今日は理解できないニュースを読んだ。このニュースだ。
詳細はリンク先を参照してほしい。僕は記事にある石塚さんの個人的な信条による零戦飛行の実現を簡単に否定したくはない。おそらく彼は信念に基づいて防衛省との交渉に臨み自分の財産と信用(スポンサー等の協力)をかけて実現したものであるからだ。そして彼は零戦を”終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術”(記事から引用)として認め、先人の技術力が今の日本を築いたとしている。
この石塚さんの心情は彼の個人的なものであるし、彼個人の責任でイベントが行われる以上、簡単に他者から損なわれていいものではない。また、僕はニュースの文面にない苦労もたくさんあったと思う。
だが、このブログでは、僕の歴史観と心情による主張を述べておきたい。
当時の ”世界最先端の技術” は戦争のために準備されたものであった。そして零戦にみられる技術が戦後日本の発展に直接的に寄与していたとは考えにくい。戦後日本は戦闘機を作らず、ジェット機でさえ長らく国産機がなかった。
思うに、戦後の日本の発展には二つの要因があると思う。
アメリカの属国に近い立場だった日本は軍事費にかかる出費が殆ど無く再出発できた点、第2次世界大戦で疲弊した国民が平和を希求していたことである。
以上の主張にもとづいて考えるのであれば、戦後の日本における発展は零戦に端を発したものはなく、また、零戦からは想像だにできなかったに違いない。例えば、機体を極限まで軽くするなどの工夫は戦闘機を前提としたものだった。頭のおかしい技術者でなければ設計できなかったのだ。
確かに、零戦は魅力的な飛行機だと思う。僕は零戦が戦闘機ではなく、国際郵便などを配達する飛行機であればよかったと心から思う。
というわけで、僕はこのニュースがうまく理解できなかった。
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