読み上げアプリ作ったので公開する。

しょぼい読み上げアプリを作ったのでテンションで公開しようと思う。クリップボードを0.1秒間隔で監視して読み上げるアプリケーションです。棒読みちゃんの設定がややこしいので完全に自分向け。僕はツイキャスの読み上げに使ってます。
動作確認環境は、64bit windows10 だけど、たぶん最新のjavaの環境とクリップボードがあれば動くと思う(未確認)。興味のある人は勝手に使ってくださいという気分です。
また、このアプリケーションは個人が趣味の範囲(いかなる事業, 営利活動とも無関係)で書いたものです。

よみよみちゃん

はじめに

本アプリケーションは、VoiceText Web API に通信して音声を取得、再生するアプリです。記事公開時は個人利用は無料ですが、音声の二次利用は制限されています。また、VoiceText Web API の規約は変更することも予想されます。本アプリケーションは”VoiceText Web API”の規約違反を助長する意図で公開したものではないと宣言しておきます。
また、本アプリケーションを使用したことで不利益を被っても利用者の責任であるものとします。開発者である私は一切の責任を負いません。
また、開発されたコードには、voicetext4jで公開されているコードが含まれています。

インストールの前に

VoiceText Web API の登録とjava(jre)のインストールをしておくこと。

インストール

よみよみちゃんをダウンロードして展開して好きなところに設置してください。そして、VoiceText Web API を登録して得られたAPIキーをkey.txtに書き込んでください。また、java(jre)をインストールしておいてください。以上でインストールは終了です。

使い方

yomiyomi.exeを起動(通常はダブルクリック)してください。ウィンドウの”Start”ボタンでクリップボードの読み上げを開始し、”End”ボタンでアプリケーションを終了します。

起動画面
起動画面

ライセンス

ライセンスは「Apache License, Version 2.0.」とします。近々ソースコードを公開する予定です。

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善意の悪意

これはよくあるような”余計なお世話”とかそういった話ではない。良かれと思ってしたことが悪い事だったとかの話ではない。言い換えるのであれば、”善の気持ちが悪の気持ちだった”ということである。
極端に大げさに言えば、善意の人殺しとかそういったことだ。例えば、毒を薬だと思って処方する医者のようなものだ。
よく言われる”てっきり〇〇だと思った”だとか、”その時はそう思っていた”などの言い訳が通用しないのは、極論すればこういった事象が出てくるからだ。

世間では無料の善意がいいのかもしれない。だが、”ただより高いものはない”という言葉がある。その意味はなにも対価となる時間や不利益のみならず、往々にしてみられる無料に対する責任感のなさに違いない。

だから私は有料であれ、無料であれ、責任感のない善意は信用しない。医者が薬と勘違いして毒を処方するとき、責任感が欠如している場合が圧倒的に多いと見受けられる。私はこれに”悪意”と名付ける。
いま社会の流れは”責任”に対してお金を払わなくなった。所謂、”優しい嘘”などに代表される欺瞞がこれを代表していると思う。

”善意”はあくまで”善”ではない。”善”は人を助けても、”善ではない善意”は容易に人を壊すだろう。人を壊すつもりのなかった”善ではない善意”はこれは”悪”であり、その責任感のなさは”悪意”だ。つまり、善意を自然に善として行使できる人は大変に努力した人間に違いない。

善意は無条件にだれにでも扱えるものでもないということを、私の善意としてここに主張しておきたい。

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PocketMine-MPでPEのバニラ鯖 (v0.13.2) を立てる。

既出の話題かもしれないが、PEのクライアントがv0.13.2にバージョンアップしてから「サーバーが期限切れです」となってしまう。公式(と呼んでいいのかわからないけれど)のアナウンス通りサーバーを立ててもv0.13.1までしか対応していないようなので、PocketMine-MPのgithubから最新のソースを取ってきてインストールしたらいけるんじゃないかと思って試してみました。advanceでのインストールより不安定だと思ってください。

お約束ですが、この記事の文責はなにわにありますが、仮にこの記事通りにしたがってコマンドを実行し、結果なにが起きても僕は一切の責任を取るつもりはありません。

インストール方法は英文でここにあります。多分日本語ページがないからあんまり知られてないのかもしれない。詳しい各環境のインストール方法はリンク先をみてもらうこととして、linuxサーバーにインストールするなら以下のコマンドを実行してください。

git clone https://github.com/PocketMine/PocketMine-MP.git
cd PocketMine-MP/

PHPのバイナリをインストールしてくだい。インストール出来ない人は期限切れになったPocketMine-MPのディレクトリの中のbinディレクトリをコピーしてください。それからいつもどおり立ち上げればいいはず。
cp -r /期限切れのパス/bin .
./start.sh

うまく行けば以下のログが吐き出されるはず。

2
こんな感じのログが出ればおっけ~。

というわけで、しばらく「サーバーの期限切れです」で困っている人は試してみてください。

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理解できないこと

今日は理解できないニュースを読んだ。このニュースだ。

零戦、再び日本の空を舞う!「先人が築いた技術をみよ」 1月27日に鹿児島県鹿屋市で – 産経ニュース

詳細はリンク先を参照してほしい。僕は記事にある石塚さんの個人的な信条による零戦飛行の実現を簡単に否定したくはない。おそらく彼は信念に基づいて防衛省との交渉に臨み自分の財産と信用(スポンサー等の協力)をかけて実現したものであるからだ。そして彼は零戦を”終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術”(記事から引用)として認め、先人の技術力が今の日本を築いたとしている。
この石塚さんの心情は彼の個人的なものであるし、彼個人の責任でイベントが行われる以上、簡単に他者から損なわれていいものではない。また、僕はニュースの文面にない苦労もたくさんあったと思う。

だが、このブログでは、僕の歴史観と心情による主張を述べておきたい。
当時の ”世界最先端の技術” は戦争のために準備されたものであった。そして零戦にみられる技術が戦後日本の発展に直接的に寄与していたとは考えにくい。戦後日本は戦闘機を作らず、ジェット機でさえ長らく国産機がなかった。

思うに、戦後の日本の発展には二つの要因があると思う。
アメリカの属国に近い立場だった日本は軍事費にかかる出費が殆ど無く再出発できた点、第2次世界大戦で疲弊した国民が平和を希求していたことである。

以上の主張にもとづいて考えるのであれば、戦後の日本における発展は零戦に端を発したものはなく、また、零戦からは想像だにできなかったに違いない。例えば、機体を極限まで軽くするなどの工夫は戦闘機を前提としたものだった。頭のおかしい技術者でなければ設計できなかったのだ。

確かに、零戦は魅力的な飛行機だと思う。僕は零戦が戦闘機ではなく、国際郵便などを配達する飛行機であればよかったと心から思う。

というわけで、僕はこのニュースがうまく理解できなかった。

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自由に生きること

自由に生きるって難しい。こんなことを考え出すと、自由ってどんな意味だったけ?と迷子になるから不思議だ。こんな時に”自由”って何だ?と調べたくなってしまう(完全に理系脳だ)。でもどんなに日本語が得意な人でもすべての言葉を辞書に頼っているわけじゃない。辞書を引くきっかけなんてそうないんだから、今調べてみようと思う。googleでw

Wikipedia(結局中途半端だ)によると、以下の意味らしい。

自由 (じゆう、英: freedom, liberty)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。(Wikipediaにおける”自由”)

哲学用語だそうだ(笑)よくわからなくなってきそうで怖い。純粋な言葉の定義なんて、ものを考えると頭が痛くなってくるので、歴史を追ってみようと思う。まず、”自由”の文字は5世紀までさかのぼれるらしく、「我儘放蕩(わがままほうとう)」の意味であったらしい。”Wikipediaの自由のページ”の初めにある説明と大差ないように感じる。ここで英語の意味を確認してみよう。”liberty”の語源は「社会的・政治的に制約されていない」、なるほどアメリカ独立の象徴になりそうな言葉だ。”freedom”の語源は「好む、愛、気ままさ、傲慢さ」など、いくつかの語源を持つらしい。

どうもすっきりしない。各言語の語源に当たっても僕が思う自由にフィットしないのはなぜだろうか、僕は自由は決してわがままやきままであるだけではなく、いくつかの責任に担保されているものだと感じてしまう。いくつかの言語で、いくつかの語源を持つ言葉が今”じゆう”と呼ばれているものの実際のところは何を指しているのだろうか。僕は自由という言葉が意味を変えて存在し、普遍的(世界共通的)な意味を持っていると思う。

つまり、自由という言葉が人類と共に成長し、新たな価値観を帯びてきているようなのだ。哲学の領域では”じゆう”という言葉が時代を経るごとに定義しなおされ、文化を背景に形を変えながら新しくなってきているようだ。だけど、実際の”じゆう”の変化はテレビなどの急激なメディアの発達によってもたらされたのだろう。故に、日本語の辞書には僕らの感覚から外れるような意味を持つ言葉も少なくない。

長い旅路を歩いてしまったが(笑)、”じゆう”と言われて心に思い浮かぶイメージは言葉にしにくい。だけど、とてつもなく大切なもののように感じる。ここで僕が言いたいのは、決して”自由”という言葉の意味ではなく、”自由”という言葉がさす理想のことである。言葉にしがたい”じゆう”が指し示す意味が明文化されるのであれば、それは意味を持ってしまった価値であって、そこに新しさはなく固定化されてしまう。

まだ見ぬ新しくて素晴らしい価値が”じゆう”には詰まっていて、形にするのは難しいから、「自由に生きることは難しい」とひとまずはしておこう。不自由が示す”じゆう”とでも呼べるかもしれない。

皆さんは形にしたい「じゆう」を持っていますか。不自由も面白いかもしれません。

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頭が良いということ

最近のテーマです。

僕は他人の成績や頭の良さに嫉妬したことがないのだが、他人の頭に嫉妬するのは自分の頭に不満やコンプレックスを抱いているからではないだろうか。

”頭の良さ”は何が原因で決まるのか、頭の良さは身体的な特徴ではない。
ほとんどの人間の脳の重さは同じで、脳に損傷を受けている方でも”頭がいい”とされる人も多いからだ。では、教育の問題だろうか。重要な視点ではあるが、社会のようなグループではなく、自分という個人を考えると、選択できない与えられる教育に考えを馳せてもあまり役に立たない。それに、同じ学校の先生でも、同じ両親でも、頭の良し悪しに差はできるので最大の原因とはいえない。
生まれつき頭の悪い人間は存在しないということだ。

最大の原因はなにかー、僕は意識の差だと思う。

僕には決め事がある。それは、「頭いいんですか?」と聞かれると、「頭は良いほうです!」と返すことだ。

”頭の良さを”を評価するのは他人と自分である。実際に頭の良さを測る物差しなんてないわけだから、他人に評価されないうちは(他人が自分の脳みそに興味を持ってくれないうちは)自己評価で自分の値打ちが決まるといって良い。
もちろん、過大評価になってはいけないが、 自分は頭が良いところがいくつかある この認識をより多く持てる人が本当に賢くなっていく。自分が次の自分を決め、個性を作っていく。

「趣味は何ですか?」「得意なものは何ですか?」と聞かれると、自分より得意な人は大勢いるし、趣味と言えるまで好きじゃないし、とか、頭にブレーキがかかる人が大勢いると思う。これはコンプレックスといって良い。”どうせ自分より優秀な人はいるのだ”というコンプレックスだ。それは初めは謙虚なつもりでも何かのきかっけで、愚痴になり、嫉妬になり、最終的に「自分はできないんだ」という絶望とあきらめに代わる。

本来、「好き」や「得意」な事は自分が感じているだ。他人の目線を感じ、自分を卑下することが自分の脳みそに一番の悪影響を与え、成長する機会を奪っていく。素直に自分の趣味趣向を認められる人が、自分の「好き」や「得意」に、詳しくなっていくのは当然であるし、気が付けばマニアックな領域に入っていくと思う。僕が考える”頭がいい”とはこれである。頭にブレーキをかける人に”頭の良さ”は絶対に来ない。”頭がいい”人には専門分野というか、自分の領域を持っていて、自分のこだわりの上で一番の賢さをそなえていく。これが自信であり個性であると僕は思う。

”頭の良い”人には(僕は頭が良いのでわかるのだが)人間が立体的に見える。見た目(身体的特徴)には表れない人間の凹凸(意識の差)が感じられるはずだ。なぜなら”頭がいい”人がそうだからである。

もうすでに時代は、個性豊かになってきました。特に若い世代は世代論ではくくれないほど多様な内面世界を抱えている人たちであふれています。どうか、責任ある世を動かしている人々には、これが「”頭がいい”人になりたい運動」の前触れだと気が付いてほしい。

そして、意識を持ち始めた人間に「バカだ」とブレーキのスイッチを押さえつけるようなことは控えてくれると嬉しい。その分だけ世界が賢くなっていく。

この記事は2015年12月06日に文章校正を行いました。元記事のリンクはこちら

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心を伝えるということ

最近よく考えること。「言は意を尽くさず」という言葉がある。”言葉は心に思ったことを十分に言い表すことはできない”という意味なのだが、ここで理解を止めてしまうにはもったいないことを最近知った。原文は”易経”にある。引用すると、

「子曰、書不尽言、言不尽意。」

訳:孔子は言った。「書いたものは言葉のすべてを表すことはできない。言葉は、心のすべてを表すことはできない。」と。

論語は孔子の言ったことを弟子がまとめた文章なのだが、一部分の文章を切り取って、単純に知ったつもりになるのは早計にすぎると考えていいだろう。そういう誤用もよく見かけるのだが、文章には続きがあるものだ。

「然則聖人之意、其不可見乎。子曰、聖人立象以尽意、設卦以尽情偽、繋辞焉以尽言、変而通之以尽利、鼓之舞之以尽神。」

訳:ならば、聖人の心を知ることはできないのだろうか。孔子は言った。聖人は易の象を立てて心のすべてを表し、卦を作ってあらゆる事物を判断し、辞をつけてそれを説明し尽くした。変化に応じて民をより良い方向へ導き、民心を鼓舞し、人知の及ばぬ不思議な力を発揮した、と。

なんだか難しい言葉が出てくるので、僕流の超訳を試みてみたい。

孔子さん:文字や言葉は限界があって心を伝えるのには不十分だよ。
お弟子さん:では文字しか残っていない昔の偉い人の心は理解できないということですか?
孔子さん:昔の偉い人は伝える相手によって、心をイメージや図にしたり、それに言葉で説明を付けて頑張った。みんなを励まして、人知を超えて不思議な力を発揮(心を伝えた)したんだよ。

ということになるだろうか。つまりは、”昔の偉い人は心を頑張って何とかして伝えた”というようである。
最近は悲観的というか、ドライな見方が多いようだ。「所詮○○だ。」とか「そんなもんだろう。」とか、賢い人が増えた分、物事に対して諦観(あきらめ)から入ることが多い。私が最近感じていることは、文字や言葉のコミュニケーションに初めからむなしさを込めている人が多いのではないかと思う。だけど、皮肉なことに「むなしさ」が前提にあっても、言葉や文字、歌、絵はどれも自分を表現したい。という欲の塊ではないだろうか。そして、”表現されたもの”を誰かに見てほしい、聞いてほしい、ということは自然なことでもある。

必死さは伝わるものだ。そして誰かの必死さを無視しない人でありたい。

昔の偉い人でなくても、赤ちゃんが泣けばお母さんが乳をあげ、抱きしめる不思議があるように、コミュニケーションは誰もが生まれついて初めからもっている能力じゃないのかと思える。

時には想いを伝えるのに言葉が邪魔になるときもある。泣いてでも伝わることがあるものだ。

コミュニケーションをあきらめる時、実はそれは相手を自分と同じ人間であることを忘れた時ではないだろうか。双方が自分と同じ生き物だと思った時、コミュニケーションは自然になる。

必死に何かを伝えよう、きちんと話を理解しようという役者がそろった時にそこに誰も知らない世界が生まれ、喜びを感じるのではないか。微動だにしない石に向かってしゃべりかける、同じことしか言わないロボットにおしゃべりする、ような感覚になるときもあるけれどそれは間違いだ。自分と同じ生き物ならば、心を動かしているはずである。なぜなら、文字に言葉に触れるたびに心を動かしている自分がいるのだから。

中国では手紙の結びに「書不尽言、言不尽意」と書く人もいるらしい。これは理解してほしいという叫びなのか、あきらめなのか、はたまた、心を尽くした文章の結びなのか。

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以前頂いてたコメント

(匿名さん)毎回読ませていただいております。貴方の文章が好きです。貴方のように自分の気持ちを文章で表せるよう、日々学習していきます。お体に気をつけてください。

(なにわくん)返信:ありがとうございます。僕は文章が苦手で、文章に好意を頂くのも初めてかも知れません。もう少し丁寧に、もっと更新できるように頑張ります。

兄と会った。

先々々日、兄が入籍したそうだ。
結婚式はせず、披露宴だけだったようだが、とにかく兄は所帯を持つことになった。
僕はさまざま事情があって出席しなかったが、兄夫婦がこっちに出てくるというので、会うことになった。昨日のことである。

5年ぶりにあった兄は少し年を取った様子だったが、三十代に入ったばかりにしては若い。

私たちは互いの近況を二言、三言、確認すると、「もういいだろう」と言って別れた。一度別れてから2度会いに来た兄は、一度目は何か食べなさいということでお小遣いをくれて、二度目には、今度兄がほしい本を郵送してほしい件について伝えられた。すべてにおける所要時間は5分に満たなかった。

5年会っていなかった兄と私は、それでも、互いの顔色と声のトーン、それから会えたという事実でお互い満足したらしかった。

中学を出ただけの両親は、それでも私たちに立派に教育をつけてくれた。本より、学歴なんてものを気にしたことはないが、それだけは、教育にだけは、お金を惜しむことのない両親である。兄は大学の頃、留年をした。姉は優秀で、大学院に誘われたが行かなかった。兄は卒業後、ひと時実家に帰り、今は近くで会社勤めをしている。実家には姉が住んでいる。

果たして、計算違いで、年を離れて生まれた僕は家族から愛されてはいたものの、少し浮いていた存在だったためか、実務的な意味で、実家に縛られてはいない。

そういうわけで、姉がしたいこと、兄がしたいこと、僕がしたいことは自然と方向性はバラバラとなり、私は進学させてもらえた。しかし、私より頭の良い兄は状況が許し、そして機会があれば、進学したに違いないと思う。姉だってそうだ。今はめったに集まることのない家族である。

私はそれでいいと思う。誰かが誰かの負担になってしまえば、自分の人生を生ききれない。また、大切な兄と姉の邪魔はしたくないのだから。

私はまだ家族にとって卵だが、私の知らない未来を家族は知っているような気がする。そう感じる。常人には理解されがたいことだが、これは信頼だと思う。人を信じるということは、突き詰めれば、その人の未来を知るということだ。私の家族の勘とセンスと信頼を事実にできるかどうかは、私にはまだわからないが不安は他人任せにすればいいと思っている。不安の置き場所は実家だ。

兄が歩いていくと、私に気を使いながらもお義姉さんは気恥ずかしがっている兄のほうへひょこひょこついて歩いて行った。素敵な方だった。

ところで、兄は私に小遣いをくれたとき、「10倍にして返してください」と言い添えた。私は兄の家庭に毎年たくさんの本を送りつけてやろうと思っている。どうせ子供作るだろうから。

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祖母のこと

祖母のことを思い出した。

祖母には、バイブルのように大事に持ち歩いてる本があった。革張りのそれは外側は傷だらけだが、本を開くと今でも新品のようだろう。今でも実家に大切にしてある。僕が小学生の時分に他界したのだが、家族で一報を受けたのは僕だった。知らない親戚の存在にびっくりしつつ親を呼んだ。私の中で、祖母の思い出は2つしか無い。

ひとつは飴玉をよくくれたこと。
ひとつは学校に授業で暑中見舞いを出した時のこと。

直ぐに返事は帰ってきた。僕は祖母の文字を見るのが初めてだと思ったらどうやら代筆のようだった。祖母はカタカナしか読み書きできなかったらしい。

祖母がその本を持ち歩いていた理由はわからなくってしまっているが、祖母は本を開いて知り合いに読んでほしいとよく頼んだそうだ。
あとになってわかることだったが、祖母は賢い女性だったに違いない。自分の限界を見つめながら諦めなかった。代筆で手紙を出す祖母の気持ちはまだまだよくわからない。
本を思い出すと、少しは切なくはなるが、寂しい気持ちよりも尊敬の念を感じたい。

祖母に返事は何もできなかったけれど、私が大学で学んでいる姿を、今も見つめてくださっていると信じつつ。

自己の確認と祖母の自慢に。

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高校の頃の僕へ

かつて僕は、母校のある高校でゴーストライターのようなことをやった。母校でもこの話を知っているのは国語の先生と副会長と僕だけだ。

普通、卒業式の答辞は生徒会長あるいは主席がするのが普通だろう。でも、僕の代の生徒会長は進学先が決まっていなかった。そこで副生徒会長が答辞を読むことになったのだが、副生徒会長は課外の活動が忙しく、突然言われた答辞の内容を考えさせるのははばかられたのかもしれない。とにかく、副生徒会長の代わりに答辞を作成しろとのお達しが、一執行委員でしかないはずの僕に来たのであった。ここに国語の評定は2のゴーストライターが誕生した。

とにかく、5年分の答辞を渡され、なにか考えてこいと言われたのだが、5年分の答辞は似たようなものばかりで、面白みがなかった。僕は答辞の形式だけ真似て中身は自分で考えることにした。高校のクラスメイト、部活、勉強、先生、とかを散りばめて、まとめて出しただけの答辞は先生からも同級生からも何故か評判が良かった。添削の国語教師からは「あなたはこういうのはできるのね。」と言われ、副生徒会長がみんなの輪の中で答辞について声をかけられているのを横目に、ホッとしたした気持ちと微妙な自己充実を感じながら卒業式の後を過ごしたのを覚えている。

もう、あれから8年がたとうとしています。しばらく覚えていた答辞の内容も、もう覚えていません。学区改正などで、母校は通う地域も変わっているし、先生も皆知らない人になっているでしょう。クラスメイトも連絡をほぼとっていません。名前を忘れた人もいます。でも、あの校舎の空気をまだ僕は覚えています。高校生活は独特のリズムとテンポで、僕を社会から隔離していました。穏やかに40人の閉じた空間に閉じ込められていたのにそれが悪くなかったのです。特別なことはありませんでした。田舎の自転車通学でしたし、部活動も幽霊部員で特に何かに熱中した覚えもありません。そこそこ読書がすきなどこにでもいる高校生でした。しかし、「スタンド・バイ・ミー」に代表されるようなあの年代特有の感情の起伏、またそれによって日に日にめまぐるしく変化する心に写った風景の描写を僕はまだ忘れることができません。

あの時代の日差しは今の日差しより眩しく、木々の緑は鮮やかで、友は少なかったけどいい奴らでした。

今振り返り、あの頃の不真面目な僕に私から答辞をプレゼントしたいと思います。答辞なんてプレゼントするものではありませんが、たまにはこういうのもいいでしょう。僕にも、文章を書く楽しみを教えてくれたあの頃の僕に答辞です。

私達は、今日のこの日まで取り巻く環境のすべて、部活、課外活動、受験、そして今の世界を、時にはイライラしながら、時には感動を覚えながら、今日のこの日まで共に過ごした同級生のまなざしから見てきました。ですから、一度も目が合うこともなかったあなたも確かに私に影響を与えていて、たしかにクラスメイトでした。私達は心の揺れ動きの激しいこの時期に学舎で共に過ごせたことは本当に幸せでした。実は、図書館の隅に私の書いた小説が隠してあります。この絶妙な雰囲気をそこに閉じ込めておきました。見つからなくていいです。見つけた方はそっと心に閉まっておいてください。

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