linux 復旧法

さっきサーバーをリブートしたら立ち上がらず、心当たりといえば、usbメモリを無断で抜いたことなんだが(おい。。。
エラーを見る限り、カーネルが壊れた模様。

archのインストールusbを作成してarch-chrootコマンドでrootを乗っ取り、baseパッケージをインストールしなおせば復旧できます。

約10分の格闘でした。

以上。

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OSの選び方

今回の議題です。

「linuxってどれを使えばいいですか?」と後輩に聞かれましたので、blogにまとめます。と答えましたw

経緯は以上です。

後輩はlinuxが何なのか分かっていなかったので、様々なタイプの利用者に向けて書きたいと思います。

また、windows,mac,unix,linuxに触れられたらと思います。

・今までwindowsを使っていて不便でない方、

windowsを使いましょう。理由はたくさんありますが、原則、不便でないならそれはそれで幸せだと思います。

また、「Windowsはだめだ。」的な頭ごなしの意見はプログラムが何たるか分かっていない人の意見だと思うので、無視すればいいです。win7やwin8は使いやすいOSだと思います。なによりもコンシューマー向けintelPCなら取りあえず動く。必要なソフトがほとんどあるという点は最強です。また、windowsを使っていてデータの連携に困るということは殆ど無いです。満足しているならほとんどストレスはありません。僕の家のデスクトップはwindowsです。理由はLineアプリが使えて安いから。

・学校でlinuxやunixを使っていて勉強したいから。

linuxであれば、ubuntuやlinuxMintがお勧めです。

unixであれば、PC-BSDでもいいと思います。

またお金があって、普段使いのパソコンで使いたい。マルチブートや仮想化は嫌だという方はMacでもいいと思います。でも、Macならあまり勉強にならないかもしれません。ただ、BSDはdropboxが使えない罠なんかもありますw

以上が初心者向けのアドバイスです。XPの入っていたパソコンにlinuxを入れたい!という人は参考になるかどうかわかりません。なぜなら、今はlinuxにしろ、unixにしろ、パッケージマネージャーにソフトが揃っていて使いやすいOSだとディストリビューションによりますが、重いからです。

「ちょっとまって!lubuntuは軽いよ!」という方は、あまり、OSの仕組みを理解されてないと思います。lubuntuはubuntuとシステムは変わりません。また、ubuntuが重い理由はインストール直後からたくさんのサービスがデフォルトで起動しているからです。この基本的な仕組みはlubuntuでも変わりません。パッケージマネージャーも同じです。

中級者向けアドバイスはまた今度書きます。案外長くなってしまった。

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中間発表のやり方

さて、昨日中間発表が終わりました。
しんどかったー。

今回からlatexのコマンドをplatexからlualatexに変えました。
あ、あと、ポイントとしては、プレゼンソフトの対応でしょうか、以下忘備録としてまとめ。

mactex(texlive)のインストール
基本的に公式に従う。だけど、MacPortから入れようとしたら、インストールは出来るんだけど、tlmgrのコマンドが見つからなかったので、おとなしく.pkgからインストールした。いつも思うことだけど、rikenのサーバーが早いです。
linuxユーザーはtexliveを入れてください。大体のディストリビューションでもワンライナーで入ると思います。
これで、lualatexのコマンドが通る。が、
以下のコマンドを実行しておくこと
$ sudo tlmgr update --self --all
これで最新版にアップデートしてくれるっぽい。

ちなみに、lualatexやxelatexはここ最近できたコマンドで、一気にpdfを作ってくれます。インストールやだって方はShareLatexを使おう。今は日本語に対応しています。バックアップにもなるしね。実はsharelatex自体もオープンソースgithubなのでサーバーに入れいたい方はどうぞ。こんなところでもrailsが使われててびっくり。

これで、環境が整ったので、vimかなんかでスライドを作成する。自分のテンプレートは以下のとおり。

内容は各セクションで\input{}で指定されてるファイルに書き込む。
これで、pdfはできるのだが、PDFでプレゼンって難しいよね。そこで、以下のコマンドを実行。(imagemagick必須)
convert -density 300 tex.pdf slide.jpg
これで、すべてのスライドを画像に変換してくれる。-densityオプションで解像度を指定できる。コマンド例はdpi単位で指定してる。画像をパワポなり、リブレなりに投げれば発表者ツールが使える。

これでプレゼンできるね!

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【予告】lualatex + beamer + 中間発表

さて、今日のお昼すぎに中間発表があります。
技術的な話は次回に回すとして、脱!PowerPoint は案外楽にできることがわかった。
texでスライドを作って、画像に書き出して、libre office を使ってプレゼンするってこと。PDFでプレゼンするのは難しいっていう方はおすすめ。

次回の投稿では、beamerクラスでlatexする件をかくよ!

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Webで使えるターミナルを導入してみた!

大学から自分のサーバーに接続しよう!うききー!
あれ、接続できない!プロキシか!
うんぬー。と思っていたら、webベースでターミナルぐらいあるんじゃないのか?と思い、ググってみたら、、、
ありましたよ。

しかも、若干27歳のFlorian Mounierさんが単独で開発したっぽい。
名前は、Butterflyってソフト。
すげぇ。→ 本家

しかも、sslで立ち上げも可能だそうで、ネットワーク越しに接続できるんじゃないかと。
(本人のブログによると、安全じゃないからやめれとのこと。)

とりあえず、面白そうなので導入してみた。

githubもあるみたいだけれど、yaourtでいれる。archのyaourtコマンドは非公式だけど便利。でも、空気読めみたいなところがあってちょっと面白い。実装が中途半端だったりね。
AURにはそのまんまの名前で登録されてた。

$ yaourt -S butterfly

それで、今回はなんか、設定がいるのかと思ったけど、すんなり入ったようで、

# butterfly.server.py --unsecure

のコマンドが通れば、localhost:57575で確認できる。
ここで、sslの設定しなきゃと思ったんだけど、なんか全部やってくれるっぽい。
フランスのひとすごい。
とりあえず、–unsecure を外してコマンドを実行すれば、証明書つくんないとだめだよって怒られるので、怒られた通りに素直にコマンドを実行する。2つ実行したが忘れた。証明書を自動で作ってくれるので、リモートで使いたいパソコンに移しておく。
オプションでipを指定できるので、家で使いたい人はルーターのローカルipを、リモートで使いたい人は0.0.0.0に設定する。
この辺りは、本家のブログを読めばわかる。てゆーか、ほんとに使いやすい。

そして、systemdでつかえる.serviceのファイルも用意してくれていた。最近はarch以外にもsystemdを使うディストリビューションが増えてきたらしく、なんか感動したね。rc.confが懐かしい。とかいいつつ、freebsdをいじるときには全然使うのだがw

とかいいつつ、
# systemctl enable butterfly
# systemctl start butterfly
を実行する。

と、、ここで少しはまった。yaourtで入れてくれた/etc/systemd/system/butterfly.serviceのファイルにあるbutterfly.server.py の実行行にオプションを入れたのがまずかったっぽい。ipをダブルクオーテーションで囲むと裏でエラーが人知れず吐かれるので、注意されたし。

[bash]
[Unit]
Description=Butterfly Terminal Server
After=network.target
[Service]
#ExecStart=/usr/bin/butterfly.server.py –host=”0.0.0.0″
ExecStart=/usr/bin/butterfly.server.py –host=0.0.0.0
Restart=on-abort
[Install]
WantedBy=multi-user.target
[/bash]

やった!

名称未設定

これでリモートでサーバーにアクセスできるぜ!とおもったら、学内からアクセスできない。

[追記]
本日、学内からアクセスできました。原因はサービスを起動してなかったから。。。

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PDFの編集 : 動かないコマンド

pdfの編集についての覚書

動機としては毎月買ってる雑誌があるのだが、一定量が溜まってくると捨ててしまう。勿体無いので自炊してpdf化しておきたい。あと本棚が限界。

有名なコマンドはpdftkだ。
ただ、pdfの規格というか、仕組みには明るくないのだが、画像のみのpdfの場合、pdfからの画像抽出が難しい。
というか、pdftkだったら無理だった。

「スキャナで取得したイメージをそのままPDF化したものや、画像ソフトによって作成されたPDFではテキスト情報がPDF内に保存されていないため、直接抽出することは出来ない。」引用元

とくに、雑誌のデータを画像データとしてではなく、スキャナから直接pdfに書き出していたので、そこではまった。
pdfの編集には、前段階として、画像データで編集を行い、pdfにまとめれば良い。
すると、pdf関連のコマンドはスッキリして便利だ。
画像の回転などはimagemagickなどを使う。

ちなみにMacユーザーなら以下のコマンドが使える。とりあえず、Mavericksでも生きてた。
/usr/libexec/fax/imagestopdf
パスを通すのとか面倒だし、滅多に使わないならそのまま使えばいいと思う。例えば、画像データを昇順でソートしておけば、ワイルドカードを使って書き出せる。

/usr/libexec/fax/imagestopdf *.jpg out.pdf

ちなみに、archlinuxユーザーの方はpdftkを使うしかないのだが、
yaourt -S pdftk
よりも、
yaourt -S pdftk-bin
の方を使えば、余計なビルドしなくて済みます。そんなにかからないだろうと思ってビルドすると永遠かかります。なんか、バージョン違いのGCCのビルドを始めたりする。

ちなみに抽出できなかったPDFの画像は、pdfをonedriveで.docxに変換してunzipして取り出した。
なんてバットノウハウ!

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そんな午前の過ごし方

さてブログを立ち上げました!
なんと!結構前から話題のWordPressです。
いいね。

あと個人用にtracがどうしても欲しくなり、レンタルサーバーも考えたのですが、お古のlet’snote CF-W4 があったので。ピリッと自宅サーバーにしました。
お金かかると思っていたのですが、ドメインにこだわらなければ、電気代だけですみます。現状、WordPressとtracしかないのでなにかオススメがあれば教えて下さいな。

夏はカルピス。

あと、このページはarchlinuxで動いています。突貫2日で立ち上げたブログです。セキュリティで悩むぐらいアクセスが来ればいいなぁ。

ハカーの皆様、どうぞ仲良くしてくださいませ。

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