星を見に行く

最近、友達が教えてくれたことが僕にとっては衝撃的だった。友達が言うには、星を見るのは好きだけど、どの星がどうとか、どの星座がどうとか、考えたことがないらしい。夏の夜空も冬の夜空も赤い星も青い星も全部一緒くたの夜空なんだって。
一応、星の見えない都会で育ったんじゃないかと聞いたけれど、めちゃくちゃ田舎で育ってて、星が綺麗なところだった。

夜空を見上げて、あの星が〇〇でこの星が××でってする人は少ないらしい。この間友達に「あの普段見えない場所にある赤い星は黄道にあるから火星かなあ、今見えるんだね。」と言ったらキョトンとしていた。みんな本当に夜空に興味がないらしい。

慌てて、こんなはずはないぞと思って夜空の写真を撮る人なんかを眺めると、彼らはフォトジェニックな写真の興味の一つが夜空で、夜空や宇宙に興味なんてない(ある人は例外的な存在)らしい。

よくあるテンプレートの「我々はどこからきて、どこへ向かうのか?」という、なんだか未だもってなにを言いたいかわからない問いによって湧き上がるのは、地球が太陽の周り回るイメージなんだけど、多分これも人によって違うんだろう。

そんなことを考えながら今年の後半は長野の阿智村(の駐車場)や熊本の二本杉峠(工事中で道が凸凹だった)、地元の実家周辺のデッカい公園(街灯が一個もない)に出かけてきた。この中だと二本杉峠が一番星が綺麗だったけど、一緒に行った友達は星は綺麗だけど道が怖かったとか言ってた。僕は真っ暗な中で寝転んで上を見上げることもできるぐらいなので、なんていうか、星空にかける情熱が違うんだと思う。

そんなこんなで僕の初心者マークを貼らなくてはならない初心者期間のドライブは圧倒的に深夜で暗くて不案内な場所ばかりだった。そんな僕の運転モットーは走れる限りは走り、自信がなくなれば引き返すというもの。最も、運転している僕よりも助手席の自信の方が早く無くなるので押して知るべしではある。

全部を詰め込もうとしてもう全然まとまる気がしなくなってきたけれど、二本杉峠の夜空は素晴らしくて光ってないところがないくらいの星空だった。でも峠の裾からは夜景が見えて、その分だけ明るかった。昔は実家の庭先からも同じぐらい星が見えたのだけど、街灯が電球からLEDに変わってから見えなくなってしまった。岡山には美星町という場所があって、日本で初めて光害条例を定めた土地なんだけど、そこから言葉を借りればLEDが僕から永遠に星空を奪ってしまった。

いつも夜空の星を見るたびに思うのだけど、昔はどこでも満天の星空が見えたと思うと何か悔しさと怒りがないまぜになってこれが悲しさなのかなんて、まるで初恋のような気分になって見るのをやめる。
東日本大震災の時、計画停電で八王子駅の上にオリオン座が見えた。本当はいつも夜空も青空も底抜けの穴のようにどこまでも広がっているのに街灯やネオンの光、ピンク色の煙で穴に蓋をしてしまった。
落ち込んでいても空が底抜けに青くて、夕方には金星が見えて、深夜には無軌道の流星が見えるなら、人間は自分のことをわからなくなったりしないと思う。気がつけば、もう「満天の星空」なんて言葉も聞かなくなってきてしまった。

どこで星空を見ても、星以外の光が邪魔をする。光のない夜を探しているけれど、そんな夜はもうないのかもしれない。

残り時間 7:25

と表示されているここは太平洋の真上らしい。そういえば、今はにしなの「夜間飛行」を聞いているのだが、思い出されるサンテックも飛行機乗りだった。窓際の席なら星空が見えるのだろうか、確かめることができない。3,4,3の座席ブロックにわかれる、50Gは右通路の左側の座席だ。

昨日乗るはずだったUA804は欠航になってしまって、結局、1日遅れで飛行機にのっている。昨日はピザを陽気にやりとりするティーンネージャーに囲まれてどうしようかと思ったけど、今日の隣は筋肉がゴツい「ろっぽんぎ」と「しんじゅく」、そして「だいふく」が喋れるようになったアメリカ人。人懐っこい方だ。今は隣で寝ているけれど、チラと彼のモニターをみると海外の女優のトップレスが映っていた。

僕はだらだらフライトマップを見ながら、太陽が真上に登る場所を見ている。そして、はたと気がついてしまった。太陽が真ん中上る場所は真夜中には地球の夜の真ん中だ。
太陽は真上に登り、北極星と南極星が地平線にいる場所。今は木星が明るいから夜中にてっぺんに登る場所。
むかし、はちみつを送ってくれた友達にフロリダのお土産は何がいいのかと聞くと「星を見てきて」と言っていた。
僕の母は純粋というか頑固なんだけれど、小さい頃僕が『宇宙飛行士になりたい』と言ったことを覚えていて、何度も何度も僕が小学5年生になって研究者になりたいと言っても、母は頑なに僕が宇宙飛行士を目指していると思っていた。中学生になって柔道部に入った時、「体をしっかり作らないと宇宙飛行士になれない」と言い出したりしていた。
僕は口酸っぱく研究者になりたいと母に言い、夢を変えてもらったのだ。それほど母は頑固である。

最近は宇宙に行きたいとは前ほど強く思わないけど、暗い場所で星空をみたら地球を動かしているのが自分になったような気がして、まるでお金を出して乗せてもらったフェリーの先端に立った時みたいな気持ちで星を見ている。

そういえば、あの頃、僕は本当に宇宙飛行士になりたかったのだろう。父に星空に変な光が見えた、あれはなんだろう、UFOかな?と言うと「お前には見えるかもしれんなあ」と言い、お年玉に5000円くれる以外はお金にしょっぱい父が三万円もする天体望遠鏡を広告に載っているを見ていただけで買ってくれた。
正確には母に買ってやれ、と言って母も「良かったなあ」と言っていた。

口径が18センチぐらいあるゴツい反射鏡の天体望遠鏡の説明書には『この望遠鏡は反射式の為、上下左右が入れ替わってみえます。』と厳しく書いてあり、それを読んだ父が即座に「宇宙に上も下もないんやからこんなん関係ないな!」と言い、密かに舌を巻いたことがある。父は中学校もあまり行ってなくて、知識として持っていた言葉ではなかった。さつまいもを育てた時に緑の葉っぱを切り始めたので僕が緑色の部分で光と空気から芋を作るから緑の葉っぱを切ってはいけないと言うと、父は光合成の意味が初めてわかったと言った。そんな父が持つ世界、宇宙感に上下左右もないなんて、なんで洞察力なんだろうと思ったのだ。

さて、僕の座席が50Gだということをここでは少し忘れて、船の先頭に立ってみたつもりで考えよう。

夜間飛行の残り時間は6:36になった。隣モニターのトップレスはバットマンになり、スマホは充電器に刺さないといけない。この飛行機は東側の夜を突き抜けて朝を迎えに行くようだ。夜空を飛んでも下に星は見えないし、上も下も当然ある。だけどアポロに乗ってもそれは同じだ。僕は夜間飛行のつもりで父の宇宙を飛んでいる。上も下もない、右も左もない、座標も数えないとわからない。たぶん、同じ場所には二度と戻れない。そういう地球に乗っていない存在は地球の運命からは緩やかに離れると、自分で自分を新しい星にした気分になる。

自分の選択を誰かに任してなんていけない。自分が自信を持って決めよう、僕がなりたかった宇宙飛行士は自由に宇宙を旅する存在だ。
今は飛行機の50Gに乗っているけれど、本当はフロリダの東海岸に立って、寝転んで、砂になって、星になって宇宙を飛んでいる。
アリゲーターのジャーキーを買ってマングローブのはちみつを舐めて深夜の母に早朝の僕から電話をする。

しばらくしたらまた反対方向の飛行機に乗って自分の運命というか、役割というか、魂の場所に帰るのだ。残り時間、6:27の僕はまだ宇宙飛行士をやって、微睡みながら星を見に行く。

ひとまず宇宙飛行士の仕事が終わったら、今度は地球の夜の真ん中に行きたいな。

お金がなかったこと

ここのところ言葉になりそうでならないみたいな、思い出して何か言いたかったのに忘れてしまうような、そんな心象がずっとまとわりついていた。
ずっとそこにあるのにつかめない。忘れたりなんかしないのに思い出せない。そんな感じ。

最近僕は少し体重が増えて、72kgある。ほんの少し前まで55kgぐらいだったのに。
僕が瘦せていたのは体質だと思っていたけど、そんなのは嘘でお金がなかったからだ。
簡単な話で僕は貧乏だったのだ。
お金がないって友達に言うと信用できないなんて言う友達がいたけど、今ならそういう人の気持ちもわかる。
でも当時はわからなくて、僕は勉強を続けるのにお金が必要で、でも勉強も研究もしなきゃいけなくて仕事する時間なんてほとんどなかった。特に30歳まではびっくりするほどなくて小麦粉と塩があったら醤油と砂糖でうどんにして食べるとかそういう生活をしてた。僕にとってうどんは丸亀製麺でもどん兵衛でも冷凍うどんでもチルドの生のうどんでもなくて、小麦粉だった。
あの頃、友達と話していて、「おなかがすいてる方が集中できるんだよね」と言ってた。本気で言っていたけど今はお腹がすくと集中なんてできない。
つい半年前まで住んでいた2.7万円の夏にダンゴムシが出るアパートも、多分もう住めない。
大学1年生のころからアルバイトをしないと決めていた。
正解だったと思う。
アルバイトをせずに好きな勉強と読書と研究に打ち込んだ日々が今思い返してまぶしい。
立ち止まって迷ったり、反対の方向に進もうとするとあの頃の自分がものすごい勢いで追いかけてきて背中にタックルしてくるような不思議な気持ちになって最近は働いている。
それがなんだか楽しくて可笑しくて愛おしくて、なんて言ったらわからない。

あの頃の自分をきちんと知っているのは自分だけなんだけど、昔はそれが嫌だったんだけど、それでよかったと思う。

他人は表面しか見てくれないんだけどそれでいいしそれがいい。

なんだかあの頃いつもお腹がすいていたなあなんて思いだして、気が付いたのは最近ずっとお腹がすいてることがなかったからだ。
なんていうか、僕はお金がないほうを信用したい。
ずっとお金があった人なんて信用できない。
ずっとお腹が膨れていた人なんて信用できない。

大学教員が昔、貧乏と飯が食えないのは不幸だと言っていた。貧乏は不幸だからなくさないといけないって。僕はそうじゃない、幸せとか不幸とかはお金とか食べ物で決まらないと言ったけど、その時は理屈で返されてしまった。150人ほどの大教室でやり取りはレポートだった。今思い返して、あの時僕は一番ガリガリだったし、教授は太っていた。なんてことはない、あの中でトップクラスに貧乏だった。今僕はもうガリガリじゃないけれど、幸せとか不幸とかはお金や食べ物で決まらないと思う。

あの頃腹減ってたなあって思い出して、言葉にならない。

ジェットコースターみたいな

八王子に出張に来ている。4ヶ月ほどいなかっただけなのにもう知らない街のように感じる。でも足取りに迷いなく、体が覚えている道だ。新幹線の乗り継ぎからバスに至るまで特に何考えず、到着は一本早いバスに乗れた。

ジェットコースターは重力列車だから初めに一番高いところにのぼる。位置エネルギーを目一杯いっぱい溜める。あとは重力に惹かれるまま身を任せて仕舞えばいい。そうしたら登ったり、さがったり、傍目から見ると乱高下しているように見えるけれど、初めに溜め込んだエネルギーを超えることはない、エネルギーを失った分だけ低いところについて止まる。

みんな、うまくいかないときは何かに惹かれあって落ちることができるまでのエネルギーを溜めている。自分じゃない誰かが一番遅いジェットコースターの歩みをバカにしたり、貶したりする。でもどんどん高く登っていく。誰も見ていなくても力を目一杯貯める。

そうしたら、あとは楽しみが残る。

毎日遊んでいたら楽しみが分からなくなるみたいに、いなくなって初めてわかる友達の偉大さみたいな、そういうことがある。

力を溜めて、ズルをしないで、ためてためて。

夏です。

今朝、というか今さっき、つまり昼。
出勤しながら交差点の信号をみた時、ああ、名古屋に住んでるんだなと思った。夏のせいもあるけど、妙に鮮やかに見えて、今までのっぺりとしていて処理の追いつかなかった風景に自分が追いついてきた。
引っ越してきて気が付かなかった風景に気がつきつつある。工事してるなとか、見かけない人だなとか、今日は交通整理の人が違うなとか。
少し名古屋というか、住んでいる環境の住民になれた。

今までみたことないものを見たり、触れてない環境に居るが心地良くなってきた。
小さい頃、ショッピングモールに行ってもおもちゃ屋しか目に入らなかったけど、今は違う、そんな経験をしてゆっくり歩けるようになった。

最近は暑いけど通勤が楽しい。

ルックバックを見た。

今日は京都でひとしきり遊んで新幹線で名古屋に帰っている、その車中だ。
東海道新幹線では、車内販売がなくなったせいかホームにコーヒーの自動販売機が設置されてお金を300円払えばアイスコーヒーのジャンボが飲めるようになった。紙コップのコーヒー、蓋も自動で被せてくれる。終電の名古屋行きを乗るためにホームに15分前について、コーヒーを買うと周りの自由席の皆さんも買い始めてその度にUAの「会いに行こう」が流れる。この曲を聴くと少し前向きになる、新幹線は会いに行くための列車だ。

今日はルックバックをみた。3回めだ。

初めて見た時も、2回目も3回目も、プロローグの主人公の背中が映るシーンで泣いてしまった。
全てを犠牲にして何かを打ち込んだ経験のある人間にとっては「ルックバック」の一言ですんでしまうのではないか。
多分、僕や、彼らは凡人で褒められなければやる気を失うし、褒められなくても誰かがニコッと笑ってさえくれれば頑張れてしまえる人間だ。
だけど、それだけの理由で何かを継続するのは難しい。継続とか続けるとかなんだか偉そうなことを言っているけれど、その実はなんとカッコ悪いことか、やめられなかったのだ。

60分ほどの動画だと思う、僕は藤本タツキさんがただひたすら祈っているように見えた。自分の人生が意味のあることだと、誰かに笑ってもらえるものだと、無駄じゃないと、言い聞かせながら祈っている。ただひたすら祈っている60分、自分は何かができる人間だと信じ続ける60分。

今年は出張も多いし、友達も増えて、たくさん外に出る。
今日は美術館に行ったけど、テーマの人物は格好つけていいところばかり見せている文章を並べられていた。
僕はなんてカッコ悪いんだろうと思って、今、多分あの人もやめられなかったのではないのかとか、邪推している。

僕も何かを残せるし、あなたもきっと意味のある人生を送れる。

新幹線のホームで買ったコーヒーはジャンボというには少し小さくて文章を書き終わる前に飲み切ってしまった。
今日はぐっすり寝て、明日は日曜日だけど仕事をしよう。
トラブル続きの4月スタートだったけど、遅れてもいいきちんとした仕事をする。

きっと誰かが見てくれている。

紹介状に書いていたこと

ここではきちんと書いていなかったのだけど、僕はいくつか病気を持っている。

この間のポストに書いた「前庭神経炎」はほぼほぼよくなっていて、薬を飲んでいるだけなんだけれど、それとは別に遺伝性の病気を持ってる。
二年前、博士課程を卒業して仕事を始めたころ職場での健康診断を受けた。学生の頃はさぼっていて健康診断を受けたことがなかったので二十歳のころ以来だったかもしれない。そのころLDLコレステロールが異常だったことが分かり、間もなく家族の病歴から”家族性”高コレステロール血症の疑いで高コレステロール血症の診断を受けた。1年ぐらいはまともな治療が受けられずにいろんな医者に対応してもらっていたのだけど、いいお医者に当たって以降はずっとその方に見てもらっていた。
僕は四月から名古屋に引っ越したのだけど、その時に紹介状を書いてもらった。
新しい病院は高コレステロール血症の専門医がいる小さなクリニックに行った。すごく親切にしてくださって20分ほど丁寧に問診してもらった。紹介状をコピーして持っていきなさいと言われた、病気の記録は一生持っているべきだと。そこには「患者様は薬剤に関心がございます。医療不信はなく、お話がきちんと通じる朗らかな方です。」と書いてあって、なんだか自分が気が付いていなかった優しさに触れて参ってしまった。それも自分が朗らかだなんて思ってもいなくて、思いがけずほめてもらったような気がした。

一時は病気も悪いものじゃないのかなあなんて思うけど、やはり薬を飲む瞬間は自分が病気なんだと強く感じる。とてもいやだ。

おくすり

一日たくさんの薬を飲んでいる。

薬って不思議だ。自分にとっていいものを取っているはずなのに何か悪いものを飲んでるんじゃないかって、親に隠れていたずらするような気持ちになる。もともと遺伝性の疾患があったので定時に薬を飲んでいたけど、最近では一日に三回のまなきゃいけない。初めはこそこそ飲んでいたけど、気が滅入ってきたので、堂々と飲むことにした。

薬の粒には人類の英知がつまっている。すごいもん飲んでるんだぞ~~~~~!

あと二週間飲めば一日一回だけになる予定

世界から愛されて生きる

今日から世界から愛されて生きよう。

何も我慢したり、誰かに強制されたり、生きるエネルギーに蓋をしなくてもいい。たくさんの好意に包まれて生きよう。そういう風に世界を決めてみよう。

お米の一粒一粒に祈りが込められているように、夜空の星々に名前がついているように、砂漠の砂の一粒一粒が時間の比喩になるように、膨大な空間と果てしない時間の中で生きていることが、愛されていることの証だと今日から決めよう。

人を傷つけてはいけないように、人を喜ばせることが人々の仕事になって、起きてから寝るまで、生まれてから死ぬまで、世界のことも愛すときめよう。

過去も現在もまだ見ぬ未来にも慈愛にみちている。

そういう風に世界を決めよう。

休息是為了走更長遠的路

左前庭神経炎って名前の病気になった。

車に乗っていたら急にめまいがして一時的だろうけど、ハザード炊いてコンビニ入るかと思って車を停めたらもう視界がずっと回ったままで立ち上がれなかった。そのまま救急車に乗って点滴で薬を入れて症状を抑えてもらった。

昨日が今日になって専門医にかかり、診断を受けた。酷い症状だけど治りますよ〜、命にも別状はないし、一カ月で治ります。再発もないですよ〜と言ってもらえた。
まっすぐ歩けないぐらいにフラフラだったけれど、運動した方が良いとのことで病院から歩いて帰った。妙な時間に歩いていたからか、小学生たちと一緒になって歩くことになったんだ。

「お車がきているから道路に出ると危ないよ〜」
男の子「んん〜!なんか言った〜??」
「車が向こうに見えるでしょう、車に道をあけてあげないと危ないよ〜」
男の子「わかった!ありがと!あの人はいい人だ!教えてくれた!いい人だ!」

恥ずかしくなってすぐ通り過ぎたけど、それを聞いていた、たくさんの小学生が僕に「こんにちは!」って声をかけてくれた。みんな道にはみ出さないようにしていた。みんなチラチラ僕を見ながら「こんにちは!」「こんにちは!」元気の塊が追いかけてくるみたいに感じた。こんな風景がまだ生きてるんだと思って。

初めに書いた中国語は「一休みはより長い旅のため」最近見た映画での言葉、台湾で有名な言葉らしい。病気で自宅療養になるけど、これも大きな仕事のためだと思おう。

「こんにちは!えらいね!みんなえらいね!」って言いながら道を曲がって家に着いた。みんなにも僕にも大きな旅が待っている。