親孝行ってなんのことだろう?
僕は小さい頃、父が嫌いだった。「嫌い」って言ったこともある。父はパワハラ・モラハラ気質が強くて、厄介なことに悪気がなかった。もちろん、意地悪じゃないわけじゃなくて、悪気の塊みたいな時もあった。「お父さんもお前のことが嫌いや」と小さく言われたあと、一週間ほどネチネチといじめられた。そんな子どもみたいに屈折した父は、僕の意見や考えをじっくり聞いてくれることはなくて、本当に単純に嫌いだった。
大学に行ってからも、父からの電話に出られないと、何度も何度も着信履歴が溜まった。やっと出ると、「なんで電話に出ないんだ」と叱られた。滅多に褒められたこともなかった。
耐えかねて母に相談すると、「親孝行だと思って、ちゃんと向き合ってみたら」と言われた。どうにもならなくなって、僕は19歳以来、週に一度は父と電話をするようになった。
付き合っていた彼女に父の不用意な発言を聞かれて関係が駄目になったり、僕が大学院を留年したときには、研究室に来て何をしてるのか見に行くと言ったり、父は相変わらずだった。
でも僕は、冷え切った兄弟たちと父との関係を横目に、この電話を続けようと密かに決めた。本音を言えば、父から逃げながら大学に行くより、向き合っておいた方が楽だと気がついたからだ。
父との向き合い方が変わると、何を言われても聞き流せるようになった。すると、昔の嫌なことやちょっとした思い出も、友達に面白おかしく話せるようになって、父の愚痴もうまく言えるようになった。
父が突然亡くなったと連絡が入った。
しばらくして、徐々に友人たちにそのことを伝えると、みんな僕から父の話をたくさん聞いていて、涙ぐみながらいろんな話をしてくれた。「もう新しいお父さんの話が聞けないのは寂しい」と言ってくれた友達もいた。
「僕、そんなに父の話してたっけ?」と聞くと、僕よりも友達の方がよく覚えていて、みんな「お前、お父さんのこと好きだったんだな」って言う。
親孝行なんて言葉を理由に嫌々始めた父との電話だったけど、いつの間にか父のことを好きになってたらしい。
「後悔する前に親孝行を」とよく言うけれど、急逝の一報から今日まで、「父ならこう言うだろうな」ってことが、考えてないのに自然と湧いて出てくる。亡くなる2日前に話した内容も、全部いつか話したことだった。だからもう、父と話すことは何にもないはずなんだけど、それでも実家の静けさの中に、父の生活の音が聞こえてくるような気がした。
儀式が終わって、骨壺を抱えて姉の車に乗って実家に戻るとき、骨壺の中で父が次の人生の力を蓄えているような気配を感じた。まるで、膨らみ始めた妊婦のような気分で、なんだかウキウキしながらも、涙が溢れてきた。
そのことを母に話すと、「あんたの子どもとちゃうか?」って言われて、まだ結婚も恋人もいないのに敵わないなと思った。
父が亡くなって、寂しいと思えるのは、僕が父のことを好きだった証なんだと思う。もう父と話さなくなって一週間が経つ。悲しくはないけれど、寂しい。
父は、僕から電話すると機嫌がいいことが多かった。最後には、僕のことを一番よく分かってくれていたように思う。だから、もう話せないのが寂しい。親子なんだけど、小さいころに父を亡くした父は人生の友人みたいに付き合ってくれた。
3年前に父が買った新車は、僕にくれるつもりだったらしい。僕は車があれば、新幹線より気軽に実家に帰れると思っていたけど、そのタイミングが少し早くきてしまった。
心残りがあるとすれば、お父さんの車に乗るか?とウキウキしてして聞いた父に、セッティングが崩れると大変だとか言って一度も運転せずに乗せなかったことだ。
その車で、僕はどこに行けばいいだろう。星を見に行こうか。星も、甘いものも、パソコンも、僕の仕事も趣味も、その始まりを辿れば、全部に父がいた。だから、もう実は寂しくなくてもいいのかもしれない。
父への親孝行の時間、今日からはなにをしようか。