リトル・マーメイドを見た

働き始めてから一人で出張に行くことが多い。院生の頃は後輩と学会発表に行っていたので一人で行くとなるととても気楽で少し寂しい。今日から一週間を香川の小豆島で過ごすけど、岡山で育ったのに一回も行ったことがない。
瀬戸大橋も初めて渡ると思う。そんなわけで僕は今サンライズ瀬戸に乗ってこの文章を書いている。
八王子駅から横浜駅でサンライズに乗り換えて高松に向かう。高松には朝の7時すぎに着くし、横浜駅では途中下車をして腹ごしらえと映画を済ませてきた。八王子駅で髪の毛も切ったけど、サンダルを買うのを忘れたな。
時系列に逆らってしまったけど、このブログでは勘弁してほしい。細かいことはどうでも良くて今の思考を辿れたらそれでいいのだ。

サンライズ瀬戸

さて、リトル・マーメイドを見てきました、今日で2回です。前回吹き替え見たから今日は字幕だなって思ってたけど、どっちも字幕だったっぽい。今日見てわかるのだから本当に記憶というのは曖昧なものだ。
こんな言い方をすると、記憶が曖昧なんて頼りないと言われそうだけど、僕は曖昧な記憶に頼って生きていくことはなるべく減らしたい。記憶頼りに断言することなんて怖くてできない。だけど、記憶力に自身がないわけではないよ。

配役について疑義のある人がいるみたいだけどそんなことはない。とてもいい映画だった。

リトルマーメイドの実写版は『僕たちわかり会えるよね?』って問いかけだ。

意地悪なおばの魔女も見方が違うだけで無理解になる父も人間とわかり合いたいアリエルが傷ついたり、行動を起こすと出てくる。
いつも手伝ってくれるフランダーはイエスマンだし、セバスチャンはなんだかんだ味方になってくれる。

ものがたりはアリエルが父と言い争って「見方が違うだけなのに!」と叫ぶところから動く。

今作のアリエルは無鉄砲で無邪気なだけではない、賢く芯があって親思いのキャラクターだ。
物語は海と陸で進んでいく。
アリエルは自分の無知から父を危険にさらしてしまい、王子のエリックと一緒になって戦う。
アリエルは父に反省を示して、エリックはアリエルの残したドレスを抱いて母の「世界が違うのよ」という言葉でドレスを海に返す。

物語は一度、アンデルセンが記した結論を提示する。
そう、アリエルは泡になって溶けてしまったのだ。

そこから暗転して、経過を語られることなく、アリエルは父に人間にしてもらい陸に登り、いつの間にか理解者になった母に見送られてハッピーエンドだ。

本当に物語はハッピーエンドなんだろうか?暗転しての物語の結論は「見方が違う人とわかり会えることは難しい」ことを示唆しているんじゃないのか。
難しいけれど、「わかりあえるよね?」ってことだ。
アンデルセの物語からもう何年立つのかわからないけれど、僕たちはわかり会えるのだろうか?

みんなが抱えている、誰もわかってくれない、いつか泡になって消えてしまった気持ちにまた会える日は来るんだろうか。

車窓から見えるJRの線路には人がいないけれど、なんだか特別な感じがする。
泡になって消してしまっていたのは、誰とでもわかり会えるはずだっていう自分の気持ちなんじゃないのか、そう思ったら心の中のネプチューンや女王が自分の世界から出てはいけないとささやく。
映画は肝心なところは隠してしまって何も教えてくれなかった。

いい映画だけれど、諦観がところどころに見える。「理想よりも目の前の事が大事です」っていうセリフも実はなんの意味もなしていない。エリックの目の間にはいつも理想があったからだ。
エリックもアリエルも困難から逃げない。
問題の本質を見つめて逃さない。

問題の本質を逃さなければいつか分かりあるのだろうか、ぼくもあなたも。

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