MAZDA2

父から車をもらった。

MAZDA2なんだけど、父は「いい車だ」と言っていた。僕はノートとかアクア、プリウス、フィットが欲しかった。ハイブリッドで燃費が良くて、レーダークルーズコントロールがついている車。父が亡くなってアパートの前の駐車場を借りて、しばらくは岡山と愛知を往復していたんだけど、しばらくして星を見に行くようになった。それから本当にいろんなところに行った。

神奈川に友達に会いに行き、大阪の友達に会いに行った。しばらくして愛知に友達ができた。愛知の友達を乗せて深夜の奈良公園で鹿に触ったり、いろんなダムで星を見た。海や夜景も見に行った。野生の鹿もヤギもキツネもタヌキも、なんなら熊のような影も見た。父のガスコンロで簡単な料理をして食べた。

帰り道、みんなが寝静まると音楽を小さくしてエンジンの音を聞くと、父の声が聞こえてくるような気がする。「楽しいか?」って聞かれているように感じて、心の中で「楽しいよ」と答える。でもどんどん父の声が小さくなっていく気がする。父がいた心の隙間に、たくさんの人が入って出ていく。たまに一緒になって父の面影を眺めてくれる人もいて、仲良くなれることもある。

昨日、30分ほど久しぶりにひとりで目的もなく運転した。父の声は何も感じなかったけど楽しかった。父はしきりに「お父さんは若い頃、スポーツカーとかよく乗ってたんやで」と言っていた。

僕が小さい頃、父は小さな軽自動車に乗っていた。兄と姉が後部座席に座り、僕は母の膝の上。チャイルドシートなんてないおおらかな時代で、僕が後部座席に乗っていてパトカーの隣を通る時は「頭を下げろ!」と言われる。
そのあと父はシビックを買って、トランクも後部座席も広くなって、頭を下げなくてよくなった。そのあとはフィット、デミオとなっていったように思う。

よく母の実家の岸和田に家族で行った。高速道路で距離の書いてある小さな看板を兄と数えながら、兵庫までは起きているんだけど、そこで寝てしまう。
寝て起きるともう祖母の家の前で、父が抱えて運んでくれる。そのとき目が覚めるんだけど、その時間が言いようもなく愛情に満ちていて、心地よくて、安心していたから寝たふりをして運んでもらう。

祖母が敷いてくれた布団の中で、叔父さんと難しい話をしている父の声を聞きながら、いつ起きたと言おうか迷う。
結局寂しくなってみんなのところに行くと、父が「今のうちに大人の話を聞いておけ」と言って聞かされる。

そんな時間が大好きだったけれど、姉と兄が上京して、僕が中学生になった頃になくなってしまった。
父は身長の高くなった僕を助手席に乗せて、母を後部座席に乗せるようになった。

それからは父と車の中でいろんな話をした。僕が上京してからも、帰省の時には毎回のように岡山駅に迎えに来てくれて、食事制限を指示されている父といろんな食べちゃいけないものを食べて実家に帰る。

深夜のドライブでみんなが寝てしまっても、小さい頃の自分を乗せているような気がして、悪い気がしない。

父とは行かなかった場所に向かって、それが思い出になっていく時、縁した誰かの眼差しの中に自然と父がいるように思えたら、それが一番いい。

僕の中に溶けてもう見つからなくなった父が、ふっと友達の中に現れる時、MAZDA2がやっぱりいい車だと思った。

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