家中の電気のものを全て消して、洗いたてのシーツの布団に入って天井を見た。
出窓から遠くの車の光と外の気温が漏れ出ていて、寒さを感じながら少し目を閉じ、また天井をみた。
まだ眠たくはない。
音は時たまに鳴る冷蔵庫のラジエターの音と外の洗濯機の音、それ以外はなにもしない。このアパートにはもう十二部屋のうち四人しか住んでいないらしい。
思わずいても立ってもいられなくなり机からノートパソコンを枕元に持ってきていま文章を書いている。ここ数年、いや十六年を振り返るためだ。
一昨日、博士論文を副査の先生に渡してきた。
そのときに一言、「間に合ってよかったね。」と言ってもらった。
まだ審査は始まったばかりだけど、うちは条件が揃うまで審査自体が始まらないのでそういうことだろう。
昨日は狂ったみたいに寝て、こんな時間に眠れないでいる。
深夜零時頃から手持ち無沙汰で最近手につかなかった掃除と洗濯をした。
ここ二週間ほどなんにもしていなかったのにそれほど汚れてなくて、それほど洗濯も溜まっていなかった。
どうやら、一人暮らしも長く続けるとそれなりに清潔に暮らせるようになるらしい。
どうやら今年、僕は卒業するらしいのだ。
卒業するとうちの大学で一、二年は助教として働けるらしい。
人より6年遅れてしまったけど、学位をもらえるらしいのだ。
僕には全然実感がないのだけど、周りがすごく喜んでくれている。
僕は青春のすべて、ほぼ全てをこの生活に費やしてきたのでまだ少しよくわからないでいる。
上京して初めて付き合った人からはよく、「時間は作るものですよ」と言われた。
言いたいことはわかるしそのとおりだと思うけど、作った時間は次の研究の時間に消えた。
暇な時間は深夜しかなくて、よく深夜友達とおしゃべりしていた。
その子とうまく行かなくなってから、なんだか研究もうまく行かなくなった。
担当教員とうまくコミュニケーションが取れなくなり、
三ヶ月ほど話していない教員が突然私のもとに来て
「あなたはこのままではいつまで立っても卒業できない。無駄だ。」
と言い捨てて去っていった。
私はきっとショックだったのだろう。作業効率が落ちて何もできなくなった。
幸い、私は自分を認めることができていたので不安はあったけれど、大学に行くのをやめた。
突然行かなくなってしまったので担当教員からは鬼のような連絡が来たけど、「やる気が出ないのでしばらく行かない」とだけ返して、料理をしたり、バイトをしたり、貯金をしたり、したいことをして三年ぐらい過ごした。
担当教員とはなんだかんだ一年間隔で話をしていて、やめようかなと思っていると伝えると「あなたは卒業できるチャンスがあるから続けなさい」と言われた。
僕はそれを咀嚼するのがもうどうしてもだるかったので自分の好きにしていたけど、友達や親に「やめたい」と言うとはじめはみんな賛成してくれるのに、数日後に連絡をくれて「続けたほうがいいよ」と言ってくれた。
曰く、それはあなたがやりたいことだから続けたほうがいいとそういうのだ。
僕はあんまりみんなが続けろと言うから本意ではなかったけど、続けることにした。
なんていうか、僕は自分の考えに従うことが多いけど、あんまり自分と違う意見の人が多かったので従うことにしたのだ。
まあ、責任転嫁である。
うまく行かなければこいつらの責任だぐらいの感覚で前向きに取り組んでみることにしたのだ。
(でも失敗しても誰も責任はとりようがないことはわかっていたし、結局人生を生きるのは自分だから、今でも納得しない決断だけど、信用している人たちの言うことに従ったわけだ。)
そう思った頃には在学期限が二年と少ししかなくて、担当教員が仕事をあてがうと言うので仕事をしに大学に行き始めた。
担当教員は自分の先生だと思うとムカついたが、仕事の上司だと思うとなかなか優秀で学ぶところも多くやっていけそうな気がした。
研究については自分で立てたプランを一方的に先生に告げ、勝手に始めた。
学会発表は時間の無駄だと思ったので一切行かなかった。
うまく行かなかったときの従順に従っていたときのやり方、つまり担当教員のやり方はすべて変えて、興味のある研究者に勝手にメールをして友達になった。
友達の研究者は卒業したら履歴書を送ってくれたら自分のボスに口添えをすると言ってくれ、僕は気が良くなり、ますます自分のやり方を信じることにした。(友達は多分酔っていただけだが。)
そういう感じで、主に研究の指導は他の先生にお願いしながら、ゼミでは一方的に進捗を伝える場として認識した。
アドバイスをもらっても筋が悪いなと思う部分は無視をした。
つまり何も聞かなかった。
ただ、僕は英語語が苦手なので論文の英語はほとんど担当教員に書き直してもらった。
僕は担当教員も悪くないなと思い始め仲良くすることにした。
そうして国際紙に論文をいくつか出して博士論文を書いて出した。
最後の方は本当に時間がなくて、申請の期日の5日前に論文がアクセプトになり、バタバタであった。
それで福査の一言である。
ここ最近の5年は本当に長くていろいろなことがあり、僕のことを理解してくれる人は本当に少なかった。
そもそも理解してもらおうとする努力が足りていないのかもしれないが。
不思議なのは仲の良さに関わりなく、素直で素晴らしい人格の友達は無条件で応援してくれたことだ。
よくバカにされたけど、僕はよくやったほうだと思う。
卒業するらしいのだけど、全然実感がわかない。
応援してくれていた友達は卒業すると言っても態度も何も変わらずにおめでとうと言ってくれるし僕より感動してる人もいるみたいだ。
この文章は僕の論文の初稿みたいにまとまりのない文章だけど、今の気持ちをそのまま閉じ込めておこうと思う。
嫌になってやめようとしていたけど、やめないでと言ってくれた友達となんだかんだ自分なりに僕のことを考えてくれていた担当教員にお礼を言いたい。
友達には素直に言えるけど、担当教員には社交辞令にくるんだ本音を贈り物とかにしてわかりにくく渡そうと思う。
まだ全然実感ないんだけど、みんなありがとう。
あと全然審査途中で、万が一卒業できなくなることもあるのでみんな不安になりながら見守っていてください。