と表示されているここは太平洋の真上らしい。そういえば、今はにしなの「夜間飛行」を聞いているのだが、思い出されるサンテックも飛行機乗りだった。窓際の席なら星空が見えるのだろうか、確かめることができない。3,4,3の座席ブロックにわかれる、50Gは右通路の左側の座席だ。
昨日乗るはずだったUA804は欠航になってしまって、結局、1日遅れで飛行機にのっている。昨日はピザを陽気にやりとりするティーンネージャーに囲まれてどうしようかと思ったけど、今日の隣は筋肉がゴツい「ろっぽんぎ」と「しんじゅく」、そして「だいふく」が喋れるようになったアメリカ人。人懐っこい方だ。今は隣で寝ているけれど、チラと彼のモニターをみると海外の女優のトップレスが映っていた。
僕はだらだらフライトマップを見ながら、太陽が真上に登る場所を見ている。そして、はたと気がついてしまった。太陽が真ん中上る場所は真夜中には地球の夜の真ん中だ。
太陽は真上に登り、北極星と南極星が地平線にいる場所。今は木星が明るいから夜中にてっぺんに登る場所。
むかし、はちみつを送ってくれた友達にフロリダのお土産は何がいいのかと聞くと「星を見てきて」と言っていた。
僕の母は純粋というか頑固なんだけれど、小さい頃僕が『宇宙飛行士になりたい』と言ったことを覚えていて、何度も何度も僕が小学5年生になって研究者になりたいと言っても、母は頑なに僕が宇宙飛行士を目指していると思っていた。中学生になって柔道部に入った時、「体をしっかり作らないと宇宙飛行士になれない」と言い出したりしていた。
僕は口酸っぱく研究者になりたいと母に言い、夢を変えてもらったのだ。それほど母は頑固である。
最近は宇宙に行きたいとは前ほど強く思わないけど、暗い場所で星空をみたら地球を動かしているのが自分になったような気がして、まるでお金を出して乗せてもらったフェリーの先端に立った時みたいな気持ちで星を見ている。
そういえば、あの頃、僕は本当に宇宙飛行士になりたかったのだろう。父に星空に変な光が見えた、あれはなんだろう、UFOかな?と言うと「お前には見えるかもしれんなあ」と言い、お年玉に5000円くれる以外はお金にしょっぱい父が三万円もする天体望遠鏡を広告に載っているを見ていただけで買ってくれた。
正確には母に買ってやれ、と言って母も「良かったなあ」と言っていた。
口径が18センチぐらいあるゴツい反射鏡の天体望遠鏡の説明書には『この望遠鏡は反射式の為、上下左右が入れ替わってみえます。』と厳しく書いてあり、それを読んだ父が即座に「宇宙に上も下もないんやからこんなん関係ないな!」と言い、密かに舌を巻いたことがある。父は中学校もあまり行ってなくて、知識として持っていた言葉ではなかった。さつまいもを育てた時に緑の葉っぱを切り始めたので僕が緑色の部分で光と空気から芋を作るから緑の葉っぱを切ってはいけないと言うと、父は光合成の意味が初めてわかったと言った。そんな父が持つ世界、宇宙感に上下左右もないなんて、なんで洞察力なんだろうと思ったのだ。
さて、僕の座席が50Gだということをここでは少し忘れて、船の先頭に立ってみたつもりで考えよう。
夜間飛行の残り時間は6:36になった。隣モニターのトップレスはバットマンになり、スマホは充電器に刺さないといけない。この飛行機は東側の夜を突き抜けて朝を迎えに行くようだ。夜空を飛んでも下に星は見えないし、上も下も当然ある。だけどアポロに乗ってもそれは同じだ。僕は夜間飛行のつもりで父の宇宙を飛んでいる。上も下もない、右も左もない、座標も数えないとわからない。たぶん、同じ場所には二度と戻れない。そういう地球に乗っていない存在は地球の運命からは緩やかに離れると、自分で自分を新しい星にした気分になる。
自分の選択を誰かに任してなんていけない。自分が自信を持って決めよう、僕がなりたかった宇宙飛行士は自由に宇宙を旅する存在だ。
今は飛行機の50Gに乗っているけれど、本当はフロリダの東海岸に立って、寝転んで、砂になって、星になって宇宙を飛んでいる。
アリゲーターのジャーキーを買ってマングローブのはちみつを舐めて深夜の母に早朝の僕から電話をする。
しばらくしたらまた反対方向の飛行機に乗って自分の運命というか、役割というか、魂の場所に帰るのだ。残り時間、6:27の僕はまだ宇宙飛行士をやって、微睡みながら星を見に行く。
ひとまず宇宙飛行士の仕事が終わったら、今度は地球の夜の真ん中に行きたいな。