ずっと見ていなかった映画だ。それも見たかった映画ではなく、目の端に止めて気になっているが能動的には求めようとしていない映画だ。昔に原作を読んでいて、映画みたいな~と思いながら公開期間が過ぎ去り、ツタヤでたまに見かけながら、「時間がある時に借りよう!」と思いながら借りず、アマゾンプライムに公開されていると思いながら手がつかなかった映画だ。
見るかどうか悩みながらレビューを見ていると”岩井俊二にインスパイアされた作品”と目がついて、それがきっかけになった。面白くなくてもいいのだ、4年来の重い腰をあげてみることにした。
その前に、「Love Letter」を借りて見直したので、僕がいかに岩井俊二が好きなか分かると思う。岩井俊二は日本映画の良いところを詰め込んだみたいな映画を作る人だ。映画の派手さはひと欠片もないが、映像による表現技法を10代のかわいい女優に詰め込む技術は評価されている。そういえば、「Love Letter」公開時の中山美穂は25歳なので、10代ではない、岩井俊二は年齢にこだわっているわけではないだろうが、世間は岩井をそう見ているように思う。
果たして、「百瀬、こっちを向いて。」は少し退屈してしまった。岩井俊二をあきらかに意識しながら脚本とメインの俳優の不一致が気になってしまって慌てて原作を思い出したほどだ。ただ、早見あかりは可愛い。彼女は決して顔のパーツが良いわけではないが、役柄とハマっているように見えた。映画中、原作と真逆に結末が進んでいく中、僕は高校生の頃なら楽しめただろうかと考えた。
僕は、映画に向きがちな意識を徐々に自分に向けながら、作品のテーマだろうか、”こっちを向いて”について考えることにした。多くの人は、自分に関心を向けてほしいと願う一方で、他人には無関心な人が多いのだろう。小さい頃、僕も母の関心を引きたくて大きな声をあげて泣いたことがる。しかし、それは母に向けてであった。通行人や、幼稚園の先生に向けてはない。幼稚園の先生を間違ってお母さんと呼んでしまい、恥ずかしくなる人がいるだろう、あれは自分で幼稚園の先生がお母さんではないことに気がつくからだろうと考える、恥ずかしさに先生が母ではないと気がつくのだ。そしてこっちを向いてと願う異性の存在が恋愛なのかもしれない
主人公が「こっちを向いて」と早見あかりに呼びかけて、僕は主人公が片思いをしていることを思い出した。それまでは、大根だな、とか、棒読みだな、などしか思い至らなかった主人公にハッとする。僕が目の端に留めながら気になっていたのは”こっちを向いて”という、ある種の恥ずかしい感情であったのだ。
最後、髪を伸ばした百瀬は振り向かずに歩いていってしまう、主人公も気に留めながら振り向かない。時がたって、追いかけて「こっちを向いて」とか言わない、スマートになった主人公がなんだか、現実に汚れて見えることに、たしかにフィクションが見えた。10代の純粋さが見たかったのに余計な大人の意地の張り合いを見せつけられた感じだ。
僕は、子供の頃の自分は母が優しく慰めに近寄ってきても泣き続けたように、”こっちを向いて”と、そこまで言ってしまえば、もう満たされないと思う。だけど、”こっちを向いて”ほしい自分に恥ずかしさを感じながら口には出せないのだ。
子供の頃の自分に会えた。今回はそれで良かった事としよう。
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