引っ越し

10日ほど前にweb面接をした。次の職場は名古屋になりそうだ。
正月に免許合宿に行って、一月の末に府中に免許を取りに行った。カーシェアで二回ほど車を借りて運転をしたら一時間もあれば自分の行動範囲が回れることが分かった。
面接の結果が分かったら、引っ越しの準備をして今いる場所を引き払ってやるべきことをしなければならない。

今日録画していた探偵ナイトスクープを見て、モニターの中で「突然走れなくなった女子高校生」が一生懸命走ろうとしていた。専門家や催眠術師、周りの大人がたくさん助言をして、状況は理解できるけど状況はなかなか改善しない。物語はそのあと、訓練をして不格好だけど少し走れるようになって今のところ終わってしまった。走れない女の子は最後には気負いなくコロコロ笑いながら上機嫌で過ごしていてなんだか泣いてしまった。
突然何もできなくなってもそれを受け入れて前向きに過ごしている女の子がそこにはいた。

泣いてしまったのは私にも同じ経験があったからかもしれないし、そうではないかもしれない。
よくある物語では、四畳半って言葉出てくるけれど僕はずっと1kの六畳で過ごしていた。備え付けのコンロなんてなくて五千円で買った一口コンロで何でも作った。人間は環境で決まらないってことを教えてくれたと思う。やる気に満ちて一晩で専門書を読み明かした朝も、やる気が起きず死んだように過ごしたひと月も、一夜漬けで必死作ったダメダメなプレゼン資料も、この部屋が見ていたと思うとなんだかいとおしく思えた。二年前、博士課程を何とか卒業した時、何も考える余裕がなくて静謐とした時間の中で過ごしていた。自分の人生の中であの時間ほど尊いものはなかったと思う。あの時、引っ越さなかったのはこの部屋が好きだったからだ。

免許を取って初めての高速でほったらかし温泉に行った。ほったらかし温泉は学生の頃、友達と一緒に行こうって何回も言っていたけれど行かなかった場所だったけれど、2時間もかからずに到着してこんなもんかっておもった。2時間なんてあの頃、大学から帰り道の分かれ道で少し話していたらすぐなくなってしまうような時間だった。大事なのはどんなにみじめ悲しくても上機嫌でいることだと思う。

できることを少しづつ増やしながら振り返ったらどうやってここまでこれたのか不思議になるような人生がいい。数えきれないほどのステップをこえていく力が人には元々備わっている。結果が大事なのではなくプロセスが大事だと腐るほど聞いたけれど、そこには言葉以上の価値が、可能性が、不思議が詰まっている。新しい職場では教育にはかかわらないけれど、研究を自分らしく頑張って凡人らしい結果しか得られなくても本当に価値のあることがしたい。
僕とかかわった人がそれと気が付かなくてもいい、少しでも自分が不思議で価値のある存在だって思ってほしい。

4月からはたくさん今までやって来なかったことをして、もっとできることを増やしたい。赤ちゃんの頃のように戻って上機嫌でできると思う。

しばらくしたらこの投稿を読み直して思い出そう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です